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経営者向け 創業ストーリー

新井隆二(ビックカメラ)|「家電は郊外」の常識を覆し、池袋駅前を日本一の家電聖地に変えた男

新井隆二(ビックカメラ)|「家電は郊外」の常識を覆し、池袋駅前を日本一の家電聖地に変えた男

1978年、東京・池袋。群馬県高崎市の小さなカメラ販売店「高崎DPセンター」を構えていた32歳の新井隆二(あらい・りゅうじ、通称・隆司)は、東京進出の地としてあえて池袋駅前を選んだ。当時の常識は「家電は郊外ロードサイド」——大型店は地代の安い郊外に駐車場付きで構えるのが定石だった。だが新井は、徒歩客の往来する都心駅前にこそ家電量販の未来があると見ていた。2001年には有楽町の旧そごう跡地に出店し「老舗百貨店が凋落し、家電量販店が超一等地に出店する」転換点を象徴。2008年には東証一部に上場し、池袋・有楽町・新宿・渋谷・名古屋・大阪・福岡——全国の主要駅前を「ビックカメラ」の青と赤のロゴが彩るようになる。郊外の常識を逆張りした男が、駅前型家電量販という新業態を作り上げた物語だ。

高崎工業高卒、22歳で「高崎DPセンター」を創業

新井隆二は1946年(昭和21年)5月28日、戦後間もない群馬県高崎市に生まれた。地方都市の典型的な勤勉さの中で育ち、群馬県立高崎工業高等学校を卒業。大学進学ではなく、地元での実業の道を選んだ。

1968年(昭和43年)、22歳の新井は地元・高崎市で「株式会社高崎DPセンター」を創業した。DPとは「Developing and Printing」——カメラのフィルム現像とプリントを請け負う商売だ。1960年代後半は、家庭にカメラが急速に普及した時期だった。庶民が手軽にカメラを持つようになり、家族写真・旅行写真・スナップなど、現像・プリント需要が爆発的に増えていた。地方都市の小さなDPセンターは、その需要を捉えて急成長する可能性を秘めていた。

1972年(昭和47年)、新井はDP事業から派生してカメラ販売部門を分離し、「株式会社ビックカラー」を設立。フィルム現像で築いた顧客基盤を活かし、カメラ本体の販売へと事業を広げた。フィルム代と現像代で月数千円使う顧客なら、新しいカメラの提案にも耳を傾けてくれる——地方の小規模事業者が顧客との関係性を縦に深掘りしていく、典型的な成長パターンだ。

店名の由来となった「ビック(BIC)」には、新井自身が後に語ったエピソードがある。バリ島を訪れた際、現地の子供たちが「ビック、ビック」と話しているのを聞き、「偉大な」という意味だと教えられたという。「限りなく大きく、限りなく重く、限りなく広く、限りなく純粋に。ただの大きな石ではなく、小さくても光輝くダイヤモンドのような企業になりたい」——その願いを社名に込めた。

(出典: Wikipedia「新井隆二」Wikipedia「ビックカメラ」

1978年、池袋進出——「家電は郊外」の常識への逆張り

1978年(昭和53年)、新井は群馬の地方店から脱皮し、東京・池袋に支店を開設した。出店地として池袋駅前を選んだのは、当時の業界常識から見れば「逆張り」の決断だった。

1970年代後半、日本の家電量販業界では「郊外ロードサイド型」が定石になりつつあった。地代が安く、大型駐車場を確保でき、家電のような大物商品を自家用車で持ち帰る客層に対応できる——郊外こそが家電販売の最適立地だ、というのが業界の常識だった。同じ時期に北関東で台頭していたヤマダ電機(群馬)・コジマ(栃木)・ケーズデンキ(茨城)も、いずれも郊外大型店を主戦場としていた。

「家電は駅前で売る」

—— 業界の常識を真逆に振った新井隆二の出店哲学

だが新井は、まったく違う読みをしていた。池袋・新宿・渋谷といった都心ターミナル駅には、毎日100万人単位の通勤客・通学客・買い物客が集まる。郊外なら車で来てもらわなければならない客が、駅前なら自然と店の前を歩いている——「通行量の絶対値」で勝負する戦略だ。さらに、駅前の徒歩客はカメラのような小型・高単価商品との相性が抜群だった。値段が高くても、自分の手で持ち帰れるサイズの商品なら、駅前型のほうが郊外型より売れる。

1980年11月21日、新井は「株式会社ビックカメラ」を正式設立。池袋を本拠地として、駅前型量販店の事業モデルを磨き上げていった。郊外型のヤマダ・コジマ・ケーズが「価格と品揃え」で競う一方、ビックカメラは「立地と利便性」で差別化を図った。同じ家電量販でも、勝負する土俵そのものが違ったのだ。

(出典: Wikipedia「ビックカメラ」Yahoo!知恵袋「ビックカメラ創業者新井隆二」

ポイントカード・PB拡張・PC強化——駅前型を磨く三つの武器

駅前型店舗を成立させるためには、郊外型とは違う武器が必要だった。新井がビックカメラに導入した代表的な仕組みが、業界に先駆けて広めたポイントカードだ。「価格は同じでもポイント還元で実質的に安く買える」「次回購入時に使えるから囲い込みになる」——ポイント制は、駅前店舗を反復利用してもらうための強力な装置だった。

1994年(平成6年)にはパソコン販売部門を分離して「株式会社ビックパソコン館」を設立。1990年代後半からのPCブーム、2000年代のデジカメ・薄型テレビブームを、駅前型の品揃えで丸ごと取り込んでいった。徒歩客が「ちょっと寄って見る」のに向く商品ジャンルが、ビックカメラの売上を押し上げ続けた。

2001年(平成13年)、新井はさらに大胆な一手を打つ。経営破綻した有楽町そごうの跡地——JR有楽町駅前の超一等地に「ビックカメラ有楽町店」を出店した。これは「老舗百貨店が凋落し、家電量販店が銀座エリアの最高一等地に出店する」象徴的な事件として、日本の流通史に刻まれた瞬間だった。「家電は郊外」だった常識を、「家電が百貨店の代わりに都心一等地を取る」へと完全に逆転させたのだ。

2003年10月には「ビックカメラ.com」をオープン。ECとリアル店舗のハイブリッド展開へ進んだ。2006年2月にはアキバのソフマップを連結子会社化し、PC・中古を含む幅広い品揃えを獲得。同年8月10日、ジャスダックに上場。さらに2008年6月10日、東京証券取引所市場第一部へと駆け上がった。

(出典: Wikipedia「ビックカメラ」東洋経済オンライン「ヨドバシ対ビックの『最終戦争』が池袋で始まる」

2009年・不適切会計で引責辞任→2012年に会長復帰、コジマ買収で郊外も制す

順調に思えた新井の経営に、2009年(平成21年)、大きな危機が訪れる。社内の不適切な会計処理が発覚し、新井は会長を引責辞任。創業者にして「ビックカメラ=新井隆二」の象徴だった人物が、自ら経営の表舞台から身を引いた。会社存亡に関わる事件だったが、新井は責任を取ることで会社の信用を守ることを選んだ。

2012年(平成24年)、新井は会長に復帰。同年6月26日、栃木県発の郊外型家電量販店コジマを連結子会社化するという大型決断を下した。これは戦略的に大きな意味を持った。ビックカメラはこれまで駅前型で勝負してきたが、コジマを取り込むことで、駅前型と郊外型を併せ持つグループ体制を一気に完成させたのだ。

かつて新井が「逆張り」して避けてきた郊外ロードサイド型を、この時期に意図的に取り込んだ判断は重要だ。市場が成熟するにつれ、駅前型単独では成長余地が限られる。郊外型を併せ持つことで、商圏カバレッジを最大化できる——創業時の「駅前一本」の哲学と、市場成熟期の「両刀使い」戦略を、状況に応じて使い分けた経営判断だった。

主な出来事
1968年 22歳の新井隆二、群馬県高崎市で「高崎DPセンター」を創業
1972年 カメラ販売部門を分離し「株式会社ビックカラー」を設立
1978年 東京・池袋に進出、駅前型家電量販店モデルを開拓
1980年 「株式会社ビックカメラ」を設立
1994年 PC販売部門を「ビックパソコン館」として分離
2001年 有楽町そごう跡地に有楽町店をオープン
2003年 EC「ビックカメラ.com」開設
2005年 社長を宮嶋宏幸に譲り、新井は会長に就任
2006年 ソフマップ連結子会社化、ジャスダック上場
2008年 東京証券取引所市場第一部上場
2009年 不適切な会計処理を受け、新井が会長を引責辞任
2012年 新井が会長に復帰、コジマを連結子会社化(駅前型+郊外型)

引責辞任から復帰に至る3年間は、創業者にとって最も辛い時期だっただろう。だがその間に新井は、自身が直接経営判断を下さない期間の会社の動きを冷静に観察し、復帰後の戦略を練り上げていた。コジマ買収の決断はそうした「外から見た時間」を糧にしたものだ。

(出典: ダイヤモンド・チェーンストアオンライン「【ビックカメラ】創業者の新井相談役が会長に復帰」家電 Watch「ビックカメラ、創業者の新井隆二氏が代表取締役会長を引責辞任」

ヨドバシ・ヤマダとの「池袋大戦」——本拠地で続く家電聖地争い

新井がビックカメラを駅前型量販の代名詞に育て上げた池袋は、いまや日本最大の「家電量販店の聖地」となった。新井が拠点を構えた池袋には、その後ヤマダ電機がLABI1号店(2006年)を出店し、近年ではヨドバシカメラも本格進出を計画している。3大量販店が一つの駅前で正面衝突する「池袋大戦」が現在進行形で続いている。

これはビックカメラにとって試練であると同時に、新井が1978年に始めた「駅前型」のビジネスモデルが、業界全体の標準になったことの証左でもある。ヤマダもヨドバシも、本拠地を池袋に置きたがる——それはすなわち、新井の「家電は駅前で売る」という逆張りが、いつの間にか「家電は駅前で買うもの」という常識に転換していたということだ。常識を作った者が、常識の中で再び戦う構図——これこそ創業者の到達点といえる。

2024年現在、ビックカメラは新井隆二の特別顧問のもと、宮嶋宏幸社長体制で運営されている。創業から半世紀以上が経過し、新井自身は経営の最前線からは退いているが、彼が作り上げた「駅前型家電量販店」というカテゴリは、日本の小売業の中で確固たる地位を占め続けている。

(出典: 日本経済新聞「ビックカメラの池袋大戦 ヨドバシカメラ参入、ヤマダ電機と三つどもえ」デイリー新潮「『ヨドバシvsビックカメラ』の池袋戦争が勃発」

まとめ

新井隆二は、群馬県高崎市のDPセンターから始まり、1978年に「家電は郊外ロードサイド」という業界常識をあえて逆張りし、池袋駅前に進出。徒歩客との相性が良いカメラ・PC・家電・小型家電を武器に、駅前型量販店という新業態を作り上げた。1980年「株式会社ビックカメラ」設立、2001年の有楽町そごう跡地進出は「百貨店から家電量販へ」の象徴的事件として日本流通史に刻まれている。

2008年に東証一部上場、2009年に不適切会計で引責辞任、2012年に会長復帰してコジマ買収で郊外型も取り込み——新井は失敗を含む経験を全て次の決断の糧に変えてきた。「家電は駅前で買うもの」という現代の常識を作ったのは、半世紀前の新井の逆張りだった。

参考資料

この記事を書いた人

松田信介
松田 信介 Shinsuke Matsuda

X-HACK Inc. 代表取締役 / PARKLoT CTO

Microsoft for Startups Founders Hub 採択

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