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破天荒列伝 経営者向け

Jリーグを作った男たち|「時期尚早と言う人間は、100年経っても時期尚早と言う」——無謀と笑われたプロ化に賭けた執念

Jリーグを作った男たち|「時期尚早と言う人間は、100年経っても時期尚早と言う」——無謀と笑われたプロ化に賭けた執念 - コラム - 補助金さがすAI

2026年6月、北中米ワールドカップが開幕しました。日本代表は8大会連続8度目の出場です。いまや「日本がW杯に出る」のは当たり前の風景になりました。しかし、わずか30年あまり前——日本にプロサッカーリーグを作ろうとした男たちは、「無謀だ」「時期尚早だ」と、ほぼ全員から笑われていました。観客はまばら、選手はアマチュア、W杯出場すら一度もない国で、なぜ彼らはプロ化に人生を賭けたのか。Jリーグを作った男たちの執念をたどります。

「場末感が漂っていた」——プロ化は無謀だと笑われた

1980年代、日本のサッカーは「日本サッカーリーグ(JSL)」という企業チームによるアマチュアリーグでした。試合は平日の昼間に行われることもあり、スタンドはガラガラ。1988年にJSL総務主事に就いた川淵三郎は、その光景に幻滅したと振り返っています。

「投げやりで、場末感が漂っていた」

— 川淵三郎(就任当時のJSLの印象)

川淵は大阪府高石市の出身。早稲田大学から古河電気工業に進み、選手として日本代表で26試合に出場、1964年の東京オリンピックではアルゼンチン戦でゴールを決めた人物です。引退後は伸銅事業部でビジネスマンとしての交渉力も磨いていました。

「サッカー人気がいまひとつの日本でプロリーグを作るなんて無謀だ」——周囲の声はそればかり。予算もありません。それでも川淵は、自らサンドイッチマンになって街頭で宣伝し、明石家さんまさんにポスター制作を頼むなど、なりふり構わず動き続けました。その根っこにあったのは、たった一つの確信でした。

「サッカーは世界でいちばん愛され、盛んに行われているスポーツだ。日本でも盛り上がらないわけがない」

— 川淵三郎

出典: Wikipedia「川淵三郎」 / THE21オンライン「川淵三郎が貫いたJリーグへの信念」

黒子たち——週3回の透析を受けながらリーグを作った男

メディアに頻繁に登場する川淵が「Jリーグの顔」として知られています。しかし、リーグの制度設計という地味で膨大な実務を担った黒子がいました。総務主事の森健兒と、JSL事務局長の木之本興三です。

1988年3月、森と木之本は「JSL第一次活性化委員会」を設置します。これが実質的なJリーグの出発点でした。

とりわけ木之本の生き方は壮絶でした。古河電工の選手だった26歳のとき、難病で腎臓を摘出。以降、週3回の人工透析が欠かせない体になりました。それでも彼は、リーグ創設のほとんどの実務を一身に背負い続けたのです。サッカー解説者のセルジオ越後さんは、こう語っています。

「“Jリーグをつくった男”木之本興三。その功績はもっと讃えられるべきだ」

— セルジオ越後

透析を受けながら全国を飛び回り、制度をゼロから設計する。スポットライトの当たらない場所で、文字どおり命を削って働いた男がいたから、Jリーグは形になりました。

出典: Wikipedia「木之本興三」 / エキサイトニュース「セルジオ越後が偲ぶ“Jリーグをつくった男”木之本興三」

「企業の宣伝部」を捨てる——地域密着という賭け

男たちが掲げた理念で、最も論争を呼んだのが「地域密着」でした。これは当時の常識を真っ向から否定するものでした。

それまでの企業スポーツは、チームが「会社の宣伝部」であり、チーム名には会社名が入るのが当然でした。ところがJリーグは、チーム名から原則として企業名を外し、企業ではなく地域(ホームタウン)を母体とするクラブへの転換を求めたのです。

  • 従来の常識 — チームは企業の宣伝部。チーム名=会社名
  • Jリーグの理念 — チーム名から企業名を外し、地域に根ざしたクラブにする

巨額の資金を出してきた親会社にとっては、看板を下ろせという無茶な要求にも映ります。プロ野球の人気球団を持つ読売グループのトップとは、報道のなかで「対立」の構図がたびたび描かれました。それでも川淵たちは、目先のスポンサー論理ではなく「100年続く文化」のほうを選びました。短期の宣伝効果より、地域に愛されるクラブを根づかせる——そこに賭けたのです。

出典: Wikipedia「日本プロサッカーリーグ」 / Wikipedia「1993年のJリーグ」

人口4万の町が、1.5万人スタジアムを建てた日

地域密着がただの理想論ではなかったことを証明したのが、茨城県の鹿島でした。

当時の鹿島町は人口およそ4万人。Jリーグ参入を希望した住友金属(現・日本製鉄)のチームに対し、川淵が突きつけた条件は、誰もが耳を疑うものでした——「1万5,000人収容の屋根付きサッカースタジアムを建てること」。当初は3,000人規模の競技場を予定していた町にとって、文字どおり「夢のような話」でした。

町の人口 約4万人(当時の鹿島町)
当初の計画 3,000人収容のサッカー場
参入の条件 1万5,000人収容・屋根付きスタジアム

普通なら諦めるところを、鹿島は計画を一気に作り替え、県立カシマサッカースタジアムを建設。初年度からのJリーグ加盟を勝ち取りました。そして誕生した鹿島アントラーズは、後に国内最多のタイトルを獲得する名門となり、「サッカーを核にした街づくり」のモデルになります。小さな町が大きな賭けに出て、その賭けに勝ったのです。

出典: 鹿島アントラーズ「誕生物語」 / 日経BP PPPまちづくり「Vol.02 川淵三郎氏」

1993年5月15日、そして2026年へ

1993年5月15日、国立競技場。ヴェルディ川崎対横浜マリノスの一戦で、Jリーグはついに開幕しました。10クラブでのスタートです。

「客など入らない」という下馬評を、結果は鮮やかに裏切りました。1993年の1試合平均観客数は1万7,976人。掲げていた「平均1万人」という目標を大きく上回ったのです。

  • 1993年 — 10クラブで開幕、1試合平均1万7,976人(目標1万人を大幅超過)
  • 現在 — J1〜J3あわせて約60クラブが全国に広がる
  • 日本代表 — 1998年に初のW杯出場、2026年で8大会連続8度目

プロリーグが土台となり、日本代表は1998年に悲願のW杯初出場を果たし、以降は連続出場が当たり前になりました。「無謀」と笑われたプロ化が、いまや国民的な風景に変わったのです。10クラブは約60クラブへ、ゼロだったW杯出場は8大会連続へ——男たちが30年前に蒔いた種は、いま北中米のピッチで実を結んでいます。

出典: Wikipedia「1993年Jリーグ開幕節」 / Wikipedia「2026 FIFAワールドカップ」

「時期尚早」と「前例がない」を超えていく

新しい挑戦には、必ず反対の声がつきまといます。川淵が残した言葉は、サッカーに限らず、何かを始めようとするすべての人に向けられているように響きます。

「時期尚早と言う人間は、100年経っても時期尚早と言う。前例がないと言う人間は、200年経っても前例がないと言う」

— 川淵三郎

「いまは時期が悪い」「前例がないから無理だ」——この二つは、新しい一歩を止める常套句です。Jリーグを作った男たちは、その声を振り切り、笑われながら一歩を踏み出した。小さな町の大きな賭けも、命を削った黒子の実務も、すべては「やらない理由」を超えたところから始まりました。

出典: note タイムシフト研究所「未来への名言151(川淵三郎)」

まとめ

場末と呼ばれたアマチュアリーグを、川淵三郎は自らサンドイッチマンになって宣伝し、木之本興三は週3回の人工透析を受けながら制度を作り上げました。企業の宣伝部だったチームを地域のクラブへ作り変え、人口4万の町に1.5万人のスタジアムを建てさせた——どれも「無謀」「時期尚早」と笑われた賭けでした。

その賭けが、30年後の8大会連続W杯出場と、全国に根づいた約60のクラブにつながっています。「やらない理由」はいつでも見つかります。それでも一歩を踏み出した人だけが、新しい風景を作るのだと、Jリーグを作った男たちは教えてくれます。

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この記事を書いた人

松田信介
松田 信介 Shinsuke Matsuda

X-HACK Inc. 代表取締役 / PARKLoT CTO

Microsoft for Startups Founders Hub 採択

X-HACK Inc. 代表取締役。システムコンサルタントとして中小企業の基幹システム構築・業務設計に携わったのち、自ら起業。小規模ビジネスの立ち上げから黒字化までを複数回経験し、採用・資金調達・補助金申請の実務にも精通。「補助金さがすAI」の開発・運営を通じて、経営者が本当に必要とする情報を現場目線で発信しています。

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