AIスクール・情報商材ネタ
元記事: docs/note_AIスクールに入学金を払う前に読むノート.md
1行パンチラインを、本文にそのまま展開できるエピソード断片まで膨らませる。短く切って決めすぎると翻訳調になるので、情景、体温、少しの迷いを残す。弱い箇所は無理に格好つけず、説明ではなく場面に寄せる。
金と立場
- AIにはかなりの額を使った。そうだな、地方に中古の一軒家を買えるくらいは使ったと思う。カード明細にOpenAI、Anthropic、AWSが並ぶ月は、家族に見られたら浮気より説明が難しい。「これは仕事で必要で」と言いながら、自分でも半分くらい信じられていない。正直、怖くて総額はちゃんと計算していないし、スクロール中にOpenAIの文字が見えると反射的にスマホを伏せる月もある。悪いことはしていないはずなのに、なぜか領収書に詰問されている気分になる。
- AIに金を払うのは慣れている。慣れているからこそ、AIスクールの入学金を見ると、財布ではなく腹の奥が冷える。AIに払う金と、AIへの不安を売る人に払う金は、同じ金額でも匂いが違う。道具に払った金は、失敗しても自分の試行錯誤として手元に残ることがあるが、不安の鎮静に払った金は、振り込んだ瞬間だけ「もう大丈夫な気がする」という湯気になりやすい。その湯気で白米は炊けないし、請求書も止まらない。
- 俺はAIが嫌いで書いているのではない。むしろAIに金を使いすぎた人間として、金の置き場所が悪いのを見て黙っていられないだけだ。高額講座に振り込む前の高揚感は、前進ではなく煙幕に近いことがある。目の前は急にそれっぽくなるのに、請求書の向こう側にある現実は少しも片づいていない。
- 業務でもAIをかなり使っている。社員7名にも徹底的に使わせていて、文章、調査、議事録、提案書、補助金関連の資料整理、コード、社内ナレッジ、顧客対応の下準備まで、触らせない日はほとんどない。これは精神論ではなく、実際に効率化できている。AIは文句を言わないが、利用料は遠慮なく口座から持っていく。つまり俺は、AIに夢を見ている人間というより、AIの請求と業務改善の両方で毎月現実に戻されている人間である。
- コード168,000行、記事400本。自慢ではない。領収書の山を前にして、せめて何か残ったと言い張るための数字である。数字がなければ、ただ夜中にAIへ話しかけ続けた変な人で終わってしまう。だが数字があっても、かなり変な人であることは変わらない。違いは、変な人の手元に少しだけ成果物が残っているというだけだ。
- 高額AIスクールを批判する記事を有料にしたら、俺も同じ棚に商品を並べることになる。説教しながらレジを打つのは、さすがに気持ちが悪い。だからこれは売り物ではなく、せめて店の前に貼っておく注意書きくらいのものにしたい。「この先、急に不安をあおられて高額な契約書が出てくることがあります」と書いた紙である。字面は地味だが、入学金よりは役に立つかもしれない。
入学金の算数
- 怒る前に算数をする。怒りは無料で気持ちがいいが、計算はもっと冷たくて、逃げ場をなくしてくれる。情報商材は気分で売ってくるので、こちらは割り算で迎え撃つくらいがちょうどいい。月額、回数、残る成果物、返金条件、そのあたりを紙に書くだけで、急に講師の声量が少し小さくなる。電卓は地味だが、こういう場面ではかなり頼れる。
- 30万円あれば、ChatGPTとClaudeとGeminiにかなり長く課金できる。たぶん先に飽きるか、使い方のほうが変わる。少なくとも、最初のZoom面談で講師の歯を見ながら振り込むよりは、はるかに試行錯誤の回数を買える。30万円を一括で払うと「覚悟」みたいな顔をするが、月額課金を何十回も試すと、それは覚悟ではなく実験になる。実験のほうが地味だが、失敗したときに取り返しがつく。
- 80万円の入学金は、AIの世界ではほぼ一時代ぶんの月額課金である。モデルが何世代か入れ替わるくらいの時間を、最初にまとめて払うことになる。AIの世界で数年は長い。人間なら小学生が中学生になる。その間に講座のスライドは古くなるし、講師の得意げな画面も過去のUIになる。高額な固定費で、変化の速い世界へ入ろうとするのは、なかなか勇気のある逆張りである。
- 「分割なら月々1万6,000円です」と言われた瞬間、49万8,000円が急にスマホ代みたいな顔をし始める。総額は消えていないのに、見え方だけが薄くなる。分割払いは金額を小さくするのではなく、痛みを小分けにして見えにくくする。毎月の痛みが小さいから大丈夫、という理屈は、毎日少しずつ足を踏まれているから平気ですと言っているようなものだ。平気ではない。
- AIスクールの入学金は、未来への投資に見えることがある。でもよく見ると、不安をいったん預けるための前払いになっていることがある。払った瞬間だけ「自分は動き出した」と思えるなら、それは教育ではなく鎮痛剤に近い。鎮痛剤が悪いわけではないが、骨折を治すものではない。痛みが消えた気がするだけで、翌月の請求日にもう一度うずく。
- 「可能性が広がる」に30万円払うな。可能性は無料でも勝手に広がるし、だいたい閉じているのは市場ではなく自分の手のほうだ。手を動かす前の可能性は、ただの雲みたいなもので、触ろうとすると消える。可能性という言葉は大きいので、売る側はそこに何でも詰められる。だが買う側の手元に届く頃には、だいたい薄いPDFになっている。
- 「何が作れるようになるか」を聞いて答えがぼやける講座は、たぶん何も作れない。作れる講座は、作るものの名前を最初に出せる。逆に「視野が広がる」「思考が変わる」ばかり言う講座は、成果物ではなく気分を納品してくる。気分は納品書に書けないし、ポートフォリオにも貼れない。視野が広がっても、目の前の請求書まで大きく見えるだけなら困る。
カリキュラム
- ChatGPTの基本操作は、入力欄に日本語を打つだけだ。LINEで母親に「米いる?」と送れる人なら、もう入口のドアノブには手がかかっている。もちろん奥は深いが、玄関に入るだけで30万円取るなら、家賃より高い。講座の最初の一時間で「まずアカウントを作りましょう」と言われたら、その時点で少し背筋を伸ばしていい。そこは授業ではなく、ほぼ受付である。
- プロンプトの初歩は三つで足りる。背景、目的、出力形式。これを30万円で買うには、いくらなんでも荷物が軽すぎる。最初の壁は「何と書くか」ではなく、「何をやらせたいのか」が自分の中にないことだったりする。目的が空っぽのまま「プロンプト術」を学ぶと、立派な命令文でどうでもいい作業を頼む人になる。敬語だけうまい迷子みたいなものである。
- 「体系的に学べます」は危ない。体系という言葉は便利で、まだ手を動かしていない不安に、立派な箱をかぶせてくれる。だが本当に体系が見えている人は、そもそも体系を箱ごと買う側にはいないことが多い。中身が薄くても、箱に「体系」と書くと急に大学っぽくなる。大学っぽいだけで大学ではないし、修了証が出ても就職先が拍手して待っているわけではない。
- AIを学ぶ前に、AIにやらせたい用事を持て。用事のない道具は、どれだけ高機能でも、だいたい棚の奥で静かになる。高い道具ほど、しまわれた時の沈黙が重い。毎日困っているメール、毎週嫌になる議事録、毎月つらい資料作成、その程度の用事でいい。むしろそれがないなら、AI講座より先に自分の一週間を観察したほうがいい。
- 用事のない人にAIを渡すと、三日は感動し、四日目に飽き、十日目にはブックマークの墓場に入る。これはツールの問題ではなく、用事の問題だ。使い道のない魔法は、手品動画を見た翌日のトランプみたいに、すぐ机の引き出しに戻る。最初の「すごい」はほぼ花火で、使い続ける理由にはならない。花火を月額契約すると、だんだん夜空より請求のほうが明るくなる。
- 実家には未開封のフードプロセッサーがある。母は今もキャベツを手で千切りしている。道具とはそういうもので、人間の癖のほうがだいたい強い。贈った俺も悪い。便利そうという理由だけで買ったものは、便利になる前に置物になる。箱にはまだ少し誇らしげな写真が印刷されているが、台所の現実には一度も参加していない。AI講座の受講画面も、油断するとその箱と同じ顔になる。
- 俺がAIで事業を作ったのではない。補助金の面倒くささが先にあり、その面倒くささを拭くために、AIが後から雑巾みたいに使われた。雑巾を買ったから床が汚れたのではなく、床が汚れていたから雑巾を使った。順番はそこまで大事だ。困りごとが先にないと、道具は活躍する舞台を持てない。舞台がないのに照明だけ買うと、部屋がまぶしいだけで終わる。
無料セミナー
- 無料セミナーは無料ではない。あなたの不安を、売る側が扱いやすい形に整える場所であり、その加工賃があとから入学金になる。無料で椅子に座ったつもりが、帰るころには自分の悩みに値札がついている。受付で名前を書いた時点では客ではない気がしているが、向こうの表ではもう見込み客として並んでいる。無料とは、財布を開く前の名前である。
- 新橋の雑居ビルに行った。エレベーターには前の客の香水と湿ったカーペットの匂いが残っていて、会場に入る前から少し気が重かった。こういう場所は、なぜか空調が弱く、蛍光灯だけが妙に元気だ。壁の白さも古く、掲示物のテープの跡が残っていて、ここで人生が変わると言われても、まず壁紙を変えたほうがいいのではと思った。余計なお世話だが、余計なことを考えないと不安に飲まれる。
- 会場のドアは、誰かが入るたびにガコンと鳴った。あの音だけは嘘をついていない感じがして、セミナーの中で一番信用できた。講師の話より、建て付けの悪さのほうが現実に近かった。成功事例のグラフは滑らかに右肩上がりだったが、ドアだけは入退室のたびにいちいち引っかかる。人生もだいたいそっちである。
- パイプ椅子のスポンジは死んでいた。開始1時間で尻のほうが先に真実を訴え始め、講師より正直に現実を教えてくれた。人間は不安より先に尻が痛くなると、少しだけ正気に戻る。スライドには「自由な働き方」と書いてあるのに、こちらは硬い椅子に固定されている。この矛盾で一本コントができる。タイトルは「座ったまま自由」。
- 隣の50代男性は、チラシを透明のクリアファイルに入れていた。たぶん真面目な人だった。こういう人が、こういう場所ではいちばん危ない。真面目な人は配られた紙をちゃんと読み、相手の話を最後まで聞いてしまう。しかも疑うことに罪悪感を持つ。セミナー営業にとって、真面目さは時々そのまま入口になる。俺はそのクリアファイルの角が妙にきれいだったことまで覚えている。
- 後ろの20代女性二人が「副業って何がいいんだろうね」と小声で話していた。その声だけで、この商売がどこに受付を置いているのか見えた。迷っている人、焦っている人、でもまだ何も売るものがない人。そういう人たちが、いちばん柔らかい。柔らかいところにだけ営業の言葉は沈む。副業という言葉は軽いが、そこに乗っている生活の不安はまったく軽くない。
- 講師は紺ジャケット、ノーネクタイ、茶色のローファー。歯だけが異様に白く、照明より先にそこが光っていた。話が進むほど、内容より歯の白さだけが記憶に残った。人間の脳は、中身が薄いと余計な細部をつかみに行くのかもしれない。
- プロフィールには「大手広告代理店を経て独立」。社名を書かずに匂わせるあたり、さすが広告の人だったし、ずるさにも職歴が出る。書かないことで、読んだ側に勝手に補完させる。無料セミナーは、そういう小技の寄せ集めでもある。大手と書けば安心し、独立と書けば自由に見える。その二語だけで、実績の空白に勝手に照明が当たる。
- 権威づけの札はだいたい同じ形をしている。有名メディア掲載、出版実績、大学で講義、アワード受賞、累計何千人、満足度何パーセント。ひとつひとつが嘘とは限らないが、並べ方がうまいと中身を見る前にこちらの背筋だけが伸びる。肩書きが多いページほど、逆に「で、何を作れるようになるんですか」と聞きたくなる。
- プレゼンはうまかった。中身が薄いことと、売るのがうまいことは、まったく矛盾しない。むしろ薄いものほど包装紙が厚くなる。聞いている間だけは立派に見えるように、声の高さも、沈黙も、スライドの色も調整されている。薄い紙も束ねれば分厚く見える、みたいな話である。中身が増えたのではなく、束ね方がうまいだけだ。
セミナー台本
- 最初の30分は恐怖。「AIで消える仕事」と言われると、会場の背中が少しずつ丸くなり、椅子の列が職安の待合室みたいになる。誰もまだ金の話をされていないのに、もう損をしたような顔になる。恐怖のうまいところは、事実が半分混ざっていることだ。全部嘘なら笑えるが、少し本当なので腹の奥に入ってくる。
- 次の40分は希望。普通の会社員Aさんが3ヶ月で月50万。名前の薄い成功者ほど、スライドの中では景気よく稼ぐ。AさんもBさんも、なぜかこちらの知り合いには一人もいない。成功者の写真はたいてい後ろ姿か、顔が小さい集合写真で、実在感より雰囲気が前に出る。本人確認より先に、こちらの焦りが勝手に信じたがる。
- 最後の50分で財布が出てくる。芝居は三幕構成である。よくできているから腹が立つし、腹が立つほど効いている。脚本として見れば優秀で、教育として見ると不穏だ。恐怖、希望、決済。この三つを並べると、セミナーというより舞台装置に近い。観客席にいるつもりが、気づくとレジ前に立っている。
- 恐怖で縮ませ、希望で前のめりにし、限定価格で判子を押させる。古典芸能みたいな流れで、演目だけがAIに差し替わっている。昔は投資、少し前は動画編集、今はAI。着物だけ替えて、同じ踊りをしている。時代が変わるたびに売り文句だけ着替えるので、見た目は新しい。だが足元を見ると、ずっと同じ床である。
- 「今日だけです」は、考える時間を奪うための言葉だ。割引の説明ではなく、判断力にかけられたタイマーである。本当に価値があるものなら、明日になった瞬間に腐るわけがない。今日だけ、という商品はだいたい明日も別名で売っている。本日限り、明日も開催。笑えないのは、こちらの冷静さだけが本当に期限切れになるからだ。
- 「残り3名です」と言われたら、席が残り3名なのではなく、自分の判断力が残り3分なのだと思ったほうがいい。焦らされている時点で、こちらはすでに相手の土俵に乗っている。残席という言葉は不思議で、そこに座らないと人生から席がなくなるような気にさせる。実際には、家に帰って風呂に入れば、かなりの席はどうでもよくなる。
- 講師が黙った瞬間、会場にはパイプ椅子のきしむ音だけが残った。あの沈黙に、いちばん高い値札が貼ってあった。人は誰かに急かされるより、誰も何も言わない時間のほうで勝手に追い詰められる。沈黙の中で、隣の人がペンを取る音がする。その音がまた、こちらを不安にする。売り込みとは、言葉だけでなく、周りの人の動きまで使うものなのだと思った。
返金保証と個別相談
- 「返金保証あり」は安心ではないことがある。契約書の細字を読ませないための麻酔として、ずいぶん便利に使われる。保証という言葉が出た瞬間に安心する人ほど、その条件を最後まで読まない。全課題提出、全面談参加、期間内申請まで並ぶと、返金保証というより返金障害物競走である。返金までの道が、もう一つの有料講座みたいになっている。
- 返金条件の階段が長すぎると、登り切るころには、もう返してほしい気力のほうが先に退会している。金を失ったあとに、さらに証明作業まで求められるのは、かなりしんどい。人は損をしたあと、強くなるのではなく疲れる。だから条件を読む体力があるうちに、先に読んだほうがいい。契約後の自分を信用しすぎてはいけない。
- 個別相談とは、あなたに合ったプランを探す時間ではないことがある。断りにくい角度を、相手が静かに測る時間だ。親切そうな質問ほど、こちらの逃げ道を細くしている場合がある。「どんな人生にしたいですか」と聞かれると、急に大きい話になる。だがその大きい話の最後に出てくるのは、だいたい支払い方法である。人生相談から分割払いまでが近すぎる。
- 「今の年収はいくらですか」と聞かれた瞬間、教育ではなく営業が始まっている。授業料ではなく、支払い能力を見られている。学びたい内容より、払える上限のほうが先に測られるのは、どう考えても順番が変だ。まともな学校なら、まず何を学びたいかを聞く。そこで財布の厚みから話が始まるなら、教室ではなく見積もり窓口である。
- 「家族に相談すると反対されそうですか」と聞く人間は、反対される理由をもう知っている。だから先に家族を会話から外そうとする。まともな買い物なら、誰かに相談されても困らない。反対される可能性を先に潰す質問は、かなり営業の匂いが濃い。家族が正しいとは限らないが、相談されると困る商品が危ないことは多い。
- 悩みは、口に出した瞬間に商品の穴へ流れ込みやすくなる。言葉になった不安は、売る側にとって扱いやすい。ぼんやりした焦りが、「この講座に入れば解決するかもしれない」という形に加工されていく。自分で言った悩みなのに、相手のスライドに回収されると、なぜか昔からそこに答えがあったように見える。うまい営業は、こちらの言葉でこちらを説得してくる。
- 不安を言語化してくれる人を、すぐ味方だと思ってはいけない。値札を貼るために、あなたの弱いところを丁寧に聞いている場合がある。丁寧な聞き役と、誠実な聞き役は別物だ。聞き上手な人が、いつも味方とは限らない。保険の営業も、恋愛相談も、高額講座も、最初はたいていこちらの話をよく聞く。よく聞いたあと、きれいに請求へつなげてくる。
公的事例
- 出典を付けて使う公的事例として、消費者庁が2025年12月25日に公表したアドネス株式会社への特定商取引法に基づく指示処分がある。関東経済産業局の公表資料では、当時18歳、月収最大5万円程度、主に親からの経済的援助で生活していた消費者に、消費者金融での借入と分割払いを勧め、手数料込みで支払総額約77万円の契約を即日締結させた事例が示されている。詐欺認定ではなく指示処分として扱うこと。出典は消費者庁
https://www.caa.go.jp/notice/entry/044576/と関東経済産業局https://www.kanto.meti.go.jp/press/20251225tokusho_press.html。 - 18歳に消費者金融をすすめて「半年で稼げば返せる」と言う商売を、教育と呼ぶには無理がある。そこには教室より先に取り立ての匂いがする。未来の収入で現在の不安を買わせるのは、かなり危ない。半年後に稼げるなら、売る側が半年後払いにすればいい。なぜ最初に借りさせるのか。答えはだいたい、その時点でもう出ている。
- 月収最大5万円程度の人に約77万円を背負わせる。その瞬間、スクールではなく回収の仕組みに見えてくるし、講師の顔も先生ではなく営業担当の顔になる。学ぶ人を増やしているのではなく、払えるぎりぎりの人を見つけている。本人は未来を買ったつもりでも、契約書の上では負債を背負っている。夢という言葉でくるんでも、数字はずっと数字のままだ。
- 「極端な例」で片づけたい人ほど、その構造に近い場所で商売をしている。自分の足元が少し似ているから、極端という言葉で遠ざけたくなる。本当に無関係なら、もっと静かに読めるはずだ。悪質な例だけを別世界に押し込めると、自分のやっている軽い煽りや雑な返金条件まで、なぜか許された気になる。そこがいちばん危ない。
- 新橋の帰り、クリアファイルの男性は個別相談の列に並んでいた。目が合ったが、俺は何も言えなかった。あそこで「やめたほうがいいですよ」と言えるほど、俺は親切でも勇敢でもなかった。言えない時点で、もう遅かったのかもしれない。あの列は静かで、誰も騒いでいなかった。だから余計に嫌だった。大きな詐欺の入口は、意外と静かな列をしている。
- あの人、申し込んだのだろうか。たまに思い出す。たぶん、それがこの記事の芯で、怒りよりも後味の悪さのほうが残っている。白い歯の講師より、透明なクリアファイルのほうを覚えている。人を助けた話ではなく、助けられなかったかもしれない話だから、長く残る。怒りは派手だが、後味の悪さはずっと部屋の隅にいる。
AI副業
- 「AI副業」という職業はない。あるのは、文章、画像、動画、資料、リサーチ、営業、システムの仕事で、その一部にAIが混ざるだけだ。表計算副業という職業がないのと同じで、道具の名前を仕事の名前にしている時点で少し怪しい。履歴書の職業欄に「AI副業」と書いたら、たぶん欄のほうが少し困る。何を誰に売ったのかまで言えないと、ただの道具紹介で終わる。
- AIで記事を書ける人はもう山ほどいる。山ほどいる時点で、それは差別化ではなく、駅前にコンビニが一軒増えたくらいの話だ。便利ではあるが、珍しくはない。珍しくないものだけでは、高い単価は取りにくい。しかもAIで書いた記事は、整っているほど似てくる。似ている文章が増えるほど、最後に差が出るのはテーマの選び方と、書き手が何を見てきたかになる。
- 2026年に「AIが使えます」は、「Wordが使えます」にかなり近い。言えないよりはいいが、それだけで金を払う人は少ない。「使えます」の先に、何を売れるのか、誰の面倒を減らせるのかまで言えないと、仕事にはならない。Wordが使える人が全員編集者ではないように、AIが使える人が全員仕事を取れるわけではない。道具の操作と職能は、似ているようで別物だ。
- AIは「作る」を速くする。「売れる」はまったく別の筋肉で、そこを鍛えないまま量産すると在庫だけが増える。昔は手作業で在庫を抱えたが、今はAIで一晩にして在庫を抱えられる。便利な分だけ、失敗も速い。速く作れることはすごいが、速く無視されることでもある。無視の速度まで上がるのは、あまり教材に書かれていない。
- AIでブログを100本作っても、誰も読まなければ、ただのきれいな墓石が100本並ぶだけだ。整っているぶん、余計に寂しい。誤字も少なく、見出しも整っていて、それでも誰も来ないサイトは、かなり静かで怖い。アクセス解析のゼロは、文章の品質を直接責めてこない。ただ黙っている。その黙り方が一番きつい。
- AI画像を出せることと、何百万点の中から選ばれることは別の話だ。描けることと売れることの間には、かなり広い川がある。しかもその川の向こうには、昔から絵を描いてきた人、写真を撮ってきた人、営業してきた人がいる。AI画像を出せた瞬間は自分が急に制作側へ行けた気がするが、市場にはもう制作側の人が大量にいる。すごいのは入口が低くなったことで、出口が近くなったことではない。
- AIでアプリを作れることと、誰かのスマホに入ることの間には、暗くて長い廊下がある。たいていの人は、その廊下で帰る。作った直後は世界が変わったような気がするが、翌朝ダウンロード数を見ると、世界は何も知らない顔をしている。リリースしました、はゴールではなく、誰にも気づかれていない状態の始まりである。公開したのに非公開みたいな気持ちになる。
- 「誰に、何を、どう届けるか」を考えたくない人ほど、「AIで稼ぐ」という言葉に寄っていく。考えなくてよさそうに見えるからだ。だが実際には、AIを使うほど「誰に売るのか」がむき出しになる。逃げたかった問いが、さらに大きくなる。AIは作業を減らしてくれるが、商売の問いまでは減らしてくれない。むしろ作業が減ったぶん、問いから逃げる口実も減る。
- 補助金の事業が回っているのはAIがすごいからだけではない。補助金が面倒で、探している人がいて、そこへどうにか届けたから回っている。AIはその導線の中で働いているだけで、道のない場所に勝手に客を連れてきてくれるわけではない。需要、検索、説明、問い合わせ、納品、その間の泥くさい部分があって、ようやくAIの速さが効く。道具だけを見ていると、その泥くささが消えて見える。
営業の現実
- スクールに30万円払う前に、ココナラで何か一件出してみればいい。だいたい初日に現実が来て、こちらの期待を無言で削ってくる。誰にも見られない画面を眺めるだけで、売るという行為の冷たさが少しわかる。出品ボタンを押した瞬間は仕事が始まった気がするが、実際には待合室に入っただけである。そこから呼ばれない時間が長い。
- 出品初日、閲覧ゼロ。翌日もゼロ。三日目の「1」はたぶん自分だ。市場は、最初はだいたい返事をしない。こちらがやる気に満ちていても、世界のほうは何も予定を変えてくれない。講座では「まず行動」と言われるが、行動のあとに来るのは拍手ではなく、無音である。その無音に耐えるところから商売は始まる。
- 一週間後にやっと来たメッセージが「半額になりませんか」だったとき、人は市場を学ぶ。教科書より早く、しかも少し傷つく。自分のサービスに値段をつけることと、その値段を守ることは、まったく別の苦しさがある。値下げ交渉は、こちらの自信の薄いところを正確に押してくる。AIは返答案を作ってくれるが、断る勇気までは生成してくれない。
- 星5レビューの先輩たちの下で、自分の出品ページは海底の石みたいに沈む。沈んでいる間も、誰も慰めには来ない。AIがどれだけ文章を整えてくれても、レビューゼロの重さまでは消してくれない。プロフィール文だけ妙に立派で、実績欄だけ空白という画面は、見ている本人が一番つらい。整った空白ほど、かえって目立つ。
- 売るとは、画面の向こうで誰にも気づかれない時間に耐えることだ。AIで作るより、この無視に耐えるほうがたぶん難しい。作業している間は前に進んでいる気がするが、売れない時間はただ止まっているように感じる。だから人はまた教材を買いたくなる。待つ苦しさより、学んでいる気分のほうが楽だからだ。
- 一件でも受注して「ありがとうございました」をもらえた人は強い。AIスクールより先に、その経験を買え。できれば自分の時間で買え。1,000円の案件でも、30万円の講義より体に残ることがある。納期に追われ、質問に答え、少し直しをして、ようやく相手から礼を言われる。その一連の面倒くささが、仕事の輪郭になる。
- 売るものがない人がAIだけ覚えても、「すごいものが作れる気がする人」になる。気がする人は、残念ながら請求書を払えない。気分では家賃もサーバー代も落ちない。市場は、こちらの高揚感にはびっくりするほど無関心だ。AIで稼ぐ、という言葉は高揚感をくれるが、稼ぐの部分は最後までこちらの担当である。ここを講座が代わりにやってくれることは少ない。
うまい話
- 「Google Mapでサイトのない店を探して、AIでサイトを作って800ドルで売る」。きれいすぎる話は、だいたい誰かがもう試して、静かに埋葬している。画面の中では筋が通っていても、店の人が財布を開くところまで行くと急に話が重くなる。提案書の上では店主は困っていることになっているが、本人は別に困っていないかもしれない。こちらの「必要なはず」と、相手の「今のままでいい」の距離はかなり遠い。
- 2000年ならホームページ営業で飯が食えたかもしれない。2026年にそれを言うのは、駅前でポケベルを売るようなもので、懐かしさ以外の需要が薄い。時代遅れの商材は、AIで包んでも時代遅れのままだ。古い在庫に新しいラベルを貼ると一瞬だけ商品に見えるが、開けるとやっぱり古い。AI包装紙、破いたら平成、みたいな話である。
- いまWebサイトがない店は、なくても困っていない店か、払う余裕がない店だ。どちらも、こちらのAIサイト制作プランを待っていたわけではない。向こうには向こうの理由があり、その理由はAIで作った見積書くらいでは動かない。店の人は毎日売上、仕入れ、人手、常連の顔で忙しい。そこへ突然「サイトが必要です」と言っても、それは相手の優先順位に割り込む行為である。
- サイトがなくても困っていない店は、こちらがどれだけ綺麗な提案書を持っていっても買わないし、払う余裕がない店は、そもそも提案書の前に財布が開かない。買わない理由と払えない理由は違うが、こちらに入金されない点では同じである。営業ではこの違いを見誤るとつらい。説得すれば動く相手と、そもそも条件が合わない相手を同じ熱量で追うと、先にこちらが擦り減る。
- 空き地に見える市場には、たいてい昔の営業マンの名刺が埋まっている。掘り返すと、同じことを考えた人の跡が出てくる。誰もいない市場に見える場所は、うまい場所なのではなく、みんなが帰った後の場所かもしれない。参入者が少ない理由を「チャンス」と呼ぶ前に、「なぜ誰も残っていないのか」と考えたほうがいい。静かな市場は、静かに儲かる場所とは限らない。
- AIで作れるものは増えた。でも、買わない人が急に買うようになるわけではない。制作コストが下がっても、相手の欲望は値下げされない。売る側が楽になったことと、買う側が欲しくなることは別の話だ。これを間違えると、作る側の都合だけで商品が増えていく。冷蔵庫に入りきらない作り置きみたいに、売れない成果物だけがきれいに並ぶ。
教える側
- AIスクールで一番稼いでいるのはAIではない。AIで稼ぎたい人から稼ぐ講師であり、そこだけはちゃんとビジネスモデルが成立している。皮肉なことに、その講師だけは「AIで稼ぐ」より安定した方法を見つけている。しかも在庫はPDFと動画で、原価は一度作れば薄くなる。受講生が増えるほど、講師側の効率だけがどんどん良くなる。
- 「AIで稼ぐ方法を教えます」の卒業生が、また「AIで稼ぐ方法を教えます」と言い始める。中身は薄くなり、声とLPだけがだんだん派手になる。伝言ゲームの最後に残るのは、ノウハウではなく煽り文句だったりする。最初は実務の話だったものが、二周目には教材販売の話になり、三周目には「自由な人生」だけが残る。自由の濃縮還元である。原材料名は不安。
- 後ろへ行くほど買う人を探すのが難しくなる。マルチ商法と呼ばないにしても、列の後ろが苦しくなる形はかなり似ている。早く教える側に回った人ほど楽で、遅く入った人ほど「次の誰か」を探す羽目になる。学ぶはずだった人が、すぐ教える側へ回りたがる構造は、どこか不健康だ。入門者が、次の週には入門講座の説明会を開いている感じがする。
- 白い歯、茶色のローファー、大手広告代理店を経て独立。あの人だけは、その夜ちゃんと稼いでいた。AIではなく、AIへの焦りで。会場にいた誰よりも、あの講師がいちばんAI時代に適応していたのかもしれない。彼はAIを道具として使ったというより、AIという言葉の熱を売っていた。熱は冷める前に売ると高い。冷めたあとには、だいたい質問だけが残る。
- 先生は、あなたが失敗しても困らない。困るのは次のセミナーの集客が落ちる時だけで、その意味ではあなたの成功より広告費のほうが近い。受講料が前払いである限り、あなたの成果は向こうの売上に必ずしも直結しない。もちろん本気の講師もいるだろうが、構造としてはそうなっている。構造が冷たい場所で、個人の善意だけを信じるのは少し危ない。
AIスクールの実態
- 入会して3ヶ月目に届くメールの件名が、講義のお知らせではなく「次のステップは個別コンサルです」になってくる。最初はもっと学べるのかと思って開くが、何通目かで胃が重くなる。30万円払ったはずなのに、授業料の先にまた授業料があり、その奥にまた相談料がある。学びの道というより、支払いフォームの廊下を歩かされている感じがする。
- スクールのチャットに流れる成果報告は、みんな同じようなNotionページ、同じようなポートフォリオ、同じような「AI活用できます」の自己紹介になる。本人は必死なのに、並べるほどテンプレートの匂いが濃くなる。成果が増えているというより、成果に見える画面の作り方だけが共有されている。自分の名前が入っているのに、自分のものではない感じがする。
- 課題が遅れていると書いた直後に、励ましより先に個別相談の案内が来る。できない人に手を差し伸べる顔をしながら、できない理由を次の商品に変換していく。ここで責められないのが逆につらい。優しい言葉で包まれた営業は、怒鳴られる営業より断りにくい。こちらの弱さが、ちょうどいい商談材料になってしまう。
- 卒業生限定コミュニティに入ると、発言しているのはいつも同じ数人で、残りは既読とスタンプだけで静かに存在している。入会前は熱気のある場所に見えたのに、中に入ると、静かな人のほうがずっと多い。仲間がいる安心感そのものが商品になっていて、成果が出ていない現実を一晩だけ薄めてくれる。コミュニティ費を払っているのに、自分がしていることは誰かの投稿に反射的に反応するだけで、だんだん月額のついた待合室みたいになってくる。
- 動画教材はたしかに山ほどあるが、山ほどあることと、見るべきものがあることは違う。2倍速で流しながら別タブでChatGPTを触っているうちに、講師の声はBGMになり、「ここ重要です」という言葉だけがたまに耳に引っかかる。学習しているつもりで、実際には視聴済みマークを増やす作業になっていることがある。
- 契約書の端にある「成果を保証するものではありません」を、支払い後にちゃんと読む人は多い。読んだ瞬間に、支払った金額だけではなく、これから失敗した時の責任まで自分に戻ってくる。広告では一緒に走ると言われたのに、契約書では急に各自で走ることになっている。ここで初めて、伴走という言葉の足音がかなり遠いことに気づく。
- 「講師に何でも聞けます」と言われて入ったのに、質問への返事はリンク集、過去動画、FAQへの誘導で終わることがある。もちろん全部を個別に見られないのはわかる。わかるからこそ、最初の説明で想像した距離感との落差がつらい。手厚いサポートという言葉は、買う前には人の顔をしているが、買った後には管理画面の項目になる。
- 受講生同士のZoom交流会で「人生が変わりました」と言う人がいる。その言葉自体は嘘ではないのかもしれないが、何がどう変わったのかを聞くと、まだ準備中、これから発信します、案件獲得に向けて動いています、という未来形が続く。変わったのは生活ではなく、自分の可能性について話す語彙だけだったのかもしれない。
儲け話と闇
- 「AIで月100万円」と言われている話の中身をほどくと、いつの間にか「AIを使って稼ぐ」ではなく「AIで稼ぎたい人に売る」へ変わっていることがある。商品を作る人の話だったはずが、受講生を集める人の話になっている。売る相手が企業や顧客ではなく、同じ不安を持つ初心者に変わった瞬間、その儲け話はかなり違う顔になる。
- 分割払いの最終回を終えた翌月に、同じ講師から新コースの案内が来る。完済したカードの上に、また36回払いの影が落ちる。払っている間は「投資している」と思えたが、終わった瞬間に次の投資を勧められると、自分は成長したのか、ただ支払い能力のある見込み客として管理されていたのか、少しわからなくなる。
- 「この金額は未来への先行投資です」と言われた時、頭のどこかで、未来ではなく講師の今月の売上に投資しているのではないかと考える。でも会場の空気の中では、その疑問を口に出しにくい。希望を疑う人間になりたくないから黙ってしまう。そこがうまい。人は商品だけでなく、自分が前向きな人間でいたい気持ちにも金を払う。
- 家族に内緒で払っている、と相談で漏らした人ほど、営業から見ると断りにくい人になる。誰にも相談できない金額は、比較も止めにくいし、冷静になる時間も取りにくい。秘密の支払いは、本人の中では覚悟に見えるが、売る側から見れば外部チェックのない契約になる。家族に言えない自己投資ほど、いったん一晩寝たほうがいい。
- 「限定20名」と言われた講座が、翌月の別セミナーでもまた限定20名として出てくる。数字は毎回きれいに減って、毎回きれいに復活する。限定されているのは席数ではなく、こちらの判断時間なのだと思う。冷静に比べる時間を奪うために、売る側は在庫の話をしているふりをして、実際には焦りを売っている。
- 特典PDFを開いたら、外部の無料資料、一般的なツール一覧、検索すれば出てくるテンプレートの寄せ集めだった時の脱力感は大きい。ひとつひとつは役に立たないわけではないが、30万円の中身として見ると急に薄くなる。おまけが多いほど得した気になるが、実際には量で厚みを演出しているだけのこともある。
海外事例
- 英語圏のAI講座広告を見ていると、497ドル、997ドル、4,997ドルのような価格がよく出てくる。日本円に直すと一気に現実感が増すのに、ドル表記のままだと少しだけ夢の距離が遠くなる。数字の桁ではなく、通貨の見え方で判断が鈍ることがある。海外の成功者に見える人も、やっていることは日本の高額講座とかなり似ている。
- 海外のAIブートキャンプは「job ready」「career change」「AI agency」といった言葉で、転職や独立に直結するように見せることがある。だが中身を読むと、ポートフォリオ作成、LinkedIn更新、営業メッセージ送信、テンプレート配布で終わるケースもある。仕事に近づいた気分は出るが、仕事そのものが用意されているわけではない。
- DiscordやFacebookグループの「lifetime access」は、買う前には一生質問できる場所に見える。入った後で見えるのは、古い投稿、返事のない質問、たまに運営が流すアップセルの告知だったりする。一生入れる場所と、一生使える場所は違う。長期サポートという言葉は、放置の期間まで長く見せられるから少し怖い。
- 海外レビューでよく見る不満は、「YouTubeで無料で学べる内容だった」というものだ。もちろん無料動画を体系化することにも価値はあるが、体系化の値段が高すぎると、受講後に急に冷める。自分が買ったのは知識ではなく、探す手間を誰かに預けた安心感だったのかもしれない、と後から気づく。
- 「prompt engineering bootcamp」と名乗っていても、実際にはプロンプトだけでなく、ノーコード自動化、営業メール、SNS発信、アフィリエイト導線まで一式で教える形になりがちである。名前はAI講座でも、売られているのは昔からある個人ビジネスの詰め合わせだ。新しい箱に、古い部品がかなり入っている。
- 海外ではこの手の講座が「course」ではなく「funnel」と呼ばれて批判されることがある。最初の無料ウェビナー、低額商品、本講座、高額コンサル、継続コミュニティという流れを、教育ではなく販売導線として見る言葉だ。日本語で聞くと学びに見えるものも、英語で分解すると急に営業の配管図に見えてくる。
- 時差のあるライブ講義は、買う前にはグローバルで格好よく見えるが、実際には深夜の録画視聴になることがある。質問したい時には講師が寝ていて、返事が来る頃には自分の熱が冷めている。海外講座は距離の壁を消してくれるように見えるが、生活リズムの壁までは消してくれない。
- 海外講師が日本人向けに高額AI講座を売る時、日本語の不安とドル建ての夢が同じページに並ぶことがある。支払う側は円で痛みを感じ、受け取る側は外貨で計算する。そこに悪意があると決めつける必要はないが、為替と不安が同じ方向に働くと、かなり強い販売装置になる。
セミナービジネスの古層
- 1990年代後半のインターネットで稼ぐセミナー、2000年代の輸入ビジネス、2010年代のアフィリエイトや動画編集、仮想通貨、NFT、そして今のAI副業。看板は毎回変わるが、恐怖、成功事例、緊急性、分割払いの順番はあまり変わらない。AIになって急に新しい悪知恵が生まれたのではない。古い売り方に、新しい看板がかかっただけだ。新しいのは単語で、古いのは人が焦る場所である。
- 10年前に新宿の貸し会議室で「Facebookで稼ぐ方法」を教えていた人が、今は同じような部屋で「AIで稼ぐ方法」を教えている。スライドのロゴは変わり、事例のスクリーンショットも変わったが、開場前の受付、パイプ椅子、少し早く来すぎた参加者の所在なさは変わらない。時代が変わったというより、商材名札だけが差し替わっている。
- 「まずはリストを取れ」は、昔はメールマガジンだった。今はLINE登録、無料診断、限定動画、無料PDFに変わった。入口の見た目は柔らかくなったが、連絡先を集めて高額商品へつなぐ構造はそのままである。無料で受け取ったはずのPDFの後ろに、30万円の面談枠が静かに置かれている。
- 個別相談は、本人の悩みを聞く場所に見えるが、セミナービジネスの歴史ではずっとクロージングの場所でもあった。悩みを深掘りし、今変わらないリスクを言語化し、金額を未来への投資として置き直す。ここまで来ると、相談という言葉は少しきれいすぎる。悩みの棚卸しをしながら、支払い方法まで並べられている。
- 「決断できない人は変われない」というフレーズは、古い自己啓発セミナーからずっと使われてきた。決断力の話をしているようで、実際にはその場で契約させるための圧になっている。大事な決断ほど時間を置いたほうがいいこともあるのに、売る場では早く決めることだけが美徳にされる。決断と即決は、似ているが同じではない。
- バックエンド商品という言葉を知ると、無料セミナーの見え方が変わる。表で売っているのは情報で、奥で売っているのは高額コンサル、養成講座、継続コミュニティだったりする。入口の商品だけを見て安いと思っても、その先に本命の金額が待っている。店先の試食で満腹になる人が少ないように、無料セミナーだけで終わる設計にはなっていない。
- セミナー会場の拍手は、商品価値というより空気の価値を上げる。周りがうなずき、笑い、質問し、申し込み用紙を持つと、自分だけ疑っているのが恥ずかしくなる。人は講師だけに説得されるのではなく、同じ部屋にいる人たちの熱にも説得される。だから一人で帰って、コンビニの明るい照明の下で金額を見直す時間が必要になる。
- セミナービジネスが売ってきたものは、結局いつも「出遅れたかもしれない」という不安である。インターネットに乗り遅れる、SNSに乗り遅れる、動画に乗り遅れる、暗号資産に乗り遅れる、AIに乗り遅れる。時代の波に名前をつけて、その波に乗るチケットを売る。だが冷静に見ると、チケット売り場だけが毎回やけに儲かっている。
代替案
- 入学金を払う前に、AIに直接課金しろ。先生を通すな。中抜きされるな。まず道具そのものに触ったほうが早い。使ってからわからないことに金を払うのと、触る前に怖くなって金を払うのでは、まったく意味が違う。実際に触ったあとの学びには自分の疑問が持ち込めるが、触る前に買わされた学びには、相手が用意した不安を持ち帰ることになりやすい。疑問は財産だが、不安はすぐ課金される。
- 最初の1ヶ月は一つでいい。ChatGPTでもClaudeでもGeminiでもいい。選ぶ時間で迷うくらいなら、どれかに払って毎日触れ。最初から最適解を探していると、最適解を探すだけの人になる。AI比較表を眺めている時間は、賢そうに見えるが、だいたい何も進んでいない。迷いのプロになる前に、まず雑に一ヶ月使ったほうがいい。
- どうしても講座形式が欲しいなら、最初は数千円の録画講座、公式チュートリアル、評判のいいYouTubeやブログで十分だ。低額の教材で眠くなる人は、高額講座でもだいたい眠くなる。違うのは、眠気に分割払いがついてくることくらいである。まず安く眠ってみればいい。そこで目が覚めるテーマだけ、あとから少し金をかければいい。
- メール、議事録、提案書、Excel、旅行計画、役所PDF、愚痴。教材ではなく、自分の面倒で試すほうが、身につくのは早い。自分の生活に食い込んだ用途ほど、うまくいった時の感覚が残る。人はサンプル課題より、自分が今日困っていることのほうを真剣に見る。架空のカフェのSNS投稿を作るより、実際に返したくないメールを下書きしてもらうほうが身につく。
- 1ヶ月使えば、AIの便利さだけでなく、雑さと嘘も見えてくる。そこからが勉強で、そこまではただの試食である。まず「すごい」と思い、次に「雑だな」と思い、そのあとでようやく道具として使えるようになる。便利さに酔ったままだと、AIの出すもっともらしい間違いに気づけない。少し醒めてからが、本当の付き合いである。
- 2ヶ月目に別のAIを足して、同じ質問を投げろ。答えの違いは、講師の説明より早く体に入るし、自分の用途も見えてくる。比較すると、AIにも癖があることがわかる。人間の同僚みたいに、得意不得意がある。片方は文章がうまく、片方は調査が強く、片方は妙に自信満々に外す。そういう癖を知るほうが、一般論の講義より実務に近い。
- 3ヶ月目に用途別の道具を足せ。画像、調査、コード、資料。順番を間違えると、道具箱だけ立派で作るものがない人になる。ホームセンターで工具を買い込んで、結局棚一枚作らない人と同じだ。ツール一覧を増やすと、成長している気分にはなる。だがブラウザのブックマークが増えることと、仕事が前に進むことは別である。
- 順番は、用事、道具、学び。逆にすると、何かできそうな気分だけが残る。その気分は軽く、すぐ冷める。用事が先にあれば、学びは勝手に必要になる。必要になった学びは、眠くなりにくい。必要もないまま動画を見ると、5分で通知に負ける。必要があると、知らない単語でも目が覚める。勉強の才能ではなく、用事の圧力である。
- 30万円の気分より、3,000円の習慣のほうが強い。派手ではないが、毎日触るほうが結局遠くまで行く。大きな決断より、小さな反復のほうが人を変えることがある。しかも失敗しても傷が浅い。高額講座は一度払うと物語になるが、月額課金で毎日触ると生活になる。物語は人に話しやすいが、生活のほうが実力を作る。
入る前に聞くこと
- 「で、何が作れるようになるんですか」と聞け。嫌な顔をされたら帰れ。その顔が、たぶん一番正直な教材だ。作れるものを言えない講座は、最初からゴールが霞んでいる。嫌な顔には情報が詰まっている。説明資料より、質問された瞬間の表情のほうが誠実なことがある。講座名より、その顔を見たほうが早い。
- 「講師はいまもその実務で食っていますか」と聞け。過去の栄光で売る人間は、現在形の話になると急に霧を出す。昔すごかった人より、今も泥をかぶっている人のほうが信用できる。AIの世界で過去の実績は、思ったより早く古くなる。去年の画面で今年の不安を売られていないか、そこは見たほうがいい。
- 「卒業生の成果物を見せてください」と聞け。感想文は成果ではないし、「人生が変わりました」は請求書を払ってくれない。何を作ったか、誰に売ったか、いくらになったか。その話が出ないなら、学びは気分で終わっている。成果物のないスクールは、体育祭の感想文だけ残って競技の記録がないようなものだ。感動はあるが、タイムがない。
- 「今日だけですか」と聞け。今日だけなら、明日いらないものだ。急がせる商品ほど、時間を置くと正体が見える。良いものは、こちらが一晩寝てもそこにある。寝かせると困る商品は、だいたい熱で売っている。熱が冷めると見えてしまうものがあるから、売る側はその日のうちに決めさせたがる。
- 「返金保証の条件を先に読ませてください」と言え。そこで空気が悪くなるなら、その空気が答えであり、契約書より信用できる。まともな相手なら、条件を読まれることを嫌がらない。空気が悪くなる契約は、読む前から少しおかしい。返金保証より先に空気保証をつけてくれ、という話である。
締め
- AIはすごい。これは本当だ。だからこそ、AIを看板にした雑な商売が腹立たしいし、雑に売られるほど道具まで安く見える。道具が悪いのではない。道具のまわりで、安っぽい夢を売る人が増えるのが嫌なのだ。AIが本当に使えるからこそ、そこに寄ってくる雑な売り方が目立つ。良い道具の周りに、悪い看板が立ちすぎている。
- 人生が変わる人はいる。ただし、もともと何かをやろうとしていた人だけだ。AIはゼロを勝手に事業へ変える道具ではなく、すでにある困りごとや作りたいものを大きく前へ押す道具である。何も困っていない人、何も作っていない人、誰にも売ろうとしていない人が高額講座だけ買っても、変わるのはカード明細くらいだ。だから最初に探すべきなのは講座ではなく、自分の生活の中にある具体的な用事である。
- AIは手足を伸ばす。空っぽの手足は伸ばせない。やることがない人に渡しても、伸びた先で空を掴むだけだ。だから最初に必要なのは、AIの知識ではなく、自分が何に困っているかを見つけることだ。困りごとが見つかれば、AIは急に具体的になる。見つからないうちは、どれだけ最新モデルを触っても、すごいですねで終わってしまう。
- 道具に触る前に、道具の学校へ通う必要は薄い。まず一度、自分の面倒な用事を片づけてみればいい。うまくいかないなら、その失敗を持って学べばいい。失敗のない人が講座へ行くと、講師の例題だけが上手になる。例題が上手な人より、自分の用事で一度つまずいた人のほうが、学ぶべき場所をちゃんと知っている。
- 30万円あれば、何年も試せる。何年も試せば、あの講師のスライドをありがたがる必要はなくなるし、自分の失敗のほうがよほど教材になる。失敗は痛いが、少なくとも自分のものだ。誰かの成功スライドより、ずっと信用できる。スライドの成功者はあなたの請求書を払わないが、自分の失敗は次の判断を少しだけマシにする。
- あのクリアファイルの男性が、申し込んでいなければいい。申し込んでいても、まだ遅くない。少なくとも、次の支払いを止めることはできる。そう思いたい。そう思わないと、あの新橋のエレベーターの匂いまで思い出してしまう。結局この記事は、AIの話というより、あの列に並んだ誰かの財布が少しでも守られればいいという話なのかもしれない。