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創業ストーリー 経営者向け

ジェフ・ベゾス|20年利益を出さない宣言、ドアを机にした男の「異常な情熱」

ジェフ・ベゾス|20年利益を出さない宣言、ドアを机にした男の「異常な情熱」 - コラム - 補助金さがすAI

1994年、ウォール街のヘッジファンドで30歳にして副社長を務めていたジェフ・ベゾスは、インターネットの利用率が年間2,300%のペースで伸びていることを知りました。上司に「ネットで本を売りたい」と伝えると、「いい仕事がある人間のやることじゃない」と言われた。しかしベゾスはその高給を捨て、妻と中古のシボレー・ブレイザーに乗り込み、ニューヨークからシアトルへ向かいました。助手席でノートPCを開き、事業計画書を打ちながら。そのガレージから始まった会社は、今や時価総額約2兆ドル(約300兆円)の巨大企業です。

1. ウォール街を捨てた理由——「80歳の自分は後悔するか?」

ジェフ・ベゾスは1964年、ニューメキシコ州アルバカーキで生まれました。母のジャッキーは当時17歳の高校生。実父とはすぐに離婚し、ベゾスが4歳のときにキューバ移民のミゲル・「マイク」・ベゾスが養父となります。マイクはエクソン社のエンジニアで、ジェフに科学への好奇心を植え付けました。

幼少期のベゾスは、並外れた集中力を見せる子どもでした。モンテッソーリ幼稚園では一つの作業に没頭すると動かなくなり、先生が椅子ごと持ち上げて次の活動に移動させたというエピソードが残っています。自宅のガレージを「科学実験室」に改造し、電気仕掛けのアラームを自作して弟妹が部屋に入れないようにした。幼児期にはドライバーを持ち出して自分のベビーベッドを分解しようとしたこともあります。

ベゾスの人格形成に最も影響を与えたのは、母方の祖父ローレンス・プレストン・ガイスの牧場です。テキサス州コチュラにある広大な牧場で、4歳から16歳まで毎年夏を過ごしました。風車の修理、パイプラインの敷設、牛の世話——壊れたものは業者を呼ばず自分で直す。この「なんでも自分でやる」精神が、後のAmazonの企業文化の原型になりました。ベゾスは後に「祖父から学んだ最大の教訓は、自力で問題を解決する力だ」と語っています。

高校ではマイアミのパルメット・シニア・ハイスクールで首席卒業(バレディクトリアン)。ナショナル・メリット・スカラーにも選ばれています。プリンストン大学で電気工学とコンピュータサイエンスを学び、1986年に最優等で卒業。

卒業後はウォール街で頭角を現し、最先端のクオンツ系ヘッジファンドD.E.ショーに入社。わずか4年で最年少の上級副社長に昇進しました。年収は推定数百万ドル。30歳にして、金融業界のエリートコースのど真ん中にいたのです。

しかし1994年、インターネットの爆発的成長を知ったベゾスの頭の中は、「ネットで何を売るべきか」一色になりました。20品目のリストを作り、最終的に「本」を選んだ。理由は、種類が多く(当時300万タイトル以上)、物理的な書店では品揃えに限界があるから。

問題は、今の仕事を辞めるかどうかでした。ベゾスはこの決断に、独自の思考法を使います。

「80歳になった自分を想像して、こう自問した。『これを試さなかったことを後悔するか?』 答えは明らかにイエスだった」

— ジェフ・ベゾスの「後悔最小化フレームワーク」

ベゾスは辞職し、妻のマッケンジーとともに中古車でシアトルへ向かいました。ベゾスが助手席で事業計画書を打ち、マッケンジーが運転するという道中でした。

(出典: Wikipedia「Jeff Bezos」CNBC「At age 30, Jeff Bezos thought this would be his one big regret in life」

2. ドアを机にする——ガレージ創業と異常な倹約

1994年7月、ベゾスはシアトルの自宅ガレージでAmazon.comを設立しました。最初の「オフィス」は、ガレージに置いたドアの机です。ホームセンターで買った安いドアに脚をつけただけ。

この「ドアデスク」は、単なる節約ではありませんでした。ベゾスはこれをAmazonの企業文化の象徴にしました。「顧客体験に関係ないことには、1ドルも使わない」。社内表彰制度にも「Door Desk Award(ドアデスク賞)」を設け、倹約によって顧客にとっての価値を生み出した社員を表彰しています。

Amazonは1995年7月にサービスを開始。最初の1か月で全50州と45か国から注文が入りました。ベゾスと数人の社員は、ガレージの床に座って本を梱包していた。ベゾスが「膝をつかなくて済むように梱包テーブルを買おう」と言うと、同僚は「膝パッドを買ったほうが安い」と返した——この逸話が、初期Amazonの空気を物語っています。

(出典: About Amazon「Amazon recreated the garage」Fortune「Amazon's humble history」

3. 「Day 1」——永遠の初日を生きる

ベゾスの経営哲学を一言で表すなら、「Day 1(永遠の初日)」です。

1997年の最初の株主向け書簡でベゾスはこう書きました——「これはインターネットのDay 1であり、Amazonにとっても同様です」。以後20年以上にわたる株主書簡で「Day 1」という言葉は繰り返し登場しています。Amazonの本社ビルの名前も「Day 1」です。

「Day 1」の対義語は「Day 2」。ベゾスによれば、Day 2は停滞であり、その後に来るのは衰退、そして死です。

「Day 2は停滞だ。そしてそれに続くのは、苦痛を伴う衰退。そして死。だから常にDay 1でなければならない

— 2016年 株主向け書簡

この「Day 1」哲学は、具体的な行動に現れていました。有名なのが「空席の椅子」です。ベゾスは会議室に必ず空の椅子を1脚置き、「この椅子はお客様の席だ」と宣言しました。すべての意思決定を「顧客の視点」から行うための、物理的な仕掛けです。

もう一つの象徴が、利益を出さない経営です。Amazonは1997年のIPOから約20年間、意図的に利益をほぼゼロに抑え続けました。稼いだ金はすべて、物流網の拡大、AWS(クラウドサービス)の開発、Prime会員サービスの充実に再投資。ウォール街のアナリストは「いつ利益を出すのか」と問い続けましたが、ベゾスの回答は常に同じでした——「顧客に投資し続ける」

(出典: ReacIT「Jeff Bezos: The Day 1 Mentality」Benzinga「Jeff Bezos' Empty Chair」

4. 株価94%暴落——ドットコムバブル崩壊を生き延びる

2000年、ドットコムバブルが崩壊しました。Amazonの株価は最高値の113ドルからわずか6ドルに暴落——実に94%以上の下落です。ベゾスの個人資産も101億ドルから15億ドルに激減しました。

メディアは「Amazon.bomb(アマゾン爆弾)」と揶揄し、多くのアナリストが倒産を予測しました。実際、同時期のインターネット企業の大半が消えています。Pets.com、Webvan、eToys——いずれも華々しくIPOし、そして消えました。

しかしベゾスは動じませんでした。株価が94%下がっても、Amazonの顧客は増え続けていたからです。ベゾスの判断基準は明快でした——「株価ではなく、顧客数を見ろ」

バブル崩壊後もベゾスは再投資の手を緩めず、2002年には赤字から脱却。その後、AWS(2006年開始)が巨大なクラウドビジネスに成長し、Amazon Primeが世界で2億人以上の会員を獲得。ベゾスが「利益を出さずに再投資し続けた20年間」は、結果として世界最大級のインフラを築く時間だったのです。

(出典: WhatJobs「Jeff Bezos Amazon Empire」Wikipedia「Jeff Bezos」

5. 中小企業経営者が学べること

ジェフ・ベゾスの物語から、中小企業経営者が学べることは数多くあります。

  • 「後悔最小化フレームワーク」で決断する — 80歳の自分が後悔するかどうかで判断する。迷ったときは「やらなかった後悔」のほうが大きいことが多い。補助金の申請を迷っているなら、「申請しなかった自分」を想像してみてください
  • 顧客に関係ないコストを削る — ドアを机にしたベゾスは、倹約を「文化」にしました。経費削減は目的ではなく、顧客体験に投資するための手段です
  • 「空席の椅子」を自社の会議に置く — 意思決定の場に「顧客の視点」を物理的に持ち込む仕掛けは、社員数が少ない中小企業でもすぐに実践できます
  • 短期の数字に振り回されない — 株価が94%下落しても「顧客が増えているか」を見たベゾス。売上が一時的に落ちても、顧客との信頼関係が深まっているなら、それは「Day 1」の証拠です
  • 常に「Day 1」の気持ちで — 創業初日の危機感と好奇心を忘れない。「うまくいっている」と感じた瞬間がDay 2の始まりです

6. 創業・事業拡大に使える補助金

ベゾスはガレージから世界最大のEC企業を築きました。日本にも、小さく始める創業者を支援する制度があります。

小規模事業者持続化補助金(創業型)

補助上限額 最大250万円
対象者 創業後1年以内の小規模事業者(創業前でも可)
対象経費 店舗改装、広告掲載、展示会出展費用など

IT導入補助金

補助上限額 最大450万円
対象 ITツール導入で業務効率化を図る中小企業
活用例 ECサイト構築、在庫管理、顧客管理システム導入

ものづくり補助金

補助上限額 750万円〜4,000万円(グローバル枠)
対象 中小企業・小規模事業者・個人事業主
活用例 革新的サービス開発、試作品開発、生産プロセス改善

まとめ

ジェフ・ベゾスは、ウォール街の高給を捨て、ガレージでドアを机にして書店を始めました。20年間利益を出さず顧客に再投資し続け、株価が94%暴落しても動じなかった。

ベゾスの「異常な情熱」は、派手な行動ではなく「顧客への執着」という形で現れました。空席の椅子、ドアの机、Day 1——すべてが「顧客のために」という一点に収束しています。

あなたの事業の「空席の椅子」には、誰が座っていますか? その答えが明確なら、事業計画書の核はすでにできています。補助金制度を活用して、その顧客への情熱を形にしてみてください。

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