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12件の記事

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森永太一郎(森永製菓)|23歳で渡米→失意の住み込み修行11年、2坪の工場から始まった「お菓子で日本人を強くする」情熱

1899年(明治32年)8月、東京・赤坂溜池の片隅。森永太一郎(もりなが・たいちろう、1865-1937)は、わずか2坪の小さな工場で日本初の本格的な西洋菓子製造を始めた。34歳。それまでの11年間をアメリカで過ごし、九谷焼の行商に失敗して無一文となり、サンフランシスコの洋菓子店に住み込みで働きなが

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仲田祐一(ピジョン)|約6年・1000人の母親に謝礼を払い「おっぱい社長」と呼ばれた哺乳器一筋の情熱

1949年、神奈川県茅ヶ崎市。終戦から4年、シベリア抑留の地獄を生き延びて帰国した仲田祐一(なかた・ゆういち)は、戦争で痩せ細った赤ちゃんたちを目にして決意した。「日本の未来は赤ちゃんにある」——そして同年、わずかな資金と仲間を頼りに「ピジョン哺乳器本舗」を立ち上げた。しかし仲田の挑戦はそこから始ま

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中内㓛(ダイエー)|「よい品をどんどん安く」を掲げ松下電器と30年戦争を戦った価格破壊の情熱

1957年9月23日、大阪市旭区の京阪本線千林駅前。終戦から12年、フィリピン戦線で虫を食べて生き延び、手榴弾で瀕死の重傷を負った男が、ひとつの薬局を開いた。中内㓛(なかうち・いさお)、35歳。店の名は「主婦の店ダイエー薬局」。薄暗い米軍基地の倉庫に積まれたアイスクリームを目撃し「日本人にも、お腹い

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似鳥昭雄(ニトリ)|米国視察で号泣した青年が掲げた「日本の暮らしを豊かに」36期連続増収増益の原点

1972年、米国・ロサンゼルス。28歳の青年が、現地の家具量販店の店内で立ち尽くしていた。似鳥昭雄(にとり・あきお)——札幌で小さな家具店を営む創業5年目の経営者だ。目の前に並ぶソファ、ベッド、ダイニングセット。そのどれもが、日本で売られている同等品の3分の1の値段だった。広々とした住宅に、品質の良

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POP吉村(ヨシムラジャパン)|素手で削るエンジンと「世界初の集合マフラー」——零戦整備士が世界を獲った異常な情熱

吉村秀雄は1922年(大正11年)11月10日、福岡県朝倉郡に生まれた。少年時代から機械いじりが好きで、近所の自転車屋に出入りしては部品を分解しては組み立て直していた。「動くものの仕組みを知りたい」——この子供じみた好奇心が、彼の生涯を貫く軸となった。

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アニタ・ロディック(The Body Shop)|葬儀屋に挟まれた一号店、苦情を全国報道に変えた「異常な情熱」

1976年3月27日、英国南海岸の保養地ブライトン。33歳のアニタ・ロディック(Anita Roddick)は、夫が南米横断旅行に出かけている間に家計を支えるため、たった1店舗の小さな化粧品店「The Body Shop」を開業した。資金は銀行から借りた4000ポンド。物件は2軒の葬儀屋に挟まれた場

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鈴木孝之(ウエルシア薬局)|15坪の薬局に化粧品と酒を並べた男、余命宣告の病床から1兆円企業の未来を託した執念

1965年12月、埼玉県春日部市。明治薬科大学を卒業した一人の薬剤師が、わずか15坪の小さな薬局を開いた。男の名は鈴木孝之(すずき・たかゆき)。当時の薬局は処方薬と一般薬を売るだけの「待つ商売」だったが、彼の発想は当時の常識からかけ離れていた。「薬局に化粧品も酒も日用品も並べれば、調剤の待ち時間に楽

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滝崎武光(キーエンス)|2度の倒産を経た尼崎の高卒起業家が築いた営業利益率50%超・時価総額10兆円の異端モデル

1974年、兵庫県尼崎市。2度の起業失敗を経験した29歳の滝崎武光(たきざき・たけみつ)は、3度目の挑戦として「リード電機」を立ち上げた。学歴は兵庫県立尼崎工業高校卒。慶應・東大の名門エリートではなく、町工場が密集する尼崎で電気と向き合い続けた職人の道だ。それから半世紀後の2024年3月期、彼が育て

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ニコラ・テスラ|睡眠2時間で交流電流を証明し「電流戦争」でエジソンに勝った発明家の異常な情熱

1884年、米ニューヨーク。ポケットにわずか4セントと「あるアイデア」が書かれた紙片だけを持って上陸した一人の若き移民がいた。ニコラ・テスラ(Nikola Tesla、1856-1943)——後に「現代の電気文明を発明した男」と称される人物だ。彼が紙に書き留めていたのは、当時の電気工学を根底から塗り

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鳥井信治郎(サントリー創業者)|「やってみなはれ」周囲全員が反対した赤玉ポートワインとウイスキー国産化に賭けた男

1923年(大正12年)、京都府乙訓郡山崎村。鳥井信治郎(とりい・しんじろう、当時44歳)は、湿潤な気候と良質な水に恵まれたこの地で、日本初の本格ウイスキー蒸溜所の建設に取りかかった。総工費は当時の金額で200万円——現在の貨幣価値に換算すれば数十億円規模の途方もない投資だ。社内の役員も、銀行家も、

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豊崎賢一(スシロー)|セントラルキッチン全廃・店内調理に賭けた職人社長の異常な情熱

1984年10月、大阪府豊中市。辻調理師専門学校を卒業したばかりの19歳の青年が、「鯛すし」を母体に立ち上がったばかりの回転寿司「すし太郎」(後の「スシロー」)に職人として加わった。名は豊崎賢一(とよさき・けんいち)。徳島県生まれ、当時の彼はまだ一介の寿司職人に過ぎなかった。しかしこの男が、後に業界

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土屋嘉雄(ベイシアグループ)|妻と2人の衣料店から、M&Aなし自力成長で1兆円グループを築いた群馬の小売王

1958年(昭和33年)、群馬県伊勢崎市。江戸時代から続く埼玉・深谷の「いせや呉服店」を継がず、26歳の土屋嘉雄(つちや・よしお)は妻と二人で衣料品店「いせや」を独立開業した。この小さな店が、後にベイシア(スーパーマーケット)、カインズ(ホームセンター)、ワークマン(作業服)、セーブオン(コンビニ)