石神秀幸(七宝麻辣湯)|「ラーメン王」が評論する側から作る側へ、中国200軒を食べ歩いて生んだ麻辣湯ブームの仕掛け人
「神の舌を持つ男」——評論する側の頂点に立った石神秀幸
石神秀幸は1972年8月19日、東京都に生まれた。ラーメンへの愛が高じて1995年、テレビ東京の人気番組「TVチャンピオン」のラーメン王選手権・第3回と第4回で優勝。2大会連続制覇という快挙で、一躍「神の舌を持つ男」として知られるラーメン評論家になった。
その後の石神は、評論家として日本のラーメン文化を語る最前線に立ち続けた。年間数百杯を食べ歩き、味を言語化し、数多くのラーメン本を執筆。「和歌山ラーメン」「鶏白湯ラーメン」といった潮流の紹介にも関わり、ラーメンを「文化」として語る土壌をつくった。合宿型のラーメン店開業塾「食の道場」の塾長として、開業を志す人を指導する立場にもなった。
評論家として「食べる」「語る」「教える」の頂点に立った石神。しかしその胸には、別の問いが芽生えていた。「人の味を評価するだけでなく、自分の手で多くの人に喜ばれる一杯を生み出したい」——評論する側から、作る側へ。その転身のきっかけは、ラーメンとは別のジャンルの一杯との、偶然の出会いだった。
出典: Wikipedia「石神秀幸」 / 七宝麻辣湯 会社情報
シンガポールの一杯から始まった——中国200軒を食べ歩く執念
転機は2003年ごろ、シンガポールで口にした「麻辣湯」だった。麻辣湯は中国・四川省発祥の料理で、花椒(ホアジャオ)のしびれる辛さ(麻)と唐辛子の辛さ(辣)をきかせたスープに、好きな具材と春雨を入れて煮込む。石神はその奥行きのある味わいに衝撃を受け、「これを日本でやりたい」と直感する。
ただ、思いつきで店を出す男ではなかった。評論家として培った徹底ぶりで、石神は本場・中国へ足を運び、200軒以上の麻辣湯店を食べ歩いた。それだけにとどまらず、そのうち3軒では実際に働き、スープの取り方、スパイスの配合、調理の段取りを体で覚えた。評価する立場から、作る立場へ——その移行を、石神は「食べ歩き」と「現場修業」という地道な積み重ねで自ら埋めていった。
- 食べる — 中国国内で200軒以上の麻辣湯を実食し、味の幅と地域差を体に刻んだ
- 働く — うち3軒の厨房に入り、スープとスパイス配合の作り方を現場で習得した
- 磨く — 30種類以上の薬膳スパイスを独自に配合し、日本人の口に合う一杯を設計した
こうして石神がたどり着いたのが、30種類以上の薬膳スパイスを配合したオリジナルスープだった。本場の刺激的な味をそのまま持ち込むのではなく、日本の幅広い客層が毎日でも食べたくなる、洗練された一杯に仕上げる。評論家として無数の味を比較してきた経験が、ここで「自分の味をつくる」力に変わった。
出典: 東洋経済オンライン「あの石神秀幸が『麻辣湯』チェーンを営む深い理由」 / 現代ビジネス「中国発『マーラータン』ブームの仕掛け人」
2007年、渋谷で開業——「薬膳スープ春雨」という打ち出し方
石神は2003年に食品コンサルティングの有限会社ゼッター(後に株式会社化)、2005年には株式会社cache cache(カシュ・カシュ/現・株式会社カシュ・カシュ)を設立。2007年、満を持して東京・渋谷に「七宝麻辣湯」の1号店をオープンした。
当時の日本で「麻辣湯」はほぼ無名。多くの人にとって読み方すらわからない料理だった。そこで石神が選んだのが、自店を「薬膳スープ春雨」と明確に打ち出す方針だ。辛さや本場感を前面に出すのではなく、「体にやさしい薬膳」「清潔感あふれる店内」「あっさりと洗練された味」を軸に据える。狙いどおり、支持の中心になったのは若い女性客だった。
石神自身、後年こう語っている。「ここ数年のブームで麻辣湯を出すお店が東京に増えたとは思いますが、うちは薬膳スープ春雨とはっきり打ち出している」。同じ料理でも、誰に・どう見せるかで届く相手は大きく変わる。評論家として「言葉で味を伝える」技術を磨いてきた石神らしい、ポジショニングの妙だった。週3〜4回通う常連や、1年で300食を注文するほどの熱心なファンも生まれていく。
ブームの火付け役へ——FC展開と「席数を絞る」逆張り
2010年代後半以降、韓国でのトレンドやSNS投稿の増加を追い風に、日本でも麻辣湯人気が高まっていく。そのなかで七宝麻辣湯は、ブームの「火付け役」として位置づけられる存在になった。出店を一気に加速させたのが、「焼肉ライク」を展開するダイニングイノベーションとの提携だ。同社は2021年にマスターライセンス契約を結び、フランチャイズ本部として全国出店を担う。
七宝麻辣湯の店づくりには、行列を生む独特の戦略がある。あえて席数を絞ることで回転と希少性を演出し、駅前の優良立地に小型店を構える。全店で坪月商50万円超という高い収益性を実現し、神奈川・大船店の開店時には120人以上、埼玉・大宮東口店には160人以上が開店前から行列をつくった。2025年だけで20店舗近い新規出店が計画され、FC本部のダイニングイノベーションは2027年12月期までに100店舗という目標を掲げている。
| 年 | 主な出来事 |
|---|---|
| 1995年 | 石神秀幸、TVチャンピオン「ラーメン王選手権」で連覇 |
| 2003年 | シンガポールで麻辣湯に出会う/有限会社ゼッター設立 |
| 2005年 | 株式会社cache cache(現・カシュ・カシュ)設立 |
| 2007年 | 渋谷に「七宝麻辣湯」1号店をオープン |
| 2021年 | ダイニングイノベーションがマスターライセンス契約、FC展開を開始 |
| 2025年 | 大宮東口店に160人超の行列/同年に20店舗近い新規出店を計画 |
| 2027年12月期(目標) | FC本部が100店舗体制を目標に掲げる |
いまや麻辣湯市場には、世界7000軒以上を展開するグローバルチェーン「楊国福麻辣湯」も日本に上陸し、日清食品や味の素といった食品大手も家庭用商品で参入をうかがう。一介の評論家が惚れ込んだ一杯は、20年弱で大手が熱視線を送る一大カテゴリーへと育った。市場そのものを耕した石神の先行投資が、いま実を結びつつある。
出典: 日経クロストレンド「マーラータン160人並ぶ人気の理由」 / ビジネス+IT「なぜ人気?『マーラータン』ブームが加速中」 / 日本経済新聞「ダイニングイノベ、麻辣湯も柱に 3年後に6倍の100店へ」
まとめ
石神秀幸は、ラーメン評論家として「食べる・語る・教える」の頂点に立ちながら、そこに安住せず「作る側」へ回った人物だ。シンガポールで出会った麻辣湯に惚れ込み、中国200軒以上を食べ歩き、3軒の厨房で実際に働いて作り方を体得。30種類以上の薬膳スパイスを配合した一杯を、2007年に渋谷の「七宝麻辣湯」として世に問うた。
無名だった「麻辣湯」を「薬膳スープ春雨」と打ち出し、若い女性という新しい客層を開拓。十数年かけて味とオペレーションを磨いたうえで、フランチャイズ提携によって全国展開へとスケールさせた。あえて席数を絞る逆張りで行列を生み、坪月商50万円超の繁盛店モデルを確立。いまや大手食品メーカーも参入をうかがう一大カテゴリーの土台を、一人の評論家がつくり上げた。


