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経営者向け 創業ストーリー

三木谷浩史と楽天|阪神大震災で「人生は一度きり」と悟った男の異常な情熱

三木谷浩史と楽天|阪神大震災で「人生は一度きり」と悟った男の異常な情熱

1997年、インターネット通販がまだ「胡散臭いもの」扱いされていた時代。三木谷浩史は、月額5万円の出店料でわずか13店舗を集め、「楽天市場」をオープンした。初月の売上は約32万円。誰もが「うまくいくわけがない」と思った。しかし、この男は3年後にJASDAQ上場を果たし、やがて売上高2兆円超・7万人超のグループを率いることになる。出発点にあったのは、震災で親戚を失ったあの日の決意だった。

エリート銀行員の「順風満帆」——三木谷浩史という人

三木谷浩史は1965年、神戸市で生まれた。父は神戸大学の経済学教授、母も教育者という学者一家。一橋大学商学部を卒業後、1988年に日本興業銀行(現・みずほ銀行)に入行する。当時の興銀は日本を代表するエリート銀行であり、入行そのものが一種のステータスだった。

三木谷は入行後、M&Aや不動産金融といった花形部門を担当。1991年にはハーバード大学ビジネススクールに社費留学し、MBAを取得する。ハーバードでの2年間は、のちの起業家人生に決定的な影響を与えた。シリコンバレーの起業家たちと出会い、アメリカのベンチャー文化に触れたことで、「自分でビジネスを立ち上げたい」という欲求が芽生え始める。

帰国後も外資系部門で大型案件を手がけ、年収は推定2,000万円超。30歳にして、日本のエリートサラリーマンとしての王道を歩いていた。

しかし、この順風満帆な人生は1995年1月17日、一瞬で揺さぶられることになる。

(出典: Wikipedia「三木谷浩史」、楽天グループ公式「沿革」)

阪神大震災——「人生はあっという間」の覚醒

1995年1月17日午前5時46分、阪神・淡路大震災が発生。マグニチュード7.3の直下型地震は、三木谷の故郷・神戸を壊滅的に破壊した。死者6,434人、全壊家屋約10万5,000棟。三木谷自身も叔父と叔母を震災で亡くしている。

この体験が、三木谷の人生観を根本から変えた。のちに本人が繰り返し語っている言葉がある。

「人生はあっという間に終わる。やりたいことをやらずに死んだら、一生後悔する」

-- 三木谷浩史

安定した銀行員生活を捨てるリスクは承知していた。しかし「このまま銀行にいて、50歳、60歳になったとき、自分の人生に何が残るのか」——その問いに対する答えは明白だった。

1996年、三木谷は31歳で日本興業銀行を退職。妻の晴子氏(のちの楽天副社長)とともに、インターネットビジネスの世界に飛び込む。退職時、同僚たちの反応は冷ややかだった。「もったいない」「正気か」。しかし三木谷にとって、銀行に残ること自体が「もったいない」ことだった。

震災から数か月後、三木谷は復興支援のボランティアに参加する中で、もう一つの発見をしている。地方の小さな商店が、流通の力を借りられないまま苦しんでいる現実だ。百貨店にも大型モールにも入れない個人商店が、良い商品を持ちながら販路がない。この原体験が、のちの「楽天市場」のコンセプトに直結していく。

(出典: Wikipedia「阪神・淡路大震災」、東洋経済オンライン「三木谷浩史の原点」)

月額5万円・13店舗——楽天市場の船出

1996年2月、三木谷はコンサルティング会社クリムゾングループを設立。1997年2月7日、インターネット・ショッピングモール「楽天市場」をオープンした。資本金6,000万円、従業員6名のスタートだった。

楽天市場のビジネスモデルは、当時の常識からすれば異端だった。ECサイトの主流は「直販型」——自社で商品を仕入れて売るモデルだ。しかし三木谷が選んだのは、「モール型」。場所を提供し、出店者に商売をしてもらうプラットフォームビジネスだった。

出店料は月額5万円。当時のEC業界では破格の安さだったが、それでも集まったのはわずか13店舗。初月の流通総額は約32万円。三木谷自身が出店者候補に電話をかけまくり、時には直接店舗を訪問して「インターネットで商売しませんか」と頭を下げた。

「最初の営業は、ほとんど門前払いだった。『インターネット? そんなもので物が売れるわけがない』。100件電話して、1件話を聞いてもらえればいいほうだった」

-- 三木谷浩史

しかし三木谷には確信があった。アメリカで見たAmazon(1995年創業)やeBay(1995年創業)の急成長。そしてインターネットが「個人と個人を直接つなぐ」という本質的な力を持つこと。百貨店にもモールにも入れない小さな商店が、ネット上なら全国の消費者にリーチできる。これは「商売の民主化」だ、と三木谷は確信していた。

この確信は、単なるビジネス上の見込みではなかった。神戸で見た、販路を持たない個人商店の苦しみ。興銀時代に目の当たりにした、大企業に有利な流通構造。それらを変えたいという強烈な使命感が、三木谷を突き動かしていた。

(出典: 楽天グループ公式「沿革」、Wikipedia「楽天グループ」)

「店長が主役」——出店者への異常な没頭

楽天市場の初期成長を支えたのは、三木谷の「出店者ファースト」の姿勢だった。これは口先だけのスローガンではない。文字通り、異常なレベルの没頭だった。

三木谷は毎週のように「楽天大学」と呼ばれる出店者向け勉強会を開催。自ら講師として登壇し、ページの作り方、商品写真の撮り方、メルマガの書き方まで、手取り足取り教えた。出店者の売上が上がれば楽天の手数料収入も上がる——ビジネスとしては合理的だが、創業者自らが毎週勉強会を開くのは尋常ではない。

さらに三木谷が重視したのが、「楽天市場ショップ・オブ・ザ・イヤー」の表彰制度だ。1998年から毎年開催されるこの式典で、優秀な店舗を盛大に表彰する。三木谷はこう語っている——「店長さんが主役なんです。僕たちはあくまで黒子。店長さんが成功すれば、楽天も成功する」。

この「店長が主役」の思想は、Amazonとの決定的な違いを生んだ。Amazonが「品揃えと価格と配送スピード」で勝負する効率の追求だとすれば、楽天は「店長の個性とストーリー」で勝負する人間味の追求だった。北海道の漁師が自分で獲った毛ガニを語り、京都の老舗が抹茶スイーツの製法を語る。その「語り」が購買につながる——ECの形として、これは一つの発明だった。

出店数は急速に拡大する。1997年5月に100店舗、1998年10月に2,000店舗、1999年末には5,000店舗を突破。そして2000年4月、楽天はJASDAQ上場を果たす。創業からわずか3年。初月の流通総額32万円だったモールが、年間流通総額数百億円規模にまで成長していた。

(出典: 楽天グループ公式「沿革」、Wikipedia「楽天市場」)

逆風と「英語公用語化」——異常な賭け

楽天の歴史は、順風ばかりではなかった。むしろ三木谷は、自ら嵐の中に突っ込んでいくタイプの経営者だ。

2002年、楽天トラベルの買収を皮切りに、金融(楽天カード、楽天銀行、楽天証券)、通信、プロスポーツ(東北楽天ゴールデンイーグルス)へと事業を急拡大。しかし、この多角化には常に批判がつきまとった。「ECの会社がなぜ銀行を?」「なぜプロ野球を?」——市場からの疑いの目は厳しかった。

中でも最大の衝撃は、2010年に発表した「社内公用語英語化」だった。日本企業としては異例中の異例。社員約6,000人に対し、2年以内にTOEIC 800点以上の取得を求めた。社内会議、メール、食堂のメニューまで英語化。「ここは日本の会社なのに、なぜ英語なのか」という社内外からの猛反発が巻き起こった。

「グローバルに展開する以上、英語は空気のように当たり前のものでなければならない。日本語の壁が、日本企業の最大のボトルネックだ」

-- 三木谷浩史

反発は激しかった。英語に対応できず退職した社員もいたとされる。メディアからは「パフォーマンス」「現実離れ」と批判された。しかし三木谷は一歩も引かなかった。

結果として、英語公用語化は楽天のグローバル展開を加速させた。2012年にはフランスのECサイト「PriceMinister」、カナダの電子書籍「Kobo」、アメリカの動画配信「Viki」を相次いで買収。世界30か国・地域に事業を展開する体制を整えた。英語公用語化がなければ、これほどの速度でグローバル人材を統合することは不可能だっただろう。

もう一つの大きな逆風が、楽天モバイルだ。2020年に第4のキャリアとして本格参入したものの、基地局建設の投資負担は想定を大きく上回り、楽天グループの連結決算は2020年度から4期連続の最終赤字を記録。赤字額は累計で約1兆円に達した。株価は一時、ピーク時の約4分の1まで下落。「楽天は終わった」という声が市場を覆った。

しかし三木谷は、モバイル事業からの撤退を一貫して否定し続けた。2024年度第3四半期には楽天モバイルの契約回線数が800万回線を突破し、EBITDA(利払い前・税引き前・減価償却前利益)ベースでの単月黒字化を達成。グループ全体でも2024年度通期で5年ぶりの最終黒字に復帰した。

(出典: Wikipedia「楽天グループ」、楽天グループ IR情報)

「楽天エコシステム」——一つの狂気が生んだ経済圏

三木谷の「異常な情熱」が最も明確に結実したのが、楽天エコシステム(経済圏)と呼ばれるビジネスモデルだ。

楽天市場で買い物をすると楽天ポイントが貯まる。そのポイントで楽天トラベルの宿泊を予約し、楽天カードで決済し、楽天銀行から引き落とし、楽天モバイルの通信料にも充てられる。1億以上の楽天会員IDを軸に、EC・金融・通信・旅行・エンタメが一つの経済圏として循環する仕組みだ。

1997年 楽天市場オープン(13店舗・月商32万円)
2000年 JASDAQ上場(創業3年)
2004年 プロ野球参入(東北楽天ゴールデンイーグルス)
2010年 社内公用語英語化を宣言
2012年 Kobo・PriceMinister買収(グローバル展開加速)
2020年 楽天モバイル本格参入(第4のキャリア)
2024年度 5年ぶり最終黒字復帰・モバイル800万回線突破

このエコシステムの構想を最初から描いていたのかと問われれば、答えはおそらくノーだ。しかし三木谷には一貫した信念があった——「インターネットはすべてのサービスをつなげられる。つなげれば、利用者にとっての価値が飛躍的に高まる」。

この信念は、楽天ポイントという「共通言語」を生み、金融と通信とECという全く異なる事業を一つの経済圏にまとめ上げた。傍から見れば「なぜECの会社が携帯電話を?」「なぜプロ野球を?」と不可解に映る。しかし三木谷の頭の中では、すべてが一つの絵の中に収まっていた。

「一つのIDで、生活のすべてが完結する世界」——これは壮大な構想であると同時に、一種の狂気でもある。楽天モバイルへの参入で累計1兆円の赤字を出してなお撤退しなかったのは、この構想への確信があったからにほかならない。

(出典: 楽天グループ公式「楽天について」、日本経済新聞「楽天グループ5年ぶり黒字」)

まとめ

三木谷浩史は、エリート銀行員としての安定を捨て、阪神大震災を機に起業の道を選んだ。月額5万円・13店舗から始まった楽天市場は、3年で上場し、やがて売上高2兆円超の経済圏へと成長した。

英語公用語化で社内外から猛反発を受けても引かなかった。モバイル事業で1兆円の赤字を出しても撤退しなかった。傍から見れば無謀に映る判断の裏には、「インターネットで商売を民主化する」「一つのIDで生活を完結させる」という、一種の狂気にも近い確信があった。

この記事を書いた人

松田信介
松田 信介 Shinsuke Matsuda

X-HACK Inc. 代表取締役 / PARKLoT CTO

Microsoft for Startups Founders Hub 採択

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