ハイム・サバン|8年間売り込み続けてスーパー戦隊の版権を手にした男
1984年、東京のホテルの部屋でたまたまテレビをつけたハイム・サバンは、画面に映る色とりどりのスーツを着たヒーローたちに釘付けになりました。スーパー戦隊シリーズ——日本では当たり前の子供番組ですが、サバンはそこに「世界を席巻するコンテンツ」を見出します。しかしアメリカに持ち帰ったこのアイデアに、8年間、どのテレビ局も見向きもしませんでした。やがてこの「誰も欲しがらなかったコンテンツ」は、53億ドル(約5,800億円)の帝国へと化けることになります。
1. エジプト脱出——所持金200ドルの難民少年
ハイム・サバンは1944年10月15日、エジプトのアレクサンドリアでセファルディ系ユダヤ人の家庭に生まれました。父親はおもちゃ屋の販売員。裕福とは言えない暮らしでしたが、地中海に面した港町で穏やかな少年時代を過ごします。
しかし1956年のスエズ危機が一家の運命を一変させます。エジプト国内で反ユダヤ感情が高まり、ユダヤ人コミュニティへの圧力が強まる中、1957年、サバン一家は所持金わずか200ドルで国外脱出を余儀なくされました。まずギリシャへ逃れ、その後イスラエルに渡ります。
13歳の少年にとって、故郷を追われ、言葉も文化も異なる国でゼロからやり直す経験は過酷なものでした。しかしこの「何もないところから始める」という原体験が、のちのサバンの経営スタイルの原点になります。
イスラエルではイスラエル国防軍(IDF)に従軍。除隊後、音楽の道に進みます。ロックバンド「ライオンズ・オブ・ユダ(The Lions of Judah)」のベーシスト兼マネージャーになりますが、実はベースをまともに弾けなかった。演奏よりもビジネス——バンドの運営・営業・交渉を仕切ることに天性の才能を発揮しました。
2. 東京のホテルの3チャンネル——スーパー戦隊との運命の出会い
1973年のヨム・キプル戦争(第四次中東戦争)がサバンの人生を再び揺さぶります。イスラエルでのコンサートプロモーション事業が戦争で壊滅し、60万ドル(当時約1億8,000万円)の負債を抱えました。
1975年、再起を図りパリへ移住。独立系レコードレーベルを設立し、8年間で1,800万枚以上のレコードを売り上げます。しかしサバンの野望はヨーロッパに収まりませんでした。
1983年、ロサンゼルスに拠点を移し、パートナーのシュキ・レヴィと共に子供向けテレビ番組の音楽制作を開始。「まじかる☆タルるートくん」のアメリカ版や「インスペクター・ガジェット」のテーマ曲などを手がけ、特にインスペクター・ガジェットのテーマはテレビ史上最も認知度の高い楽曲の一つになりました。
そして1984年——運命の瞬間が訪れます。出張で訪れた東京のホテルの部屋。テレビには3チャンネルしか映りませんでした。クイズ番組、クイズ番組、そしてもう1つのチャンネルに映ったのが——超電子バイオマン。
色鮮やかなスーツを着た5人のヒーローが巨大ロボットに乗り込み、悪と戦う。サバンはこの映像に「一目惚れした」と語っています。「アメリカの子供たちが夢中にならないわけがない」——その直感が、53億ドルの帝国の出発点でした。
(出典: Los Angeles Times「Haim Saban: A New Kingdom」(2002年)、Wikipedia「Power Rangers」)
3. 7年間の拒絶——「誰も欲しがらなかった」コンテンツ
帰国後、サバンはすぐに行動に移します。1986年、スーパー戦隊の映像を使ったパイロット版「バイオマン(Bio-Man)」を制作し、アメリカのテレビ局に売り込みを開始しました。
結果は——全滅。
ABC、NBC、CBS、あらゆるネットワークに持ち込みましたが、どこも首を縦に振りません。「日本の子供番組をアメリカで放送する? うまくいくわけがない」。当時のテレビ業界の常識では、日本のコンテンツがアメリカで成功した前例はほぼ皆無でした。
サバンは後にこう振り返っています。「誰も欲しがらなかった。文字通り、一社も」。しかし彼は諦めませんでした。1986年から1992年まで、約7年間にわたって売り込みを続けたのです。
転機は1人のキーパーソンによってもたらされます。マーガレット・ローシュ——フォックス・キッズの社長に就任した彼女は、かつてマーベル・プロダクションズの責任者として日本のスーパー戦隊シリーズを知っていた数少ないアメリカのテレビ関係者でした。
ローシュはサバンのバイオマンのパイロット版を見て、即座にそのポテンシャルを見抜きます。ただし一つ助言をしました。「バイオマンは古すぎる。もっと新しいシリーズを使うべきだ」。彼女が推薦したのが、1992年放送の「恐竜戦隊ジュウレンジャー」でした。
1992年8月21日、サバンは東映と正式契約を締結。ジュウレンジャーの映像を使った独占的なアダプテーション権を獲得します。50エピソード、全世界向け、10年間の契約でした。
(出典: Wikipedia「Power Rangers: History」、Wikipedia「Margaret Loesch」)
4. 4,300万ドルで買い戻し、5.2億ドルで売却——タイミングの天才
1993年8月28日、「マイティ・モーフィン・パワーレンジャー」が放送開始。結果は爆発的でした。
日本のスーパー戦隊のアクションシーンに、アメリカ人ティーンの日常ドラマを組み合わせるという手法は、制作コストを大幅に抑えながら迫力ある映像を提供する画期的なビジネスモデルでした。
| 1994年 玩具売上 | 約3.5億ドル(約385億円) |
|---|---|
| 1995年 関連商品売上 | 年間10億ドル(約1,100億円)超 |
| 2001年 ディズニーへの売却額 | 約53億ドル(約5,800億円)※負債引受23億ドル含む |
2001年7月23日、サバンはフォックス・ファミリー・ワールドワイドをウォルト・ディズニー・カンパニーに約53億ドルで売却しました(負債引受23億ドルを含む)。サバン個人の取り分は推定15〜16億ドル(約1,650〜1,760億円)。ハリウッド史上、個人に対する最大の現金支払いと報じられました。
しかし物語はここで終わりません。ディズニーの下でパワーレンジャーのブランド価値が低下すると、サバンは2010年にディズニーからわずか4,300万ドル(約47億円)でパワーレンジャーを買い戻します。
そして2018年、ハスブロに5億2,200万ドル(約574億円)で売却。4,300万ドルの投資が約12倍のリターンになりました。自分が生み出したIPの価値を誰よりも理解していたからこそ、「安く買い戻し、高く売る」という離れ業が可能だったのです。
現在のサバンの純資産は約33億ドル(約3,630億円)。慈善活動にも積極的で、これまでに約10億ドル(約1,100億円)を寄付しています。
(出典: Wikipedia「Fox Family Worldwide」、The Hollywood Reporter「Hasbro to Acquire Power Rangers」(2018年)、Forbes「Haim Saban Profile」)
5. 中小企業経営者が学べること
- 8年間の「No」を受け入れる覚悟 — サバンはすべてのテレビ局に断られても売り込みをやめませんでした。市場が「まだ早い」と言っているだけで、アイデア自体が間違っているとは限りません。タイミングとキーパーソンが揃うまで粘れるかが勝負です
- 異文化コンテンツの「翻訳力」が価値になる — スーパー戦隊はそのままでは売れませんでした。日本の映像にアメリカのドラマパートを組み合わせる「ローカライズ」が成功の鍵。海外の優れた商品・サービスを日本市場に適応させるビジネスは、中小企業でも十分に可能です
- 自分のIPを手放すな、手放しても取り戻せ — サバンは一度パワーレンジャーを売却しましたが、ブランド価値が下がった瞬間に4,300万ドルで買い戻しました。自分が育てたブランドの価値を最もよく知っているのは自分自身です
- コストを抑えた「ハイブリッドモデル」を考える — 日本の既存映像+アメリカの新規撮影という手法は、制作コストを劇的に削減しました。すべてをゼロから作る必要はありません。既存のリソースと新しい付加価値を組み合わせるビジネスモデルを探しましょう
6. 創業・コンテンツビジネスに使える補助金
小規模事業者持続化補助金
| 補助上限額 | 最大250万円 |
|---|---|
| 活用例 | 海外コンテンツのローカライズ費用、ブランディング、広告宣伝費 |
IT導入補助金
| 補助上限額 | 最大450万円 |
|---|---|
| 活用例 | 映像制作・編集ツール、コンテンツ配信プラットフォームの導入 |
まとめ
ハイム・サバンは所持金200ドルの難民としてエジプトを脱出し、戦争で60万ドルの借金を背負い、東京のホテルで偶然見たスーパー戦隊に人生を賭けました。8年間すべてのテレビ局に断られ続けても売り込みをやめず、ついにパワーレンジャーを全米No.1の子供番組に育て上げました。
サバンの「異常な情熱」は、「自分だけが見えている価値を、世界が認めるまで売り込み続ける」という一点に集約されます。市場がまだ存在しないところに市場を作る。全員に「No」と言われても、たった1人の理解者が現れるまで動き続ける。あなたが「これは絶対にいける」と確信しているのに、まだ誰にも理解されていないアイデアはありませんか? それこそが、あなたの「パワーレンジャー」かもしれません。
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