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経営者向け 創業ストーリー

青山五郎(青山商事)|客ゼロの開店から「紙爆弾」作戦で業界日本一を手にした創業者の情熱

青山五郎(青山商事)|客ゼロの開店から「紙爆弾」作戦で業界日本一を手にした創業者の情熱

1974年、広島県東広島市に日本初の郊外型紳士服店が誕生した。しかし開店から1〜2時間が経過しても、店内に客は一人もいなかった。創業者・青山五郎(1930〜2008年)は原因を調べ、衝撃の事実を知る——地元の人々が、店のオープンをまったく知らなかったのだ。翌週末から青山は動いた。店の半径15kmにある全戸を特定し、毎週末、チラシを配り続けた。休まず、半年間。その作戦はやがて業界で「青山の紙爆弾」と呼ばれるようになる。1991年3月期、青山商事の売上高は868億円に達し、それまで業界トップだったタカキューを抜いて「日本一の洋服店」の座を手にした。創業から27年、資本金わずか100万円のスタートから。

府中の自宅改造店——34歳の決意

青山五郎は1930年3月4日、広島県府中市に生まれた。戦後は大蔵省専売局(現・日本たばこ産業)に勤務し、サラリーマンとして経理の仕事を経験した。安定した職場だったが、「自分で事業を起こしたい」という思いは消えなかった。

1964年5月6日、34歳の青山は脱サラし、故郷・府中市で青山商事株式会社を創業した。資本金はわずか100万円。自宅を改造した小さな店舗で紳士服の販売を始めた。最初のスタッフは青山自身と実弟、そして妻の弟2人を合わせた計4名という家族経営だった。

創業当初は紳士服だけでなく、漬物や清涼飲料水なども扱う「何でも屋」に近い商売だった。しかし1967年10月、紳士服販売に専念する方針を固める。選択と集中——この決断が、後の急成長の土台となった。

  • 創業年: 1964年5月6日
  • 創業地: 広島県府中市
  • 資本金: 100万円
  • 創業メンバー: 4名(青山五郎+弟・妻の兄弟)
  • 1967年: 紳士服販売に特化
  • 1969年: 売上高1億円突破

1969年には売上高が1億円を突破した。日本経済は高度成長期の真っただ中にあり、背広・スーツへの需要は急増していた。しかし青山が見据えていたのは、既存の紳士服業界の「当たり前」に疑問を持つことだった。駅前の商店街にひしめく同業他社と同じことをしていても、差別化はできない——その確信が、次の転換点につながっていく。

(出典: 青山商事「創業者 青山五郎」Wikipedia「青山五郎」

1972年、アメリカで見た「郊外の衝撃」

1972年、青山はアメリカに視察旅行に出かけた。当時の日本の紳士服店は、駅前の商店街に軒を連ねるのが当たり前だった。人通りの多い場所に店を構え、通行客を取り込む。それが「常識」だった。

ところがアメリカで目撃した光景は、その常識を根底から覆すものだった。繁華街から遠く離れた郊外に大型ショッピングセンターが立ち並び、巨大な駐車場には車がびっしりと並んでいた。客は車に乗って遠くからやってくる。商店街という概念が存在しない世界だった。

「人と同じことはやらない」

—— 青山五郎の経営哲学

青山の頭に一つのビジネスモデルが浮かんだ。郊外の安い土地に広い店を作れば、駅前より家賃は格段に安い。車で来る客は目的買いが多いから、接客スタッフは少なくて済む。その分の利益を低価格と広告に回せる——郊外型店舗は「安く売れる構造」を持っているのだ。

帰国後、青山はこの「郊外型店舗」モデルを日本で実現する計画を立てた。しかしそのためには、「客に来てもらうための告知」という新たな課題と向き合わなければならなかった。商店街と違い、郊外の店は通行客を期待できない。存在を知ってもらうことから始めなければならないのだ。この問いへの答えが、後に「紙爆弾」と呼ばれる作戦につながっていく。

(出典: 起業・独立ガイド「青山五郎(青山商事)」デジタル雑誌「青山五郎(青山商事創業者)さんの経歴/プロフィール」

開店から客ゼロ——「紙爆弾」作戦の誕生

1974年4月、青山商事は日本初の郊外型紳士服店「洋服の青山 西条店」を東広島市にオープンした。立地は国道2号線と地元の生活道路が交わる交差点——申し分のない場所のはずだった。準備は万全だった。

しかし開店から1〜2時間が経過しても、店内に客は一人も来なかった。

青山は慌てて原因を調べた。わかったことは単純だが致命的な事実だった——地元の人々が、店のオープンをまったく知らなかったのだ。商店街であれば通行客の目に入るが、郊外の道路沿いでは待っているだけでは誰も来ない。「良い店を作れば客が来る」は、郊外では通用しない。

「知ってもらえなければ、どれだけ良い店でも意味がない」

—— 青山五郎が直面した、郊外型店舗の本質的な課題

青山が取った行動は、シンプルかつ執念的なものだった。店の半径15km以内にある全戸を特定し、毎週末、チラシを配り続けることだ。テレビCMもデジタル広告もない時代。とにかく紙を印刷して、一軒一軒に届ける。休まず、半年間

半年後、ようやく効果が出始めた。「あの店、チラシをよく見るね」「一度行ってみようか」——そんな会話が地域に広がり、客足が動き始めた。その後もチラシ配布を継続し、西条店は軌道に乗った。この執念のチラシ作戦は、業界関係者の間で「青山の紙爆弾」と呼ばれるようになった。

この作戦が画期的だったのは、単に広告費を使ったからではない。「半径15km全戸」という徹底的な網羅性と、「毎週末・半年間」という執念の継続性にある。一度やって反応がなくても、やめなかった。その辛抱強さが、最終的に市場を動かした。

(出典: 青山商事「創業者 青山五郎 第4話 日本初の郊外型店」

業界の常識を覆した「完全買い取り制」——安値の好循環

「紙爆弾」作戦と並んで、青山の成長を支えたもう一つの革新が「完全買い取り制」だ。当時の紳士服業界では「委託仕入れ」が主流だった。シーズン終わりに売れ残った商品はメーカーに返品できる仕組みで、小売側のリスクが小さい反面、仕入れ価格は高くなる。

青山が選んだのはその逆だった。シーズン初めに注文した全商品を現金で買い取り、一切返品しない。売れ残りのリスクはすべて青山側が負う。しかしその代わり、仕入れ価格を大幅に下げることができた。

仕入れ方式 委託仕入れ(業界標準) 完全買い取り制(青山)
返品 可能 一切なし
在庫リスク メーカー側 青山側が全負担
仕入れ価格 2万円(例) 15,000円(25%安)
小売価格 高価格帯に設定せざるを得ない 業界最安値での提供が可能

委託仕入れで2万円だった商品が、完全買い取り制では15,000円になる。その差額を価格に反映すれば、競合より安く売れる。安く売れれば客が来る。客が来れば多店舗展開できる。多店舗展開すれば大量仕入れが可能になり、さらに仕入れ価格が下がる——青山が構築したのは、この好循環のサイクルだ。

在庫リスクを負ったことで、売り切るための「紙爆弾」の動機も強まった。「売れ残れば損失になる」というプレッシャーが、広告への投資を正当化した。完全買い取り制と紙爆弾作戦は、車の両輪だったのだ。郊外の低い家賃、安い仕入れ価格、積極的なチラシ広告——三つの要素が組み合わさって、青山の「安値で勝つ」モデルは完成した。

(出典: 起業・独立ガイド「青山五郎(青山商事)」

多店舗展開と1991年の業界日本一

西条店の成功を確認した青山は、郊外型店舗モデルと紙爆弾作戦を全国に展開し始めた。郊外の幹線道路沿いに次々と出店し、店を出すたびに半径15kmの全戸にチラシを配る——このパターンを繰り返すことで、店舗数は着実に増えていった。

1964年5月 青山商事創業(資本金100万円)
1969年 売上高1億円突破
1974年4月 日本初の郊外型紳士服店「西条店」開業→「紙爆弾」作戦
1983年 売上高100億円突破
1985年3月 全国50店舗
1987年 全国100店舗達成・大阪証券取引所第二部に上場
1990年12月 全国277店舗
1991年3月期 売上高868億円・経常利益216億円→業界日本一達成(タカキューを抜く)
1992年3月 売上高1,000億円突破
現在 全国47都道府県に展開・スーツ販売着数世界一(ギネス認定)

1991年3月期、青山商事は売上高868億円・経常利益216億円を記録し、それまで業界トップだったタカキューを抜いた。青山五郎が創業時から目標に掲げた「日本一の洋服店」を達成した瞬間だった。創業から27年、資本金100万円の零細店からの快挙だった。

翌1992年には売上高が1,000億円を突破。その後も出店を続け、青山商事は現在、全国47都道府県に店舗を展開する業界最大手として、スーツ販売着数世界一のギネス認定を受けている。2024年3月期の連結売上高は約1,937億円に達する。

2008年1月15日、青山五郎は77歳で世を去った。一代で年商2,000億円近い企業を築いた創業者の物語は、日本の中小企業史に刻まれている。

(出典: Wikipedia「青山商事」青山商事「沿革 1991-1995」

中小企業経営者が学べること

青山五郎の経営は、巧みな戦略論や天才的な発想ではなく、「問題を発見し、愚直に継続する」という一点に集約される。客が来ない原因を調べ、チラシを配る。半年間、休まずに。その泥臭さが業界日本一を生んだ。

  • 「知ってもらうこと」は売ることより前にある — 青山が西条店で学んだ最大の教訓は「良い店を作っても知られなければ意味がない」だ。中小企業・個人事業主にとって、集客の第一歩は認知だ。チラシ、SNS、口コミ——手段を問わず、まず「存在を知ってもらう」ことに継続的に投資する価値がある
  • 継続こそが差別化になる — 半径15kmの全戸へのチラシ配布を半年間続けた。1〜2回で諦めていたら「紙爆弾」は生まれなかった。マーケティング施策は、継続して初めて効果が見えてくる。青山の成功は「当たり前のことをやめなかった」という一点にある
  • 「当たり前」を疑うことが差別化の入口 — 業界が委託仕入れをしていたから、青山は完全買い取りを選んだ。業界が駅前に出店していたから、青山は郊外を選んだ。既存のやり方を「なぜそうなっているのか」と問い直すことから、新しいビジネスモデルが生まれる
  • リスクを引き受けることで交渉力が生まれる — 返品なしの完全買い取りはリスクを伴うが、だからこそ仕入れ価格交渉力が生まれた。「自分がリスクを引き受ける」姿勢が、相手にとって魅力的な取引条件をもたらすことがある

「人と同じことはやらない」——青山が経営哲学として掲げたこの言葉は、単なるスローガンではなかった。郊外型店舗、完全買い取り制、紙爆弾——すべての判断において、業界の「常識」の反対を選び続けた。それが結果として業界日本一をもたらした。

まとめ

青山五郎は1964年、34歳で府中市の自宅を改造して青山商事を創業した。資本金100万円、スタッフ4人という零細スタートだった。1974年には日本初の郊外型紳士服店を開業したが、開店から客ゼロという現実に直面した。

しかし青山は諦めなかった。半径15kmの全戸にチラシを配り続けた。毎週末、半年間。その「紙爆弾」作戦が実を結び、郊外型モデルは全国に展開された。完全買い取り制で安値のサイクルを生み出し、1991年には業界日本一を達成した。「人と同じことはやらない」という哲学が、一代で業界を制した。

参考資料

この記事を書いた人

松田信介
松田 信介 Shinsuke Matsuda

X-HACK Inc. 代表取締役 / PARKLoT CTO

Microsoft for Startups Founders Hub 採択

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