大久保秀夫(フォーバル)|25歳で電電公社の牙城に法律の隙間から参入、自腹33億円で日本の通信を変えた情熱
「法律をよく読んだら、1回線1台だけ電電公社の電話を借りれば、あとは民間で売っていい」——その一文が大久保秀夫(おおくぼ ひでお)の人生を変えた。1980年、25歳。日本中の企業が電電公社から電話機を借り続けることを疑いもしない時代に、大久保は「これは何千万社もの企業を顧客にできるビジネスだ」と確信し、新日本工販株式会社(現・株式会社フォーバル)を設立した。設立6ヶ月で業界2位。1年で業界最高利益企業。そして通信自由化のために自腹で33億円を投じ、創業8年2ヶ月で日本最短記録(当時)での株式公開を達成した。規制と独占という「壁」を、法律の理解と尋常ならざる行動力で突き破った経営者の軌跡を辿る。
妻の一言と「法律の隙間」——25歳の起業家が発見した伏兵市場
1954年10月2日、東京都に生まれた大久保秀夫は、1977年に國學院大學法学部を卒業後、アパレル関連企業に就職した。しかし「自分でビジネスをしたい」という思いは消えず、外資系教材販売会社に転職し、飛び込み営業の現場でセールスの腕を磨いた。商材を探し続けた大久保が、あるときNECの関連会社でアルバイトをする機会を得た。そこで目撃したのがビジネスフォン市場だった。
当時、日本中の企業が使う電話機は、ほぼすべて電電公社(現・NTT)が供給・貸与していた。公衆電気通信法により、電話回線1本につき1台は必ず電電公社から借りることが義務づけられていた——しかし大久保はこう気づいた。「2台目以降は、民間から購入してもいい」。誰もが「電話は電電公社から借りるもの」と思い込んでいた。だが法律の条文は、あくまで「1台目のみ」を義務づけていたに過ぎなかった。
複数の電話機を使う企業——いわゆるビジネスフォンの需要は、日本全国に無数に存在した。しかもそれは、まだほとんど誰も民間で手がけていない市場だった。「日本中の企業が顧客になる。しかも競合が事実上いない」——大久保は確信し、1980年9月、25歳で新日本工販株式会社を設立した。資本金300万円。妻からの叱責が転機になったとも語られる、文字どおり背水の陣での船出だった。
6ヶ月で業界2位——リースと「10年無料保証」が電電公社に勝った理由
「電電公社に勝つためには、単に安いだけでは足りない。顧客に圧倒的な安心を提供しなければならない」——大久保が打ち出した戦略は明快だった。第一に、電電公社がレンタル料金を一律に設定していたのに対し、新日本工販はリース(分割払い)を導入し、月々の支払いを電電公社のレンタルより低く抑えた。同じ機能で毎月の負担が少なくなるなら、企業が乗り換えない理由はない。
第二の武器は、業界初の「10年間無料保証」だった。電電公社は修理に来るが、その対応は官僚的で遅かった。新日本工販は故障した際に素早く無料で対応することを約束した。「安い・安心・アフターサービス万全」——この三点セットが、顧客の心を動かした。設立からわずか6ヶ月で売上高が業界2位に躍り出た。1981年には電電公社を除いた民間ビジネスフォン販売で業界1位となり、創業1年足らずで業界最高利益企業の座に就いた。
しかし急成長には危険が伴う。「業界最大手がひとたびつぶしにかかったら、1社では太刀打ちできない」という懸念が大久保の頭をよぎった。電電公社という巨人を相手に、ひとつのベンチャーが単独で戦い続けるのは限界がある。そこで大久保は、誰もが驚く選択をした。
「出る杭を増やせ」——ライバルにノウハウを配った逆転の発想
「巨大企業にも止めることができない大きな流れをつくればいい」——大久保が取った行動は、競合他社へのノウハウの無償提供だった。民間ビジネスフォン販売のセミナーを開催し、業界の後発プレイヤーたちに自社の成功ノウハウを積極的に教えた。普通の経営者なら、競合を育てることなど絶対に避ける。ところが大久保の計算は逆だった。
電電公社が圧力をかけるとしたら、1社か2社程度なら対処できる。だが、民間ビジネスフォン販売を行う企業が全国に何十社、何百社と増えれば、その流れを止めることは誰にもできない。「出る杭を打たれないように、出る杭を増やした」——これが大久保の本質的な戦略だった。競合を育てることで業界全体を巨大化させ、自社が安全に成長できる生態系を創り上げたのだ。
この発想は、後の経営哲学「社会性・独自性・経済性」の原型でもある。まず「社会をよりよくする」という使命があり、その使命の遂行が結果として自社の利益にもなる。大久保にとって通信の自由化は、利益を追うプロセスではなく、社会変革を追うプロセスだった。だからこそ、ライバルに知識を分け与えることも厭わなかった。
「巨大企業にも止めることができない大きな流れをつくればいい」
-- 大久保秀夫(ドリームゲートインタビューより)
(出典: ドリームゲート「第57回 株式会社フォーバル 大久保秀夫」、経営者通信Online「株式会社フォーバル 大久保秀夫」)
33億円の賭け——NCC BOXと通信回線自由化への挑戦
1985年、電電公社の民営化によりNTTが発足し、電話端末機器の自由化が実現した。民間ビジネスフォン市場のシェアは約50%に達し、大久保が10年かけて変えようとした「電話機の世界」は確かに変わった。しかし大久保の目は、すでに次の戦場を見ていた。端末機器の自由化は達成した。次は「通信回線」の自由化だ。
当時、長距離通話の主役は依然としてNTTだった。3分400円という料金は固定されたままで、競争原理は働いていなかった。しかし1985年以降、第二電電(DDI)、日本テレコム、日本高速通信(TWJ)などいわゆる「新電電(NCC)」が相次いで参入し、NTTより安い長距離通話サービスを開始した。課題は、どの会社の回線を使えばいいかが一般ユーザーにはわかりにくいことだった。
大久保が考案したのが「NCC BOX(全自動新電電選択アダプター)」だ。電話機とNTTの回線の間に設置するだけで、かけた相手や時間帯に応じて最も料金の安い通信キャリアを自動的に選択するLCR(Least Cost Routing)機能を持つ装置だった。この開発に大久保が投じたのが、自腹の33億円だった。当時のフォーバルの規模を考えれば、まさに会社の命運を賭けた投資だった。
NCC BOXが普及すれば、国民全体が自動的に最安値の通信を使えるようになる。通信費を高止まりさせているNTTの独占に競争原理をもたらす——大久保の野心は、電話機の販売から日本の情報通信インフラの変革へとスケールアップしていた。
(出典: Wikipedia「大久保秀夫」、ライブドアニュース「孫正義から同志へ『やめてもいいよ』稲盛に屈した若き日の挫折」)
稲盛和夫との対決——独占契約を蹴ったクリスマスイブの夜
NCC BOXの開発が進む中、大久保に近づいてきたのが孫正義(当時日本ソフトバンク社長)だった。2人はそれぞれ独自にNCC対応のアダプター開発を進めていたが、互いの取り組みを知って連携することになった。1986年のクリスマスイブ。孫正義と大久保秀夫の2人は、DDI(第二電電)の設立者・稲盛和夫が待つ京セラ本社(京都)に乗り込んだ。
稲盛は試作品を手に取ると、開口一番こう告げた。「わかった、50万台買う。ただし、DDI以外には売るな」。10,000円の単価で50万台なら50億円の取引だ。稲盛が独占販売権を求めたのは当然だった——DDIとしては、NCC BOXが他の新電電各社でも使えるなら、自社への集客効果が薄れるからだ。
7時間に及ぶ交渉の末、大久保と孫は契約書にサインした。しかし、その夜2人は後悔に押しつぶされた。DDIだけに独占販売すれば、NCC BOXは「特定のキャリアへ誘導する道具」になってしまう。それでは、すべての国民が自由に安い通信を使えるようにするという目的が果たせない。翌朝、大久保と孫は稲盛のもとに戻り、「契約を白紙にしてほしい」と直訴した。稲盛は怒りをあらわにしたが、最終的に書類を返した。
その後、2人は日本テレコムとロイヤルティ契約を結び、NCC BOXは各新電電すべてに対応する形で世に出た。結果、NCC BOXは年間100万台の普及を達成し、NCC参入を皮切りとした通信競争の結果、長距離通話料金は3分400円台から80円台へと大幅に低下した。日本全体の通信コストを劇的に下げるという使命は、確かに果たされた。
「いつか必ず、通信事業者のオーナーになる。大久保さん、待っていてください」
-- 孫正義(大久保秀夫との別れ際、ソフトバンクの通信事業参入への伏線)
(出典: ライブドアニュース「孫正義から同志へ『やめてもいいよ』稲盛に屈した若き日の挫折」、PRESIDENT Online(2ページ目))
日本最短記録上場と「次の使命」——中小企業支援への転換
1988年11月、新日本工販(フォーバル)は店頭登録銘柄(現・JASDAQ)として株式を公開した。創業からわずか8年2ヶ月——当時の日本最短記録であり、同時に上場時の社長の年齢も史上最年少だった(ともに当時)。同年、社団法人ニュービジネス協議会から「第1回アントレプレナー大賞」を受賞した。かつての電電公社市場への「闖入者」が、日本経済の表舞台で正式に認められた瞬間だった。
上場を経てフォーバルはCI(コーポレートアイデンティティ)を刷新し、社名を「フォーバル(For Social Value)」に変更した。しかし大久保が求め続けたものは、上場や規模の拡大ではなかった。「日本の中小企業にとって、なくてはならない存在になる」——この新たな使命が、フォーバルの次のステージを定義した。
通信自由化という社会課題を解決した経験を持つフォーバルは、1990年代以降、中小企業が直面する様々な経営課題——情報通信の導入、海外展開、環境対応、人材育成、事業承継——に対して「次世代経営コンサルタント」として寄り添う会社へと転換した。現在、フォーバルグループは約2,400名(連結)の従業員と37社超のグループ企業を擁し、全国の中小企業の経営支援を続けている。
大久保自身は代表取締役会長として現役を続けながら、「儲けは手段、幸福追求が企業の目的」という哲学を発信し続けている。2016年から2022年まで東京商工会議所の副会頭を務め、社団法人・NPO・講演・著書など多方面で中小企業経営者へのメッセージを発信している。
(出典: 株式会社フォーバル「代表挨拶」、日経ビジネス「大久保秀夫フォーバル会長『儲けは手段、幸福追求が企業の目的』」)
まとめ
大久保秀夫は、法律の条文を精読した25歳の起業家として出発し、電電公社という昭和の独占巨人に正面から挑んだ。武器は資本でも政治的コネクションでもなく、「法律の正確な理解」と「業界全体を育てる逆張りの戦略」と「社会変革への揺るがぬ信念」だった。
設立6ヶ月で業界2位、1年で業界最高利益、33億円を自腹でNCC BOXに投じ、長距離通話料を8割以上下げ、日本最短記録で上場——この軌跡は、規模でも資金でも劣っていた経営者が「世の中をよくしたい」という使命感を原動力にしたとき、何が可能になるかを証明している。


