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創業ストーリー 経営者向け

ラリー・エリソン|IBMが見捨てた論文を読んで「俺がやる」——資本金1,200ドルの反逆

ラリー・エリソン|IBMが見捨てた論文を読んで「俺がやる」——資本金1,200ドルの反逆 - コラム - 補助金さがすAI

1970年代、IBMの研究者エドガー・F・コッドが「リレーショナルデータベース」という革命的な概念を論文にまとめました。しかしIBM自身はこの技術を商用化しなかった。その論文を読んだ一人の男が言いました——「俺がやる」ラリー・エリソン、当時32歳。養子として育ち、大学を2度中退し、手持ちの資金はわずか1,200ドル(約18万円)。その男が創業したOracle(オラクル)は、現在時価総額約4,000億ドル(約60兆円)を超える世界最大級のソフトウェア企業に成長しています。

1. 養子、2度の中退、カリフォルニアへ

ラリー・エリソンは1944年、ニューヨークで生まれました。母のフローレンスは当時19歳の未婚の女性。生後9か月でエリソンが肺炎にかかると、養育を断念し、シカゴのサウスサイドに住む叔母リリアンと叔父ルイス・エリソン夫妻に養子として託しました。

シカゴのサウスサイドは、ユダヤ系移民が多く暮らす中流下層の地区。養父のルイスはロシアからの移民で、大恐慌で不動産業を失い、以来ずっと控えめな暮らしを送っていました。ルイスはエリソンに繰り返しこう言いました——「お前は何をやっても大したことにはならない」。エリソンは後に、この言葉が自分の反骨心の原点だったと語っています。

少年時代のエリソンは、養父の期待とは裏腹に科学と数学で際立った才能を見せました。しかし反抗的な性格で、権威に従うことを嫌った。養母のリリアンだけが唯一の理解者で、エリソンの知的好奇心を認め、励まし続けました。そのリリアンが1966年に亡くなったことが、エリソンの人生を狂わせます。

イリノイ大学に入学するも、養母の死のショックで2年で中退。シカゴ大学に移りますが、こちらも1学期で中退。22歳のエリソンは所持金わずかで中古車に乗り込み、シカゴの寒さから逃れるようにカリフォルニアへ向かいました。「あの時の自分には何もなかった。学歴もない、金もない、コネもない。あるのは、養父が間違っていることを証明してやるという執念だけだった」と後に語っています。

シリコンバレーでプログラマーとして働き始め、Amdahl社やAmpex社で経験を積みます。この時期にエリソンが出会ったのが、IBMのエドガー・F・コッドが書いた論文「大規模共有データバンクのためのリレーショナルモデル」でした。

(出典: Wikipedia「Larry Ellison」Academy of Achievement「Larry J. Ellison」

2. IBMが手をつけない論文——「俺がやる」の決断

コッドの論文は、データを「テーブル(表)」として整理し、柔軟に検索・結合できるデータベースの理論を提唱するものでした。当時のデータベースは階層型やネットワーク型で、複雑で使いにくかった。リレーショナルモデルは革命的でしたが、IBM社内では既存製品との競合を恐れて商用化に踏み切れませんでした。

エリソンはこの状況を見て、即座に判断しました。

「IBMが自分たちの研究を商用化しないなら、俺がやる

1977年、エリソンはAmpex時代の上司ボブ・マイナー、同僚のエド・オーツとともにSoftware Development Laboratories(SDL)を設立。出資総額はわずか2,000ドル、うちエリソンの持ち出しは1,200ドルでした。

最初の顧客はCIA(中央情報局)。機密プロジェクトのコードネームが「Oracle」——これが後の社名になります。エリソンは、コッドの理論をベースにしながらも、IBMの「System R」とは互換性のない独自のSQL実装を選びました。IBMがエラーコードの共有を拒否したためですが、結果的にこの「独自路線」がOracleの差別化要因になります。

(出典: Wikipedia「Oracle Corporation」Financhill「How Oracle Got Started」

3. 「売ってから作る」——エリソン流の攻めの経営

エリソンの経営スタイルは、最初から攻撃的でした。彼は「まだ完成していない製品を売る」ことを恐れませんでした。顧客が求める機能を約束し、契約を取ってから開発する。シリコンバレーでは「vaporware(蒸気ソフト=実体のないソフト)」と批判されることもありましたが、エリソンは意に介しませんでした。

1986年3月、OracleはIPO(株式公開)を実現。しかし1990年、急成長の裏で売上の過大計上が発覚し、株価は急落。エリソン自身が「会社が潰れるかと思った」と振り返るほどの危機でした。

しかしエリソンは、この危機を転機に変えます。財務管理を強化しながら、データベース市場での支配的地位を確立。企業向けソフトウェアの買収を積極的に進め、PeopleSoft、Siebel Systems、Sun Microsystemsを次々と傘下に収めました。

エリソンの口癖は「ナンバーワンかゼロか」。2位で満足することを許さない。その攻撃性は批判も多いですが、結果として世界の企業向けデータベース市場でOracleがトップシェアを占める状況を作り上げました。

4. 中小企業経営者が学べること

  • 大企業が手をつけないものにチャンスがある — IBMが商用化を見送ったリレーショナルデータベースが、Oracleの出発点でした。大手が「リスクが高い」と避ける分野にこそ、中小企業の参入余地があります
  • 学歴や生い立ちは関係ない — 養子で大学2度中退のエリソンが、世界有数の富豪に。重要なのは「何を知っているか」ではなく「何をやるか」です
  • 資本金は最小限でいい — 1,200ドルで始めたOracleが60兆円企業に。最初に必要なのは大金ではなく、顧客の課題に対する解決策です
  • 危機を転機に変える — 1990年の売上過大計上の危機から、財務管理を強化して再成長。失敗から学び、仕組みを改善する姿勢が重要です

5. 創業・事業拡大に使える補助金

エリソンは1,200ドルで世界的ソフトウェア企業を築きました。日本にも創業を支援する制度があります。

小規模事業者持続化補助金(創業型)

補助上限額 最大250万円
対象者 創業後1年以内の小規模事業者(創業前でも可)

IT導入補助金

補助上限額 最大450万円
活用例 データベース導入、業務システム構築、クラウド移行

まとめ

ラリー・エリソンは、養子として育ち、大学を2度中退し、1,200ドルの手持ち資金でOracleを創業しました。IBMが商用化を見送った論文を読んで「俺がやる」と決断した瞬間が、すべての始まりです。

大企業が手をつけない領域にこそ、中小企業のチャンスがある。エリソンの物語はそれを証明しています。あなたの事業分野にも、大手が見落としている「論文」があるかもしれません。

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