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経営者向け 創業ストーリー

稲盛和夫(京セラ/KDDI/JAL)|結核・創業・出家・78歳無報酬再建が貫いた「異常な情熱」

稲盛和夫(京セラ/KDDI/JAL)|結核・創業・出家・78歳無報酬再建が貫いた「異常な情熱」 - コラム - 補助金さがすAI

2010年2月、日本航空が経営破綻して1ヶ月も経たない頃、政府は一人の老人に電話をかけた。78歳、臨済宗の僧籍を持ち、経営の第一線から退いて久しかった稲盛和夫——京セラとKDDIを一代で築いた男だ。「無報酬でかまいません。日本航空を救えるなら」。稲盛はそう言って引き受けた。3年足らず後、JALは東証一部に再上場し、同期間の営業利益は日本航空史上最高水準に達した。「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」——死ぬまでこの方程式を信じ続けた男の軌跡を追う。

1. 鹿児島の次男坊——戦火・結核・受験失敗が鍛えた「諦めない心」

稲盛和夫は1932年(昭和7年)1月21日、鹿児島市の小さな印刷業者の次男として生まれた。7人兄弟の家庭は裕福ではなく、戦時中の空襲で自宅兼店舗を焼失し、一家は文字通りゼロから出直すことを余儀なくされた。

そこへ追い打ちをかけたのが結核だった。稲盛が中学生のとき、近所で結核が流行し、叔父が次々と亡くなっていった。自身も感染し、死の恐怖を間近に感じた。「生死は本人の心持ち次第だ」——当時読んだ谷口雅春の宗教書『生命の実相』がその死の恐怖から稲盛を救い、精神的な深さをもたらした。後の「哲学経営」の原点はこの少年時代の体験にある。

高校卒業後、大阪大学医学部(薬学科)の受験に失敗した。父から「お前はダメだ」と言われ、別の道を歩み出す。鹿児島大学工学部応用化学科で懸命に研究に打ち込んだ。しかし卒業時の就職活動は壁の連続だった。時代は1955年(昭和30年)、戦後の就職難のさなか。地方大学・無名学科という条件では大手に相手にされず、ようやく教授の紹介で入社できたのが、京都の小さながいしメーカー「松風工業」だった。

同期が三菱・住友に内定する中、稲盛一人が不人気中小企業へ。「なぜ自分だけが」と悔しさを噛み殺しながら荷物を抱えて京都に向かった27歳までの稲盛は、どこにでもいる不遇な若者に過ぎなかった。

(出典: 稲盛和夫 オフィシャルサイト「プロフィール」asuneta「稲盛和夫の学歴&経歴は挫折の連続」)

2. 松風工業でのファインセラミック研究——上司との衝突と「賭け」

松風工業は当時、労働争議が絶えない疲弊した会社だった。稲盛の同期社員はすぐに辞め、孤独な研究生活が続いた。しかし稲盛は逃げなかった。「どうせここしかない。ならば仕事に全精力を注ぐしかない」——その開き直りが、世界を変える技術を生んだ。

与えられたテーマは磁器の研究。当時ブラウン管テレビが普及し始め、絶縁性の高いセラミック部品への需要が急増していた。稲盛は「フォルステライト」という新素材に着目し、配合を微妙に変えながら来る日も来る日も実験を繰り返した。やがて高周波絶縁性の極めて高い素材の開発に成功し、松下電器グループからブラウン管用絶縁製品の量産受注を取り付ける成果を挙げた。

ところが会社はその成果を評価しなかった。「既存製品を大量生産すれば十分だ」という上層部と、「新素材でより高付加価値な製品を開発すべきだ」という稲盛との対立は深まった。稲盛が提案した研究計画は次々と却下された。

「ここで腐っていては何も変わらない。会社が認めないなら、自分でやるしかない」

-- 稲盛和夫(松風工業退社を決意したときの述懐)

1958年(昭和33年)12月、稲盛は松風工業に辞表を提出した。26歳。そして自分を信じてついてきた部下8人を連れ、新しい会社を起こす道を選んだ。安定した地位を捨て、ほぼ無一文で未知の世界へ踏み込む——その「賭け」こそが京セラの原点だ。

(出典: 稲盛和夫アーカイブ「松風工業入社(1955年)」稲盛和夫アーカイブ「松風工業退社を決意(1958年)」)

3. 27歳・資本金300万円での創業——「U字ケルシマ」と夜の涙

1959年(昭和34年)4月1日、京都市中京区の借家に「京都セラミツク株式会社」が産声を上げた。資本金300万円、従業員28名。稲盛27歳。机も満足にない粗末な作業場で、最初の製品「U字ケルシマ」(ブラウン管用絶縁部品)の量産に挑んだ。

ところが、当初は注文が全く来なかった。大企業からすれば、得体の知れないベンチャーにセラミック部品を発注する理由はない。稲盛は自ら米国に「御用聞き」に飛び込み、カタログを手に片言の英語で売り込んだ。断られ続けながらも「この材料の性能なら必ず需要がある」という確信を持ち続けた。

創業メンバーの中には、新婚間もない者や家族を養う者もいた。「もし失敗したら自分が路頭に迷わせてしまう」——稲盛はその重みを夜ごと感じていた。工場の床で眠りながら、翌朝また実験を繰り返す。仕事と生活が渾然一体となった日々が続いた。

「仕事を通じて心を高める。それが経営の本質だ」

-- 稲盛和夫(創業初期の述懐)

創業12年後の1971年(昭和46年)、京セラは大阪証券取引所に上場。翌1972年には東京証券取引所へ。300万円の会社が上場企業になるまで、稲盛は一度も「事業を縮小しよう」と言わなかった。「注文が来たら絶対断らない」——その愚直な姿勢が顧客の信頼を積み上げた。

(出典: 稲盛ライブラリー「京セラ創業期を支えた第1号製品『U字ケルシマ』(1959年)」稲盛和夫 オフィシャルサイト「プロフィール」)

4. DDI(現KDDI)設立——「動機善なりや、私心なかりしか」

1984年(昭和59年)に電気通信事業法が成立し(施行は翌1985年4月)、NTT独占が崩れ、民間企業が長距離通話市場に参入できるようになった。このとき稲盛の頭をよぎったのは「日本の電話料金は高すぎる」という長年の憤りだった。東京—大阪間の長距離通話料は、米国の3倍以上。誰もが当たり前に受け入れているその理不尽に、稲盛は気づいていた。

しかし京セラは通信の素人だ。NTTという巨大組織に挑む。失敗すれば莫大な損失が生じる。参入するかどうか迷った稲盛は、毎晩一人で自問自答した——「動機善なりや、私心なかりしか」。料金を下げれば国民が助かる。その動機は善か?自分の名声や利益のためではないか?半年間、この問いを繰り返した末に、稲盛は参入を決断した。

1984年、第二電電企画株式会社(後のDDI)を設立。インフラを一から整備するため、山の頂から頂へパラボラアンテナの鉄塔を建て、東京—大阪間に独自の電波中継システムを構築した。3社の新電電のうち最も不利な立場にいたDDIが、まもなく売上・利益ともトップに躍り出た。

2000年(平成12年)10月にDDI・KDD・IDOが合併し(翌2001年4月に「KDDI株式会社」に社名変更)、2022年3月期の売上高は5兆4,467億円に達する企業に成長した。「電話料金を下げたい」という一人の経営者の怒りが、日本の通信インフラを根底から変えた。

(出典: 稲盛和夫アーカイブ「第二電電(現KDDI)を設立(1984年)」Wikipedia「第二電電」)

5. 65歳の出家・托鉢修行——億万長者が感じた「500円玉のありがたさ」

1997年(平成9年)9月、稲盛和夫は京都府八幡市の臨済宗妙心寺派・圓福寺にて得度(出家)した。65歳。剃髪し、法名「大和(だいわ)」を授かった。財界人が「出家」を選ぶことは極めて異例であり、各メディアが「なぜ?」と報じた。

稲盛の答えは明快だった。「自分はこれまで事業を通じて生きてきた。しかし人間の本質——心の問題——を深く理解するためには、宗教の修行が必要だと感じた。単なる経営者のままでは、人の痛みを理解できない」。幼少期に祖母から教わった念仏の記憶と、中学時代の結核・死の恐怖が、常に稲盛の精神の底にあった。

得度後、稲盛は雲水とともに托鉢修行に出た。手に鉄鉢を持ち、作務衣姿で街を歩き、見知らぬ人に喜捨(施し)を求める。億万長者が托鉢する姿は奇妙に映ったかもしれないが、稲盛にとっては命がけの体験だった。

「托鉢で500円玉をもらったとき、これほどありがたいものかと体が震えた。お金の本当の重さを、あのとき初めて知った」

-- 稲盛和夫(得度後の述懐)

冬の早朝3時起床、深夜11時就寝、精進料理のみ、坐禅と托鉢の繰り返し——その修行で稲盛は「すべての命は等しい」という感覚を体得した。後のJAL再建で「社員の心を変える」ことを最優先にした背景には、この出家体験がある。数字や制度ではなく「人の心」こそが組織を動かすという確信は、托鉢の街道で育まれた。

(出典: ダイヤモンドオンライン「億万長者・稲盛和夫が出家して気づいた『500円玉のありがたさ』」稲盛ライブラリー「圓福寺」)

6. 78歳・無報酬のJAL再建——「利益なくして安全なし」

2010年(平成22年)1月19日、日本航空が会社更生法を申請した。負債総額2兆3,221億円——戦後最大の事業会社倒産だった。3万2,000人の雇用が宙に浮き、航空網が消える恐怖が日本を覆った。政府はさまざまな候補を探したが、誰も引き受けようとしなかった。

国土交通大臣・前原誠司が直訴したのが稲盛和夫だった。78歳、仏門に帰依し経営の第一線から退いていた稲盛は当初断った。「自分は航空業界のことを何も知らない」。しかし前原は食い下がった——「知らないからこそいい。業界の常識に縛られずに変えられる」。

稲盛が出した条件はただ一つだった——「報酬はゼロで構わない」。2010年2月1日、無報酬でJAL会長に就任。引き連れた幹部はわずか2名。巨大組織を、たった3人で立て直すという宣言だった。

「利益なくして安全なし——利益を追うことは社員を守ることだ。これがJALの新しい哲学だ」

-- 稲盛和夫(JAL会長就任時の発言)

従来のJALでは「利益より安全」という文化が根付き、コスト意識が欠如していた。稲盛は「JALフィロソフィ」を策定し、幹部・社員全員と膝を突き合わせて議論した。月2,000円の経費削減を発表した若い女性社員を「それが一番大事なんだ」と大声で褒めた。1万6,000人のリストラを断行しながらも、残った社員の心に火をつけた。

結果は驚異的だった。2010年度(平成22年度)の営業利益は1,884億円。JAL創業以来最高水準の収益を、破綻した翌期に叩き出した。2012年9月19日、わずか2年8ヶ月で東証一部に再上場。市場は稲盛の奇跡を「人を動かす力」として語り継いだ。

(出典: りそなBiz Action「JALの奇跡的再建を成し遂げた稲盛和夫氏の経営哲学とは」致知出版社「稲盛和夫がJAL再建に成功した最大の理由」)

7. 稲盛和夫の軌跡から学ぶ教訓と、中小企業が活用できる補助金

稲盛和夫の経営哲学「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」は、補助金を活用する中小企業経営者にとっても示唆深い。能力は0〜100点だが、考え方はマイナス100点からプラス100点の幅がある。どれほど能力と熱意があっても、考え方がマイナスであれば結果はマイナスになる——この方程式は、補助金申請における事業計画書の「考え方(哲学)」が最も重要だという現実と重なる。

稲盛和夫の経営判断 関連する補助金・支援制度
資本金300万円・28名での京セラ創業(ファインセラミック試作) ものづくり補助金(試作品・新製品開発)・創業補助金
NTT独占に挑んだ通信事業への新規参入(DDI設立) 事業再構築補助金(新分野展開)・IT導入補助金
JAL再建でのアメーバ経営・部門別採算管理の導入 IT導入補助金(業務効率化・管理システム導入)
盛和塾・稲盛財団による経営者・次世代人材育成 人材開発支援助成金・キャリアアップ助成金
JAL再建での雇用維持(3万2,000人を守る大義) 雇用調整助成金・業務改善助成金

特に注目したいのは事業再構築補助金との親和性だ。稲盛がセラミックメーカーとして創業しながら通信事業へ踏み出したDDI設立は、「既存事業の強みを活かしながら新分野へ展開する」という事業再構築の典型例だ。補助金の採択審査官が高く評価するのは「なぜその事業をやるのか」という経営者の動機——まさに稲盛が半年かけて自問自答した「動機善なりや、私心なかりしか」と同じ問いだ。

また、稲盛が創案した「アメーバ経営」は部門ごとに採算を管理し、小集団が自律的に利益を生む仕組みだ。この考え方はIT導入補助金を活用した業務管理システムの導入とも直結する。「数字で経営を見える化し、全員が経営者意識を持つ」——中小企業がDX化を目指す際の方向性そのものだ。

(出典: ものづくり補助金総合サイト事業再構築補助金 公式サイト)

まとめ

稲盛和夫は結核・就職難・倒産寸前という三重の逆境から出発した。27歳で部下8人を連れて資本金300万円で創業し、ファインセラミックという新素材一本で世界的企業を育てた。「動機善なりや、私心なかりしか」という自問自答でNTT独占に挑みKDDIを設立し、65歳で出家・托鉢修行によって「人の心」の本質を掴んだ。そして78歳、無報酬でJALを引き受け、3年足らずで日本航空史上最高益を叩き出して再上場を果たした。

稲盛の一貫したメッセージは「考え方こそが結果を左右する」ということだ。能力や資金は後からついてくる——まず「なぜやるか」という哲学を持て。その哲学が熱意を生み、熱意が能力を超える成果を引き出す。

あなたの事業に「動機善なりや」と問える哲学はあるか——その問いに答えを持っているなら、補助金はその哲学を形にするための制度的後押しになる。

参考資料

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この記事を書いた人

松田信介
松田 信介 Shinsuke Matsuda

X-HACK Inc. 代表取締役 / PARKLoT CTO

Microsoft for Startups Founders Hub 採択

X-HACK Inc. 代表取締役。システムコンサルタントとして中小企業の基幹システム構築・業務設計に携わったのち、自ら起業。小規模ビジネスの立ち上げから黒字化までを複数回経験し、採用・資金調達・補助金申請の実務にも精通。「補助金さがすAI」の開発・運営を通じて、経営者が本当に必要とする情報を現場目線で発信しています。

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