ジェリー・ヤン|リンク集が100万アクセスを突破した日、博士課程をすっぽかした男
1994年、スタンフォード大学の博士課程に在籍する2人の大学院生が、研究そっちのけでウェブサイトのリンク集を作っていました。ジェリー・ヤンとデヴィッド・ファイロ。指導教官がイタリアに長期休暇に出ている間に、2人は学業を放棄してウェブサーフィンに没頭。作成したリンク集「Jerry and David's Guide to the World Wide Web」のアクセスは、1994年末に100万ヒットを突破しました。それがYahoo!の始まりです。
1. 台湾から英語ゼロの少年——10歳のアメリカ上陸
ジェリー・ヤン(楊致遠)は1968年、台湾・台北で生まれました。父は早くに亡くなり、母が英語教師として家計を支えていました。10歳のとき、母とともにアメリカ・カリフォルニア州サンノゼに移住。
渡米時、ヤンが知っている英語の単語は「shoe(靴)」だけだったと本人は語っています。しかし3年後には英語に完全に適応し、学業でもトップクラスの成績を収めるようになりました。
ピードモントヒルズ高校を卒業後、スタンフォード大学に進学。電気工学で学士号と修士号をわずか4年で取得します。その後、博士課程に進み、コンピュータを使ったチップ設計の研究を始めますが——ヤンとファイロにとって、その研究はあまり「ワクワクしない」ものでした。
(出典: Wikipedia「Jerry Yang」、Immigrant Learning Center「Jerry Yang」)
2. 研究室を占拠したリンク集——Yahoo!誕生
1994年初頭、指導教官がイタリアに1年間のサバティカル(長期休暇)に出かけます。これが、Yahoo!が生まれた決定的な偶然でした。
研究の「監視」がなくなったヤンとファイロは、急速に拡大するWorld Wide Webの探索に没頭し始めます。面白いウェブサイトを見つけてはブックマークし、カテゴリ別に整理する——2人はこの作業に、研究時間のほぼすべてを注ぎ込みました。
1994年1月、2人はこのリンク集を「Jerry and David's Guide to the World Wide Web」として公開。カテゴリ別に整理されたウェブサイトのディレクトリは、当時の人々にとって「インターネットの案内図」そのものでした。検索エンジンがまだ十分に機能していなかった時代、人間が選んで整理したリンク集は、圧倒的に実用的だったのです。
1994年末、アクセス数が100万ヒットを突破。2人のリンク集は、スタンフォード大学のサーバーに深刻な負荷をかけ始めていました。
社名は「Yahoo!」に変更。「Yet Another Hierarchical Officious Oracle(また一つの階層的でお節介なオラクル)」の略——とされていますが、ヤンとファイロは「自分たちが"yahoo(野暮な奴)"だから」という説も楽しんでいました。
1995年1月、yahoo.comのドメインを取得。同年4月、セコイア・キャピタルから約200万ドルの投資を受け、スタンフォード大学のキャンパスを出て会社として独立しました。
(出典: Entrepreneur「David Filo & Jerry Yang」、Wikipedia「History of Yahoo」)
3. IPOからインターネットの象徴へ
1996年4月、Yahoo!はIPO。初日の株価は154%上昇し、ヤンとファイロは億万長者になりました。博士論文は結局書かれることなく、2人は「ABD(All But Dissertation=論文以外すべて完了)」のまま学問を離れました。
Yahoo!はインターネット初期を象徴する企業として、メール、ニュース、天気予報、地図など「インターネットの入口」を提供するポータルサイトの代名詞になりました。2000年のピーク時には時価総額1,250億ドルに達しています。
しかし、ドットコムバブル崩壊と、GoogleやFacebookの台頭により、Yahoo!は徐々に輝きを失います。2008年、ヤンはCEOとしてMicrosoftによる446億ドルの買収提案を拒否。結果的にこの判断は裏目に出て、2017年にYahoo!はVerizonにわずか約45億ドルで売却されることになりました。
しかし、Yahoo!がインターネット文化の礎を築いたことに変わりはありません。ヤンとファイロが作った「リンク集」は、何十億もの人々がインターネットに初めてアクセスするための入口だったのです。
4. 中小企業経営者が学べること
- 「好き」から始めたことが事業になる — ヤンとファイロは「研究がつまらないから」ウェブサーフィンを始めた。しかしその「好き」が100万人の需要にマッチした。本業の傍らで続けている「趣味」が、次の事業のヒントかもしれません
- 「整理する」だけで価値がある — Yahoo!は自分でコンテンツを作らず、既存のウェブサイトを整理しただけ。情報が溢れる時代に、「選んで並べる」ことには大きな価値があります
- タイミングが成功を左右する — 1994年はインターネット普及の黎明期。1年早くても遅くても、Yahoo!は生まれなかったかもしれない。市場のタイミングを見極める力は、戦略そのものです
- ハングリー精神は環境から生まれる — 10歳で英語ゼロのまま渡米し、4年で修士号を取得。逆境で培われた適応力と集中力が、事業でも発揮されました
5. 創業・IT活用に使える補助金
小規模事業者持続化補助金(創業型)
| 補助上限額 | 最大250万円 |
|---|---|
| 対象者 | 創業後1年以内の小規模事業者(創業前でも可) |
IT導入補助金
| 補助上限額 | 最大450万円 |
|---|---|
| 活用例 | ウェブサイト構築、マーケティングツール、顧客管理 |
まとめ
ジェリー・ヤンは、10歳で英語ゼロのままアメリカに渡り、スタンフォード大学の博士課程で「研究より面白いもの」を見つけました。指導教官の不在中に作ったリンク集が100万アクセスを超え、博士論文よりインターネットを選んだ。
Yahoo!は最終的にGoogleやFacebookに主役の座を譲りましたが、「好きなことに没頭し、それが世の中の需要とマッチした瞬間に事業化する」というYahoo!の創業パターンは、今でも多くのスタートアップに共通する成功の型です。
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