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創業ストーリー 経営者向け

スティーブ・ジョブズ|自分の会社から追放→12年後に復帰して世界一にした男

スティーブ・ジョブズ|自分の会社から追放→12年後に復帰して世界一にした男 - コラム - 補助金さがすAI

1985年、30歳のスティーブ・ジョブズは、自分が創業した会社から追い出されました。自ら招聘したCEOとの権力闘争に敗れ、Appleを去ったのです。それから12年。1997年にAppleに復帰したとき、会社は倒産まであと90日の状態でした。70種類あった製品をわずか4つに絞り、「Think Different」を掲げて再出発。そこから生まれたiMac、iPod、iPhone、iPadは世界を変え、Appleの時価総額は約3兆ドル(約450兆円)に達しています。

1. ガレージから始まった——養子、中退、そして創業

スティーブ・ジョブズは1955年、サンフランシスコで生まれました。生まれてすぐ養子に出され、カリフォルニア州マウンテンビューのポール・ジョブズ、クララ・ジョブズ夫妻に育てられます。養父のポールは機械工で、自宅のガレージで車の修理をしていました。ジョブズはこのガレージで、ものづくりの原体験を得ます。

1972年、オレゴン州のリード大学に入学しますが、わずか半年で中退。学費を払い続ける養父母への罪悪感が理由でした。しかし中退後も大学に居座り、興味のある授業だけを聴講する生活を続けます。この時期に受けたカリグラフィー(西洋書道)の授業が、後にMacintoshの美しいフォントを生む原点になりました。

1974年、アタリ社にテクニシャンとして就職した後、インドへ精神修行の旅に出発。帰国後、幼なじみのスティーブ・ウォズニアックが設計したコンピュータの基板を見て、「これを売ろう」と提案します。

1976年4月1日、ジョブズ(21歳)、ウォズニアック、ロナルド・ウェインの3人でApple Computer Companyを設立。場所は、ジョブズの実家のガレージでした。最初の製品「Apple I」は手作りの基板で、価格は666.66ドル。ウォズニアックが天才的な技術を、ジョブズがビジョンとセールスを担当する——この役割分担が、Appleの原型です。

(出典: Wikipedia「Steve Jobs」Library of Congress「The Founding of Apple Computer」

2. 自分の会社から追放される——1985年の屈辱

Apple IIの大成功で会社は急成長し、1980年にIPO。ジョブズは25歳で約2億ドルの資産を持つ億万長者になりました。しかし、経営者としてのジョブズは問題だらけでした。

完璧主義による製品開発の遅延、チーム間の対立を煽るマネジメントスタイル、そして1983年に鳴り物入りで発売した「Lisa」の商業的失敗。取締役会は「プロの経営者」を求め、ジョブズ自身がペプシコーラの社長ジョン・スカリーを口説き落としてCEOに招聘します。

「このまま一生砂糖水を売り続けるのか、それとも世界を変えるチャンスが欲しいか?」

— ジョブズがスカリーを口説いた有名な言葉

しかし1985年、そのスカリーとの権力闘争に敗北。取締役会はジョブズからすべての実権を剥奪し、ジョブズは自分が創業した会社を追われることになりました。30歳のことです。

後にジョブズはスタンフォード大学の卒業式スピーチでこう振り返っています——「当時は分からなかったが、Appleをクビになったことは、人生で最良の出来事だった」

(出典: Britannica「Steve Jobs」

3. 12年の放浪——NeXTとPixar

Apple退社後、ジョブズは2つの会社を立ち上げます。

1つ目はNeXT。高性能ワークステーションを開発する会社で、Apple時代の部下5人を引き連れて創業しました。技術的には先進的でしたが、1台1万ドルという価格設定が災いし、累計販売台数はわずか5万台。商業的には失敗でした。

2つ目はPixar。1986年、ジョージ・ルーカスのコンピュータグラフィックス部門を1,000万ドル(技術権利500万ドル+出資500万ドル)で買収しました。Pixarは当初ハードウェア会社として苦戦し、ジョブズは何度も追加出資を余儀なくされます。しかし1995年、世界初のフルCGアニメーション映画『トイ・ストーリー』が公開され、興行収入3億7,000万ドルの大ヒット。Pixarは一躍、ハリウッドのトップスタジオに躍り出ました。

注目すべきは、NeXTの「失敗」が後に巨大な価値を生んだことです。NeXTが開発したオペレーティングシステム「NeXTSTEP」は、後のMac OS Xの基盤となり、現在のiPhone・iPad・Macすべてのソフトウェアの祖先です。失敗した事業の技術が、世界を変える製品の土台になった——これは、ジョブズ自身も予想していなかった展開でした。

(出典: Wikipedia「Steve Jobs」Wikipedia「Pixar」

4. 倒産まで90日——Appleへの帰還

ジョブズ不在のAppleは迷走を続けていました。1997年、年間10億ドル以上の赤字、従業員3,800人を解雇、運転資金はあと90日分。倒産は時間の問題でした。

起死回生の一手として、AppleはNeXTを4億2,900万ドルで買収。ジョブズは「顧問」としてAppleに復帰し、同年9月に暫定CEO(iCEO)に就任します。

復帰直後のジョブズの行動は、苛烈でした。

  • 製品を70種類からわずか4つに削減 — 「消費者向けデスクトップ」「消費者向けノート」「プロ向けデスクトップ」「プロ向けノート」の4象限のみ
  • Microsoftから1億5,000万ドルの出資を受け入れ — 「敵」に頭を下げた
  • 「Think Different」キャンペーンを開始 — 製品ではなく「価値観」を売る広告戦略

翌年、Appleは赤字10億ドルから黒字3億900万ドルへ一気に転換。ここから怒涛の製品ラッシュが始まります。

1998年 iMac — 半透明のカラフルなデザインでPC市場を席巻
2001年 iPod + iTunes — 音楽産業を根本から変えた
2007年 iPhone — 「電話を再発明した」とジョブズが宣言
2010年 iPad — タブレット市場を創出

2011年10月5日、ジョブズは膵臓がんにより56歳で死去。しかし彼が築いた製品とブランドは、死後も成長を続けています。

(出典: Inc.「25 Years Ago, Steve Jobs Saved Apple From Collapse」YourStory「From 90 Days to Bankruptcy to a 9000% Growth」

5. 「異常な情熱」の正体——引き算の美学

ジョブズの情熱は、イーロン・マスクのような「何があっても前に進む」タイプとは異質です。ジョブズの情熱は、「不要なものを削ぎ落とす」ことに向けられていました。

70種類の製品を4つに絞る。ボタンを極限まで減らす。パッケージの開封体験にまでこだわる。ジョブズは、製品に何を「入れるか」よりも、何を「入れないか」に執着しました。

「フォーカスとは、フォーカスすべきものにイエスと言うことだと誰もが思っている。しかし、そうではない。それ以外の100の良いアイデアにノーと言うことだ」

— スティーブ・ジョブズ

この「引き算の美学」は、Appleを追放された12年間に磨かれたものです。NeXTでは高性能に固執して市場を失い、Pixarでは赤字を垂れ流しながらもCGアニメーションの品質に一切の妥協をしなかった。失敗と成功の両方から、「本当に大事なものだけに集中する」という原則を学んだのです。

Apple追放は屈辱でした。しかし、その12年間がなければ、iPhoneは生まれなかった。NeXTの技術がなければMac OS Xは存在せず、Pixarでの経験がなければジョブズはコンテンツとテクノロジーの融合を理解できなかった。「人生の点と点は、後からしかつながらない」——2005年のスタンフォード大学でのスピーチで語ったこの言葉は、ジョブズ自身の人生の要約です。

6. 中小企業経営者が学べること

スティーブ・ジョブズの物語から、中小企業経営者が学べることは多くあります。

  • 「何をやらないか」を決める — ジョブズは70製品を4つに絞って会社を救いました。リソースが限られる中小企業こそ、「やらないこと」を明確にすることが生死を分けます
  • 失敗の経験を「資産」に変える — NeXTの商業的失敗は、Mac OS Xという革命的OSの土台になりました。事業がうまくいかなかった経験は、次の挑戦の最大の武器になり得ます
  • 「追放」されても戻る執念を持つ — ジョブズは自分の会社を追われても、情熱を失いませんでした。事業環境が変わっても、自分が本当にやりたいことを見失わないことが大切です
  • 顧客体験のすべてにこだわる — ジョブズはパッケージの開封体験にまでこだわりました。「商品」だけでなく「体験」全体を設計する視点は、どんな業種でも差別化の源泉になります
  • 異分野の知識が武器になる — 大学中退後に聴講したカリグラフィーの授業が、Macのフォントを生みました。一見無関係な経験が、後に事業の独自性を生むことがあります

7. 創業・事業承継に使える補助金

ジョブズはガレージからAppleを創業しました。日本にも、小さく始める創業者を支援する制度があります。

小規模事業者持続化補助金(創業型)

補助上限額 最大250万円
対象者 創業後1年以内の小規模事業者(創業前でも可)
対象経費 店舗改装、広告掲載、展示会出展費用など

事業承継・M&A補助金

補助上限額 最大2,000万円(賃上げ特例あり)
主な枠 事業承継促進枠 / 専門家活用枠 / PMI推進枠
特徴 事業承継計画書の提出が必須

IT導入補助金

補助上限額 最大450万円
対象 ITツール導入で業務効率化を図る中小企業
活用例 会計ソフト、ECサイト構築、顧客管理システム導入

まとめ

スティーブ・ジョブズは、21歳でガレージからAppleを創業し、30歳で自分の会社から追放され、42歳で倒産寸前の会社に復帰して世界一に導きました。

追放された12年間は、傍から見れば「失敗の時代」です。しかしNeXTの技術はMac OS Xになり、Pixarの経験はコンテンツとテクノロジーの融合を教えてくれた。「点と点は後からしかつながらない」——ジョブズが身をもって証明した言葉です。

あなたの事業で「うまくいかなかった経験」は、次の飛躍の土台になるかもしれません。その挑戦を、補助金制度が後押ししてくれます。

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