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経営者向け 創業ストーリー

孫正義(ソフトバンク)|みかん箱演説・16歳の直談判・病床約3,000冊が生んだ「異常な情熱」

孫正義(ソフトバンク)|みかん箱演説・16歳の直談判・病床約3,000冊が生んだ「異常な情熱」

1981年9月、24歳の孫正義はみかん箱の上に立ち、アルバイト2人を前に叫んだ。「5年で100億、10年で500億。いずれ売上は豆腐のように1丁(兆)、2丁(兆)と数えるようにする」——あまりの発言に、2人はその場に絶句し、まもなく辞めた。しかしこの男は本気だった。16歳で九州から単身渡米し、高校中退から3年でUCバークレー卒業、学生のうちに1億円の特許を売り、創業2年で肝炎と診断されて病床で3年・約3,000冊の読書を経て、ソフトバンクを売上6兆円超の世界的IT帝国に育てた。孫正義の「異常な情熱」の正体を追う。

在日の苦難——佐賀の朝鮮人集落から出た少年

孫正義は1957年8月11日、佐賀県鳥栖市に生まれた。祖父母の代から日本に渡った在日韓国人の家庭だった。父・孫三憲は一時期密造酒や金融業を手がけ、決して豊かとは言えない環境から這い上がってきた人物だ。朝鮮人集落に暮らす孫一家は、周囲からの差別や偏見と隣り合わせの日々を送っていた。

幼少期の孫正義に大きな影響を与えたのは、父・三憲の生き様だった。どん底の状況から知恵と行動力だけで状況を変え続ける父の姿が、孫の「現状をひっくり返せる」という確信の原点になった。孫は後に語っている——「うちは貧しかった。だからこそ、ビジネスで成功することへの渇望が人一倍強かった」。

中学生になった孫は、あるビジネス書に出会う。日本マクドナルドを一代で築いた藤田田が著した本だ。「なぜこの人はこれほど大きな仕事ができたのか」——孫は繰り返し読み込み、いつか直接会って話を聞きたいと思うようになる。この願望は、16歳のときに行動として結実する。

(出典: Wikipedia「孫正義」、So-net「孫正義の何がすごいのか」)

16歳の直談判——藤田田への「無謀なアポイント」

1973年、16歳の孫正義は久留米大学附設高校を中退する決意を固めた。アメリカに渡り、本場でビジネスを学ぶためだ。しかしその前に、どうしても会わなければならない人物がいた——日本マクドナルド創業者・藤田田である。

孫は九州から東京の日本マクドナルド本社に電話をかけ続けた。5〜6回。しかし秘書に「社長は多忙で高校生とお会いする時間はない」と断られ続ける。それでも孫は諦めなかった。ある日、ついに飛行機に乗って羽田に降り立ち、本社を訪問。受付で「私は九州からわざわざ社長にお会いするためだけに来ました」と伝えた。

「諦めたらそこで終わりだ。断られてからが本当のスタートだ」

-- 孫正義(インタビューより)

この行動力が藤田の心を動かした。孫は15分の面会を勝ち取り、「渡米する前に何を勉強すべきか」と直接問う。藤田の答えは明快だった——「今は部屋一杯あるコンピュータが、いずれ手のひらに乗るようになる。アメリカで学ぶなら、コンピュータしかない」。この一言が、孫正義のその後の人生を決定づけた。

16歳の孫が見せた行動は、「断られた」という事実を出発点として捉え直す思考法だった。この「常識的な壁を行動で突き破る」姿勢は、その後のビジネス人生に何度も繰り返される。

(出典: 社長勇退ドットコム「日本マクドナルド・孫正義に宿る藤田田のDNA」、識学総研「藤田田が悩める孫正義のその後を決定づけた言葉」)

UCバークレーと学生起業——1億円の特許を売った23歳

藤田の言葉を胸に渡米した孫は、カリフォルニアで猛烈な勢いで学んだ。ホーリー・ネームズ・カレッジの英語学校を経てセラモンテ高校に編入、3年生・4年生と飛び級して高校検定試験で卒業資格を取得。1977年にカリフォルニア大学バークレー校(UCバークレー)経済学部の3年次に編入し、1980年に学位を取得した——つまり渡米からわずか数年で難関大学を卒業したことになる。

しかしそれ以上に注目すべきは、在学中のビジネスだ。孫は毎日5分間、必ず「新しいビジネスアイデアを考える」時間を設けていた。ノートには250のアイデアが積み上がった。そこから選んだのが、「音声機能付き多言語翻訳機」。日本語・英語・ドイツ語などを相互翻訳し音声出力するデバイスの構想だ。

孫はUCバークレーの研究者に試作機の製造を依頼し、特許を取得。そして帰国後、当時シャープ専務だった佐々木正に売り込んだ。プレゼンの結果、合計約1億円の特許契約が成立した。孫、23歳のときのことだ。

「一番になれる分野を探す。その分野で全力を尽くす。それだけだ」

-- 孫正義

この1億円が、ソフトバンク創業の足がかりになった。一方で孫は在学中にもう一つのビジネスを立ち上げている。ビデオゲームの輸入販売だ。仕入れたゲーム機を大学構内の食堂に置いて稼ぎ、学費と生活費を賄った。孫にとって「学生時代」とは学びと実践が同時進行する期間だった。

(出典: WILLFU「孫正義氏の学生起業家時代まとめ」、Wikipedia「孫正義」)

みかん箱演説——創業初日に社員が全員辞めた

1981年9月、福岡市博多区に「日本ソフトバンク株式会社」が産声を上げた。事業内容はパソコン用ソフトウェアの卸売と出版。資本金1,000万円、従業員はアルバイト2名。

創業初日の朝礼で、孫はみかん箱を2つ並べてその上に立ち、たった2人のアルバイトに向かってこう叫んだ。

「この会社は5年以内に売上100億円になる。10年以内に500億円。いずれ売上は豆腐のように1丁(兆)、2丁(兆)と数えるようにする」

-- 孫正義、ソフトバンク創業日の朝礼にて(1981年9月)

アルバイト2人はあっけにとられた。「この人は正気ではない」——そう確信した2人は、まもなく辞表を出した。創業初日に全従業員が退職した会社。普通なら絶望する場面だ。しかし孫は意に介さなかった。

この「みかん箱演説」は、単なる大言壮語ではない。孫が藤田田との出会いで確信した「コンピュータが世界を変える」という信念と、UCバークレーで肌で感じたシリコンバレーの空気と、特許売却で「アイデアに金銭的価値がある」と実証した経験——これら全てが一つの確信として結晶化した瞬間だった。

実際、ソフトバンクはその後急速に成長する。創業から13年で店頭公開(1994年)。売上100億円の目標は5年どころか数年で達成し、やがて売上1兆円の大台を超えていく。「狂人の発言」は、一行も嘘をつかなかった。

(出典: note「みかん箱という小さなステージでのスピーチ」、ARP-NT「ソフトバンク 孫正義物語」)

病床3年・約3,000冊——「死」を前にして読み尽くした男

1983年、ソフトバンクの売上が急拡大し社員が30人から125人に増えたまさにその時、孫は突然の体調不良に倒れた。診断は慢性肝炎(肝硬変の一歩手前)。医師からは「最悪5年の命」と告げられた。25歳だった。

孫は病室で一人、泣いた。「なぜ自分が。なぜこんな若さで」——何度も繰り返した。しかし孫の性格は、悲嘆の中にとどまることを許さなかった。退院と入院を繰り返しながらも、週3日は会社に顔を出し、社員には「長期出張中」と偽り続けた。会社が倒れることを、肝炎よりも恐れていたからだ。

そして病床で孫が取り組んだのが、読書だった。ビジネス書、哲学書、歴史書、科学書——分野を問わず読み漁り、闘病の3年間で約3,000冊を読み切ったとされる。病室は孫にとって、孤独な思索の場だった。

「夜、ひとりで泣きました。でも、坂本龍馬は33歳で亡くなって、それでも歴史を変えた。5年あれば、俺にも何かできるはずだと思った」

-- 孫正義(ダイヤモンド・オンラインより)

孫が病床で繰り返し読んだのが、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』だった。33歳で暗殺された坂本龍馬が、残り少ない時間で歴史の大きな流れを変えたという事実が、孫を支えた。「死を覚悟した人間が、時間の密度を上げたとき何ができるか」——この問いが、病床での読書を単なる暇つぶしではなく、思想の鍛錬へと昇華させた。

闘病から3年半後、孫は奇跡的に回復する。インターフェロン治療の進歩が肝炎を抑え込んだのだ。病室を出た孫は別人のように研ぎ澄まされていた。死に向き合った経験が、その後の「300年ビジョン」という超長期思考の原点になったと、本人は語っている。

(出典: ダイヤモンド・オンライン「病室の孫正義は孤独だった」、ARP-NT「病床で気づかされた人生の宝」)

Yahoo! Japan、ARM、ビジョンファンド——勝負師の本領

病から復帰した孫は、加速度的に大きな賭けを打ち続けた。その歩みは「常識の外」にある判断の連続だった。

1994年 ソフトバンク東証一部上場(創業13年)
1996年 Yahoo! Japan設立(ジェリー・ヤンと合弁)
2000年 アリババへ2,000万ドル出資(後に10兆円超の価値に)
2006年 ボーダフォン日本法人を1兆7,500億円で買収
2016年 英ARM社を約3兆3,000億円で買収
2017年 10兆円規模のソフトバンク・ビジョン・ファンド設立
2023年 ARM、ナスダックに上場(時価総額約9兆6,000億円)

中でも語り継がれるのが、アリババへの投資だ。2000年、孫はまだ無名の馬雲(ジャック・マー)とわずか5分間話し、「目が気に入った」と2,000万ドルを出資する。周囲は「また孫が狂ったことをやっている」と見た。しかし20年後、この投資は10兆円超の価値を生み出し、ソフトバンクグループの収益の柱になった。

ARMの買収も同様だ。2016年、約3兆3,000億円という前例のない金額でイギリスの半導体設計会社を買収。当時の市場は「高すぎる」と批判した。しかし孫はAIと IoTの時代にARMのチップ設計が世界のあらゆる機器に搭載されると確信していた。2023年のARM上場で、その判断の正しさが証明された。

ビジョンファンドでは一時期、WeWorkやUberへの投資で巨額損失を計上し「孫の時代は終わった」と言われた。しかし孫は「AI革命はまだ始まったばかり」と繰り返し、AI関連投資にシフトを続けている。2025年には総額4.8兆円規模でOpenAIなどに投資する計画を発表した。

(出典: Wikipedia「孫正義」、エンジニアtype「孫正義株主総会書き起こし」)

まとめ

孫正義は、在日韓国人の家庭に生まれ、16歳で渡米して単身藤田田に直談判し、学生のうちに1億円の特許を売り、24歳でソフトバンクを創業した。創業初日のみかん箱演説は社員全員を辞職させ、25歳では肝炎で「余命5年」と告げられた。しかし病床の3年間で約3,000冊を読み切り、死の恐怖を原動力に変えた。

回復後の孫はアリババに2,000万ドルを投じ、ARMを3兆3,000億円で買収し、10兆円ファンドを立ち上げ、AIの時代に向けて投資を続ける。傍から見ると「異常」に映る選択の連続が、世界的IT帝国を生んだ。

参考資料

この記事を書いた人

松田信介
松田 信介 Shinsuke Matsuda

X-HACK Inc. 代表取締役 / PARKLoT CTO

Microsoft for Startups Founders Hub 採択

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