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経営者向け 失敗から学ぶ

フォルクスワーゲン|「クリーンディーゼル」を装った不正ソフトが1,100万台に仕込まれていた日(2015)

フォルクスワーゲン|「クリーンディーゼル」を装った不正ソフトが1,100万台に仕込まれていた日(2015)

2015年9月18日、米国環境保護庁(EPA)が一通の通告書を公表した。フォルクスワーゲン(VW)製のディーゼル車に、排ガス試験のときだけ浄化装置をフル稼働させ、通常走行では機能を抑える「ディフィートデバイス(無効化装置)」が仕込まれている——。対象車両は世界で約1,100万台に及び、VWは即座に不正を認めた。CEOマルティン・ヴィンターコルンは数日後に辞任、株価は2営業日で約35%下落し、時価総額にして250億ユーロ以上が消えた。「ディーゼルゲート(Dieselgate)」と呼ばれるこの事件は、単なる排ガス不正の枠を超え、世界自動車産業のEV転換を一気に加速させる引き金となった。なぜトヨタを抜いて世界販売1位を目指していた優等生企業が、組織ぐるみの不正に手を染めたのか。本稿では事件の全体像と、中小企業経営者が取るべき教訓を整理する。

クリーンディーゼルを掲げ世界販売1位を狙ったVW

2000年代後半、VWグループは明確な戦略目標を掲げていた。「2018年までに世界販売1000万台を達成し、トヨタを抜いて世界1位の自動車メーカーになる」——いわゆる「Strategy 2018」だ。CEOマルティン・ヴィンターコルン(2007年就任)の下、VWは欧州・中国・南米で攻勢をかけ、アウディ、ポルシェ、スコダ、セアト、ベントレー、ランボルギーニ、ドゥカティと多数のブランドを束ねる巨大コングロマリットへと成長した。

世界1位を狙ううえで残されていた最後の市場が、北米だった。米国市場のシェアはわずか数%にとどまり、攻略の鍵を握る差別化要素として選ばれたのが「クリーンディーゼル」だった。米国の消費者は伝統的にガソリン車と大型SUVを好み、ディーゼル車は「黒煙を吐く商用車」というネガティブイメージが根強かった。VWはこの先入観を覆すべく、「TDI(Turbocharged Direct Injection)」エンジンを搭載した乗用ディーゼル車を、「燃費が良く、加速がよく、排ガスもクリーン」というメッセージで大々的にマーケティングした。

米国の排ガス規制は世界でも最も厳しい部類に入る。窒素酸化物(NOx)の排出基準は欧州の半分以下で、ディーゼル車にとっては高いハードルだった。VWはこの規制を「自社のクリーンディーゼル技術で楽々クリアできる」と主張し、ジェッタTDI、ゴルフTDI、パサートTDI、アウディA3 TDIなどを次々と投入した。2009年にはVWジェッタTDIが「グリーンカー・オブ・ザ・イヤー」を受賞し、環境性能のお墨付きまで得た。

2014年、VWグループの世界販売は1,014万台に達し、悲願の「年間1000万台」を1年前倒しで達成した。 2015年上半期にはついにトヨタを抜き、世界販売台数で初めて首位に立った。「Strategy 2018」の目標は、達成目前まで来ていた。しかしその陰で、VWは決して達成できないはずの目標を「達成したように見せる」ための禁じ手に手を染めていた。

後の捜査で明らかになるが、VWのエンジニアたちは2005〜2006年頃から「米国のNOx規制は、コストと性能を両立しながらクリアするのは技術的に困難だ」と内部で結論づけていた。尿素水(AdBlue)を使ったSCR(選択的触媒還元)システムを大型化すれば達成可能だったが、コストとパッケージング(車内スペース確保)の制約から経営判断としてその採用は見送られた。代わりに選ばれたのが、「試験中だけ規制をクリアし、実走行では基準を超えて走る」という不正だった。

出典: BBC「Volkswagen: The scandal explained」 / EPA「Volkswagen Clean Air Act Civil Settlement」 / Wikipedia「Volkswagen emissions scandal」

ディフィートデバイス(無効化ソフト)の仕組み

ディフィートデバイスとは、米クリーンエア法(Clean Air Act)が明確に禁じている「排出制御装置の動作を、車両通常使用時に無効化または低下させる装置・ソフトウェア」を指す。VWが採用していたのは物理的な装置ではなく、エンジン制御ユニット(ECU)に組み込まれた巧妙なソフトウェアロジックだった。

そのアルゴリズムは概略こうだ——ECUは、ハンドル操作の有無、車速、加速度、エンジン回転数、走行時間といった複数のパラメータを常時モニタリングし、「現在の走行状態は、台上試験(ダイナモメーター上で行う排ガス試験)の決められたサイクルに一致するか?」を判定する。試験サイクルのパターン(例:規定された加速・減速・定速走行の組み合わせ)に合致すると判断した場合のみ、排ガス浄化システム(NOx吸蔵触媒またはSCRシステム)をフル稼働させてNOx排出量を法規制値以下に抑える。一方、実際の路上走行と判断した場合は、浄化システムの動作を絞り、燃費・出力・耐久性を優先する設定に切り替わる。

結果として、VWのディーゼル車は実走行時に法定値の最大40倍のNOxを排出していたことが、後の調査で確認されている。 NOxは光化学スモッグや酸性雨の原因となり、呼吸器系疾患を引き起こすことで知られる有害物質だ。米国だけで対象車約50万台、世界全体で約1,100万台が同様のソフトを搭載していたとVW自身が認めた。

不正の対象となったのは、主に2009年〜2015年モデルの「EA189型」2.0L 4気筒ディーゼルエンジンと、後にアウディとポルシェにも搭載された「EA897型」3.0L V6ディーゼルエンジンだ。VW、アウディ、シュコダ、セアトの広範な車種に影響が及び、グループ全体の信頼性を根底から揺るがした。

VW社内では、このソフトウェアは「アコースティック・ファンクション(音響機能)」というカモフラージュされた名称で呼ばれ、エンジンノイズを抑えるための制御の一部であるかのように偽装されていた。米司法省の起訴状によれば、ボッシュ社(部品サプライヤー)から提供されたECUソフトウェアをVWのエンジニアが改造して不正ロジックを実装し、上長による暗黙の承認のもとで量産車に搭載されていったとされる。

出典: EPA「Notice of Violation」(2015年9月18日) / The Guardian「How VW tried to cover up the emissions scandal」

ICCT・カリフォルニア大学WVUの実走試験で発覚(2014-2015)

事件の発端は、欧州の独立系シンクタンク「国際クリーン交通協議会(ICCT:International Council on Clean Transportation)」が2013年に始めた調査プロジェクトだ。ICCTは「米国のディーゼル車は欧州のディーゼル車より排ガス性能がよい」という仮説を立証し、欧州の規制当局に厳しい規制導入を働きかけるための材料を集めようとしていた。皮肉なことに、この「VWを賞賛するため」の調査が、結果的にVWを破滅に追い込むことになる。

ICCTはウェストバージニア大学(WVU)の「代替燃料・エンジン・排出物センター(CAFEE)」に実走行試験を委託した。WVUのチームは2014年、ポータブル排ガス測定装置(PEMS)をジェッタTDIとパサートTDIに搭載し、ロサンゼルスからシアトルまで実際の道路を走行して排ガスを計測した。比較対象としてBMW X5のディーゼル車も同様に計測した。

結果は衝撃的だった。BMW X5はほぼ法定値内に収まっていたのに対し、VWの2車種は実走行時にNOxを基準値の15〜35倍排出していた。 一方で、研究室の台上試験ではVW車も基準値以下を達成していた。「同じ車が試験と路上で全く違う排ガス特性を示す」——この不可解な事実が、米EPAとカリフォルニア大気資源局(CARB)の調査の引き金となった。

EPAとCARBはWVUのレポートを受けて2014年5月からVWに説明を求めたが、VWは「燃料品質や走行条件の違いが原因」「技術的なキャリブレーション問題」と回答し、ソフトウェアアップデートで対応するとしてリコールを実施した(2014年12月)。ところがCARBが2015年5月にアップデート後の車両を再度実走試験したところ、依然として基準値を大幅に超えるNOx排出が確認された。

CARBとEPAが「2016年モデルの認証を発行しない」とVWに通告して圧力をかけたところ、2015年9月3日、VWはついに「ディフィートデバイスを搭載していた」と当局に対し認めた。EPAは9月18日に正式に違反通告を公表し、世界中のメディアが一斉に報道。VWの株価はその週末を挟んだ2営業日で約35%下落、9月23日にはCEOマルティン・ヴィンターコルンが辞任を発表した。後任にはポルシェAG出身のマティアス・ミュラーが就任した。

ヴィンターコルンは退任時の声明で「個人的に不正に関与していないが、ドイツ企業のリーダーとして責任を取る」と述べた。しかし2018年、米司法省は彼を含む複数の元経営陣を米国法に基づき詐欺罪などで起訴。ドイツ国内でも検察が起訴し、2024年から2025年にかけて裁判が継続している。

出典: ICCT「In-Use Emissions Testing of Light-Duty Diesel Vehicles in the United States」(2014年) / West Virginia University CAFEE プレスリリース / Reuters「Volkswagen ex-CEO Winterkorn faces trial」

米司法省提訴と総額300億ユーロ超の制裁・損害賠償

EPAの違反通告から約4ヶ月後の2016年1月、米司法省はクリーンエア法違反でVWを連邦地裁に提訴した。請求総額は最大で480億ドル(当時のレートで約5.6兆円)に上る可能性があると報じられ、VWの存続自体が危ぶまれた。

その後の和解で確定した米国内の主な制裁・賠償は次の通りだ。2016年6月、VWは2.0L車約47.5万台について約147億ドルの和解金支払いに合意。買い戻し・修理・補償プログラム、環境保護基金への拠出、ゼロエミッション車普及への投資が柱となった。2017年1月には米司法省と43億ドルの和解(うち27億ドルが罰金、15億ドルが民事制裁)が成立し、VWは詐欺・司法妨害・関税法違反の3罪を認めた。3.0L車(アウディ、ポルシェ含む)についても約12億ドルの追加和解が成立。各州の検事総長との集団和解、消費者集団訴訟の和解金などを合わせ、米国内だけで累計約330億ドル(約3.6兆円)の費用がVWに発生した。

VWの2024年版アニュアルレポートによれば、ディーゼルゲート関連の累計コスト(罰金、和解金、車両買い戻し、修理費、弁護士費用など)は世界全体で約324億ユーロ(約5.2兆円)に達した。 これは2015年当時のVWグループの年間営業利益の約3倍に相当する規模で、企業活動史上でも最大級の不正コストの一つだ。

欧州でも各国の規制当局が独自に調査・制裁を行い、ドイツ・ブラウンシュヴァイク検察はVWに10億ユーロの行政罰金を科した(2018年6月)。アウディには8億ユーロ、ポルシェには5.35億ユーロが別途科されている。集団訴訟(KapMuG)でも数十万人の消費者がVWを訴え、2020年に約7.5億ユーロでの和解が成立した。日本国内でも国土交通省がVWに対しリコール届出を指示し、VWジャパンはユーザーへの補償プログラムを実施した。

刑事責任も追及された。米国ではVWの元エンジニア6名が起訴され、うちエンジニアリング・コンプライアンス担当だったオリバー・シュミット元幹部は懲役7年の実刑判決を受けた(2017年12月)。ドイツでもアウディの元CEOルパート・シュタートラーが執行猶予付き判決を受け、ヴィンターコルン元CEOの裁判は健康上の理由で繰り返し延期されながら2024年に再開された。

財務的な打撃以上に深刻だったのは、ブランドイメージの崩壊だ。「Das Auto(ザ・カー)」という長年のキャッチコピーをVWは事件後に静かに取り下げた。「ドイツの精密技術」「環境性能」というブランドの根幹的価値が、組織ぐるみの不正によって自ら破壊された格好となった。

出典: U.S. Department of Justice「Volkswagen AG Agrees to Plead Guilty」(2017年) / Reuters「Volkswagen Dieselgate costs swell to 32 billion euros」 / BBC「VW Oliver Schmidt jailed for seven years」

EV戦略(IDシリーズ)への大転換

ディーゼルゲートはVWに巨額のコストを強いただけでなく、自動車事業戦略そのものの根本的な見直しを迫った。「クリーンディーゼル」という北米攻略の中核戦略が崩壊したいま、VWは新たな環境技術の柱を打ち出さなければ生き残れない状況に追い込まれた。

2016年6月、VWは新中期戦略「TOGETHER - Strategy 2025」を発表した。柱の一つが「電動化への大胆な転換」であり、2025年までに30種類以上の電気自動車(EV)を投入し、年間販売台数の20〜25%(200〜300万台)をEVにするという野心的な目標が掲げられた。これは事件前のVWのEV戦略と比較して、規模で数倍に拡張された計画だった。

2019年、VWはEV専用プラットフォーム「MEB(Modular Electric Drive Toolkit)」を発表し、同年に量産EVの旗艦シリーズ「ID.」を立ち上げた。 第1弾の「ID.3」(コンパクトハッチバック)、続く「ID.4」(SUV)、「ID.5」「ID.7」と矢継ぎ早に車種を投入し、欧州ではテスラに次ぐEV販売台数を確保した。さらに2030年までに新車販売の50%をEVにする目標を発表(2021年)し、業界全体の電動化シフトを牽引する立場に移行した。

EV転換には巨額の投資が必要だった。VWは2030年までに電動化・デジタル化に1800億ユーロを投じる計画を発表(2022年)。バッテリー工場の自社建設(PowerCo社設立)、ソフトウェア子会社CARIADの設立、北米でのEV生産拠点新設など、垂直統合型の戦略を加速させた。皮肉なことに、ディーゼル不正で支払った3兆円超のコストと同等規模の投資を、EVシフトのためにさらに上乗せする必要に迫られたのである。

ガバナンス改革も進められた。監査役会の独立性強化、コンプライアンス部門の権限拡大、内部通報制度の整備、社内倫理教育の徹底などが実行された。ただし2024年に再びアウディの一部車種で排ガス関連の調査が始まるなど、根本的な企業文化の改革は道半ばだという指摘もある。

出典: Volkswagen Group「TOGETHER - Strategy 2025」(2016年) / Reuters「VW unveils ID.3 electric car as it tries to move on from dieselgate」 / Volkswagen Group「Annual Report 2023」

まとめ:VWディーゼルゲートが残した「正面突破」の重み

  • VWは「Strategy 2018」で世界販売1位を目指し、北米攻略の切り札として「クリーンディーゼル」を掲げた
  • 2009〜2015年モデルの約1,100万台に、排ガス試験時のみ浄化装置をフル稼働させるディフィートデバイスが組み込まれていた
  • ICCT委託のウェストバージニア大学(WVU)の実走試験で、NOx排出が法定値の15〜40倍であることが発覚(2014年〜2015年)
  • 2015年9月18日、米EPAが違反通告を公表。CEOヴィンターコルン辞任、株価は2営業日で約35%下落
  • 世界全体での累計コストは約324億ユーロ(約5.2兆円)に達し、企業不正史上最大級の損失となった
  • 事件はVWを「TOGETHER - Strategy 2025」「EV専用プラットフォームMEB」「ID.シリーズ」へとEV戦略への大転換に追い込んだ
  • 教訓:達成不可能な目標は不正を生む・内部通報制度の整備・規制対応は競争優位の源泉・不正コストは想像の10倍

参考資料
Wikipedia「Volkswagen emissions scandal」
U.S. EPA「Volkswagen Clean Air Act Civil Settlement」
U.S. EPA「Notice of Violation」(2015年9月18日)
BBC「Volkswagen: The scandal explained」
ICCT「In-Use Emissions Testing of Light-Duty Diesel Vehicles in the United States」(2014年)
West Virginia University CAFEE プレスリリース
U.S. Department of Justice「Volkswagen AG Agrees to Plead Guilty」(2017年)
Reuters「Volkswagen Dieselgate costs swell to 32 billion euros」
Volkswagen Group「TOGETHER - Strategy 2025」(2016年)

この記事を書いた人

松田信介
松田 信介 Shinsuke Matsuda

X-HACK Inc. 代表取締役 / PARKLoT CTO

Microsoft for Startups Founders Hub 採択

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