土屋嘉雄(ベイシアグループ)|妻と2人の衣料店から、M&Aなし自力成長で1兆円グループを築いた群馬の小売王
1958年(昭和33年)、群馬県伊勢崎市。江戸時代から続く埼玉・深谷の「いせや呉服店」を継がず、26歳の土屋嘉雄(つちや・よしお)は妻と二人で衣料品店「いせや」を独立開業した。この小さな店が、後にベイシア(スーパーマーケット)、カインズ(ホームセンター)、ワークマン(作業服)、セーブオン(コンビニ)、オートアールズ(カー用品)など、いくつもの全国チェーンを束ねる「ベイシアグループ」へと成長する。驚くべきは、その成長過程にM&Aがほぼ存在しないことだ。ベイシアグループは祖業の「いせや」から事業ごとに分社化を繰り返し、自前で全てを育てた。2020年、グループ全体の年間売上は1兆円を突破。創業者一代で築き上げた「自前主義」の小売帝国——その源流は、群馬の小さな衣料店に妻と立った男の意志にある。
江戸時代から続く呉服屋の二男、1951年に高崎で商業修行
土屋嘉雄は1932年(昭和7年)9月20日、埼玉県深谷市に生まれた。実家は江戸時代から続く老舗「いせや呉服店」——地域に根付いた由緒ある商家だった。だが、土屋は二男として生まれたため、家業を継ぐ立場ではなかった。長兄が呉服店を継ぐのが家のしきたりであり、二男以下は別の道を切り開かなければならない。
埼玉県立深谷商業高等学校を卒業した土屋は、「商売を学ぶ」ために群馬県高崎市へ向かう。1951年、高崎市の服地店「藤五」に勤務を始めた。藤五での修業は、土屋にとって商売の現場を徹底的に学ぶ場となった。服地(生地)の仕入れ・在庫管理・接客・店舗運営——呉服屋の家で見ていた商売とは異なる、当時の量販的な服地店の経営手法を吸収していった。
修業後、土屋は実家に戻り、いせや呉服店の中に服地部を設ける。だが、伝統的な呉服屋の中で新規部門を独立して成長させるのは容易ではなかった。家業の中で自分のやりたい商売を実現する難しさを実感した土屋は、ついに独立を決意する。1958年(昭和33年)、26歳の時だった。
1958年、妻と2人で「いせや」を独立創業——群馬・伊勢崎市から始まった
1958年、土屋嘉雄は群馬県伊勢崎市で妻と二人、衣料品店「いせや」を独立開業した。店名は実家の「いせや呉服店」から取った——独立しても、ルーツへの敬意は残した。創業時の体制はまさに「家族商店」だった。仕入れ・販売・経理——夫婦二人ですべてを切り盛りした。
翌1959年(昭和34年)、土屋は早くも次の一手を打つ。「いせや」をスーパーマーケット業態に拡張し、衣料品だけでなく食品・生活雑貨まで取り扱う総合的な小売店として再構築した。これが「スーパーマーケットいせや」1号店だ。地方都市・伊勢崎の郊外で、「一つの店で生活必需品が揃う」という新しい買い物体験を提供する試みだった。当時のスーパーマーケット業態は日本に登場したばかりで、いせやはその草創期のプレイヤーの一つとなった。
1967年(昭和42年)、土屋はいせやの代表取締役社長に就任。創業から9年で、専務取締役から社長へと立場を変え、本格的に事業拡張のフェーズに入った。同時に、土屋の中で「一つの業態に固執しない、複数業態を分社化する」というグループ経営の構想が固まり始めていた。
「業態ごとに会社を分け、それぞれが自立した経営者として責任を持つ」
—— 土屋嘉雄が確立したベイシアグループの分社経営の哲学
この発想は、当時の流通業界では珍しいものだった。スーパー業界では「総合化」「ワンストップ」が主流で、ダイエー・イトーヨーカ堂のように一つの巨大企業が多業態を内包するモデルが一般的だった。だが土屋は逆に、業態ごとに会社を分けることで、それぞれの経営判断を専門特化させる戦略を選んだ。
1982年ワークマン、1989年カインズ——業態ごとに会社を分ける「分社経営」
土屋の分社経営戦略は、1980年代以降に本格化する。1982年(昭和57年)、作業服専門店「ワークマン」を分社化。当時の作業服販売は、職人・建設業の現場向けに地味な業界と見なされていたが、土屋は「市場が小さくても、専門特化すれば必ず勝てる」と判断した。ワークマンは作業服のチェーン展開で着実に成長し、後に「ワークマンプラス」「ワークマン女子」など一般消費者向けの新業態を生み出し、社会現象となる。
続く1984年(昭和59年)には、コンビニエンスストア事業「セーブオン」を分社化。1986年(昭和61年)には自動車用品店「オートアールズ」を立ち上げた。そして1989年(平成元年)、土屋はホームセンター「カインズ」を分社化する。これが後にグループ最大の収益源へと育つ。
1996年(平成8年)、土屋はスーパーマーケット事業を「ベイシア」として再編し、その代表取締役社長に就任。1997年に正式設立した「ベイシア」は、いせや時代から続く小売の本業を承継した中核会社となった。
| 年 | 主な出来事 |
|---|---|
| 1958年 | 26歳の土屋嘉雄、妻と2人で伊勢崎市に衣料店「いせや」を創業 |
| 1959年 | スーパーマーケット「いせや」1号店開店 |
| 1967年 | いせや代表取締役社長に就任 |
| 1982年 | ワークマン分社、代表取締役社長に就任 |
| 1984年 | セーブオン(コンビニ)分社 |
| 1986年 | オートアールズ(カー用品)分社 |
| 1989年 | カインズ(ホームセンター)分社 |
| 1996年 | ベイシア代表取締役社長に就任 |
| 1997年 | ベイシア設立(いせやの小売事業を承継) |
| 2007年 | ベイシア代表取締役会長に就任 |
| 2020年 | グループ年間総売上1兆円を突破 |
| 2022年 | ベイシア名誉会長に就任(長男・土屋裕雅が会長) |
注目すべきは、これらの分社化がすべて土屋嘉雄の自前判断・自前資本で行われた点だ。一般的なグループ拡大は他社買収・統合(M&A)に頼ることが多いが、土屋は徹底して「内製・自前主義」を貫いた。「他社を買うなら、自前で同じ事業を立ち上げる」——その方が経営理念を貫けるし、企業文化の希釈を防げる、という哲学だ。
2020年、グループ売上1兆円突破——M&Aなし・上場なしの孤高の小売集団
20年ほど前まで、ベイシアグループの全店年間売上高は3,000億円強だった。それが2020年10月までの1年間で初めて1兆円の大台を突破。これは流通業界の中でも極めて稀有な、「創業者一代でゼロから1兆円に到達した自前主義グループ」の達成だ。
ベイシアグループの「6つの規格外」と呼ばれる特徴がある——①M&Aをほぼ行わず自前で成長、②グループ統一ブランドを持たず各社が独立、③本部機能をスリム化、④創業家が個人資産で投資・支配、⑤上場している会社・していない会社が混在、⑥群馬県発で全国展開。中でも「創業一族の資産は2500億円超」と推計されており、土屋嘉雄自身も日本有数の資産家として知られる。
2007年(平成19年)、土屋はベイシアの代表取締役会長に就任。2022年(令和4年)には名誉会長に退き、長男の土屋裕雅(カインズ会長兼ベイシアグループ会長)に経営の最終責任を引き継いだ。創業から64年——妻と二人で衣料店を始めた青年が、グループ売上1兆円の小売王へと駆け上がり、平和裏に世代交代を完了させた。
息子の土屋裕雅は父親・嘉雄について、こう評している——「非常に良い発想をする人だが、他人の言うことを聞かない」。創業者ならではの強烈な独立心と決断力の表れだろう。M&Aに頼らず、上場でグループ全体を一体化することもなく、自分の信じる経営判断を貫いた64年——その結果として、群馬発の小売グループは日本有数の存在となった。
(出典: 日経ビジネス「ベイシアグループ、非『グループ一丸』で1兆円到達」、ダイヤモンドオンライン「ワークマンを生んだベイシア『6つの規格外』、創業一族は資産2500億円超」)
まとめ
土屋嘉雄は、江戸時代から続く埼玉・深谷の「いせや呉服店」の二男として、家業を継がずに独立する道を選んだ。1958年、26歳の時に妻と二人で群馬県伊勢崎市に衣料店「いせや」を開業。翌年スーパーマーケット業態へ拡張し、1982年ワークマン、1984年セーブオン、1986年オートアールズ、1989年カインズ——業態ごとに会社を分ける「分社経営」で、自前のグループを次々と育てていった。
そして2020年、ベイシアグループは創業者一代で年間総売上1兆円を突破。M&Aに頼らず、上場でグループを一体化することもなく、64年間かけて積み上げた自前主義の結果だった。創業一族の資産は2,500億円超に達し、2022年には長男・土屋裕雅へと経営の最終責任を引き継いだ。


