江崎グリコ創業者・江崎利一|牡蠣の煮汁に「子どもの未来」を見た男
1882年、佐賀県の貧しい薬種業の家に生まれた江崎利一。19歳で父を亡くし、6人の家族を一身に背負った青年が、有明海の牡蠣の煮汁に「子どもの健康を守る力」を見出し、6年の試行錯誤の末に株式会社江崎グリコを創業。売上高約3,600億円、おもちゃの累計55億個、道頓堀のネオンサインは大阪のランドマーク。その原点にあったのは、チフスで危篤の長男に牡蠣エキスを毎日舐めさせた、一人の父親の必死の行動でした。
1. 薬種業の長男——19歳で一家を背負う
江崎利一は1882年(明治15年)、12月23日、佐賀県神埼郡蓮池村(現・佐賀市蓮池町)に生まれた。6人兄弟姉妹の長男。父・清七は利一が生まれる2年前に薬種業を始めていたが、暮らしは貧しく、利一は幼い頃から家事の手伝いや弟妹の子守りに明け暮れた。
1897年、小学校高等科を卒業すると、薬の商売のかたわら朝食前の塩売りを始める。15歳の少年が、日の出前に塩を担いで近所を回る。商売の原体験はここから始まった。
1901年、父・清七が死去。弟妹をかかえた6人の家族の全責任を、19歳の利一が一身に背負うことになった。薬種業に加えて登記代書業も始め、何でもいいから稼げる仕事を探した。父の死という厳しい現実が、後の「食品を通じて国民の体位向上に貢献する」という使命感の原点になった。
2. 牡蠣の煮汁と「息子の命」——グリコーゲンとの運命の出会い
転機は、有明海に注ぐ早津江川の河原で訪れた。漁師が大釜で牡蠣を煮て、その煮汁を無造作に捨てるのを目にした江崎は、薬種業の知識から「牡蠣に含まれるグリコーゲンには大きな栄養価値があるのではないか」と直感した。煮たぎった牡蠣がそのまま煮汁ごと捨てられる。そこに宝がある——誰もが見過ごすものに価値を見出す眼は、薬種業の息子ならではのものでした。
しかし、グリコーゲンの事業化を決定的にしたのは、科学ではなく父親としての必死の体験でした。
グリコーゲンの研究に没頭していた頃、10歳になったばかりの長男・誠一がチフスにかかり、医師もサジを投げるほどに衰弱した。薬も効かない。父親としての最後の賭けで、江崎は医師の許可を得て、自ら作った牡蠣エキスを息子に毎日舐めさせた。
「この試飲を境に、誠一の病状は快方に向かい、食欲も出て、体力も回復してきた」
息子の命が救われた。この体験が、江崎の中で確信に変わった。「グリコーゲンは子どもの健康を守る」という確信。ビジネスの理屈ではなく、「自分の息子の命を救った」という体験が、その後40年以上にわたる事業の燃料になったのです。
3. 6年の試行錯誤——「世界初のハート型キャラメル」誕生
牡蠣エキスからグリコーゲンを抽出し、それを菓子に入れる——アイデアはシンプルですが、実現は絶望的に難しかった。
グリコーゲンをキャラメルに溶かし込むと、味が変わる。形が崩れる。保存が効かない。江崎は来る日も来る日も試作を繰り返し、ついに世界で初めてのハート型キャラメルを完成させた。ハート型にしたのは、子どもの口の中でグリコーゲンがゆっくり溶け出すようにするため。製品化までに約6年を要した。
1921年、江崎は38歳で一家をあげて佐賀から大阪に移住。理由は明快で、大阪こそが「食い倒れの街」だったからです。食に貪欲な大阪の人々に受け入れられれば、全国でも売れる。その読みは正しかった。
1922年2月11日、大阪の三越百貨店で「栄養菓子グリコ」の販売が始まった。この日が江崎グリコの創立記念日である。無名の田舎の薬屋の息子が、名門百貨店の棚に自作のキャラメルを並べた瞬間。40年の人生をかけた挑戦の始まりでした。
4. 「2×2=5」の商法——おもちゃとゴールインマークの異常な創意工夫
江崎利一の経営哲学を一言で表すなら、「2×2=5」です。普通なら答えは4。だが江崎は、そこに「努力」と「創意工夫」を掛け合わせれば、5にもなると信じた。
「人並みの考えをせず、あらゆる場合を科学的に検討して独創的な活路を発見し、不可能を可能にする」
— 江崎利一
この哲学が最も鮮やかに表れたのが、「おもちゃ付きキャラメル」です。江崎は「食べる」と「遊ぶ」が子どもの二大天職だと考え、キャラメルの箱に小さなおもちゃを入れた。1927年から本格的に小さなおもちゃを封入し始め、それ以前は絵カードを封入していた。
重要なのは、グリコではこのおもちゃを決して「おまけ」とは呼ばないということ。子どもの世界を真剣に見つめ、遊びから広がる豊かな世界を願う創業者の想いから生まれたものであり、「付属品」ではなく「商品の一部」だという強いこだわりがあった。これまでに開発されたおもちゃは約3万種類、累計55億個。「子どもの笑顔」への異常な執念が、100年を超えて続く企業文化になったのです。
もう一つ、江崎の創意工夫が生んだアイコンがある。ゴールインマークです。自宅近くの神社で、子どもたちが両手を挙げて駆けっこのゴールをする姿を見て、「まさに健康の象徴。これだ」とひらめいた。このマークはその後6代にわたって進化し、道頓堀のネオンサインとして大阪のランドマークになった。初代のグリコサインは1935年に設置され、高さ33mという圧倒的な大きさでした。
(出典: 江崎グリコ「55億個のおもちゃに宿る創意工夫の精神」、ビジネス+IT「グリコ創業者に学ぶ2×2=5の商法」、江崎グリコ「道頓堀グリコサイン」)
5. 三越での屈辱と「絶対にあきらめない」営業
三越での販売開始は、決して順風満帆ではなかった。無名の商品を名門百貨店に置いてもらうために、江崎は何度も何度も通いつめた。当時の三越は日本最高峰の百貨店。そこに無名の菓子を置いてもらうには、並外れた執念が必要だった。
しかし、三越での販売が始まった後も、苦難は続いた。知名度のない商品がすぐに売れるわけがない。江崎は大阪市内の菓子店を一軒一軒回り、「グリコーゲン入りの栄養菓子です」と説明して回った。断られても、また行く。「絶対にあきらめない」——その執念が、少しずつ取扱店を増やしていった。
江崎の営業は、ただ売り込むだけではなかった。当時珍しかった映画フィルムを使った宣伝や、店頭での実演販売など、次々と新しいマーケティング手法を投入した。大正時代にこれらを実行したのは、常識破りと言える。「2×2=5」の精神は、営業の現場でも発揮されていたのです。
(出典: ダイヤモンド・オンライン「江崎利一、心理学まで極めた創意工夫の成功譚」、Biz Clip「道頓堀の名物看板に見るグリコ、江崎利一の発想力」)
6. 中小企業経営者が学べること
江崎利一の生涯から、現代の中小企業経営者が学べることは明確です。
- 「体験」を事業の核にする — 江崎は「グリコーゲンが息子の命を救った」という体験を核に、事業を組み立てた。商品に対する確信が「自分自身の体験」に基づいているかどうか。それが、何年も走り続けるための燃料になる
- 誰もが捨てるものに価値を見出す — 漁師が捨てていた牡蠣の煮汁に、江崎は宝を見た。既存の業界や市場で「誰も注目していないもの」にこそ、ビジネスチャンスがある
- 「2×2=5」の精神で差別化する — 同じキャラメルでも、グリコーゲンを入れ、おもちゃをつけ、ハート型にする。小さな工夫の積み重ねが「4」を「5」に変える。補助金の事業計画書でも、「既存の商品・サービスと何が違うのか」を具体的に書けるかが採択の鍵です
- 成果が出るまで続ける — 製品化に6年、三越への営業、全国の菓子店への飛び込み。江崎の歩みは、「継続する力」がいかに重要かを示している
- 社会的使命感を言語化する — 「食品を通じて国民の体位向上に貢献する」という明確な使命が、江崎と社員を突き動かし続けた。「なぜこの事業をやるのか」を言葉にできる経営者は、困難な時期を乗り越えやすい
江崎利一は私財を投じて母子健康協会を設立し、母と子の健康増進にも取り組んだ。事業の利益で社会奉仕をしたいという想いは、「息子の命を救った牡蠣エキス」という原体験に直結していたのではないでしょうか。
(出典: 江崎グリコ「江崎利一が残した、魂の言葉」)
7. 創業・事業承継に使える補助金
江崎利一は薬種業の経験を活かし、牡蠣エキスから菓子帝国を築きました。既存の知識やスキルを新しい事業に転換したい方を、国も支援しています。
小規模事業者持続化補助金(創業型)
| 補助上限額 | 最大250万円 |
|---|---|
| 対象者 | 創業後1年以内の小規模事業者(創業前でも可) |
| 対象経費 | 店舗改装、広告掲載、展示会出展費用など |
| 直近の締切 | 一般型 第19回: 2026年4月30日 |
(出典: 中小企業庁 公募要領)
事業承継・M&A補助金
| 補助上限額 | 最大2,000万円(賃上げ特例あり) |
|---|---|
| 主な枠 | 事業承継促進枠 / 専門家活用枠 / PMI推進枠 |
| 対象経費 | 設備更新、DX導入、新商品開発の外注費・委託費など |
| 特徴 | 事業承継計画書の提出が必須 |
(出典: 事業承継・M&A補助金 公式サイト)
ものづくり補助金
| 補助上限額 | 750万円~4,000万円(グローバル枠) |
|---|---|
| 対象 | 中小企業・小規模事業者・個人事業主・スタートアップ |
| 活用例 | 革新的サービス開発、試作品開発、生産プロセス改善 |
(出典: 創業手帳「ものづくり補助金」)
まとめ
江崎利一は、佐賀の貧しい薬屋の息子から、売上高約3,600億円の菓子帝国を築き上げた。その原点は、チフスで危篤の息子に牡蠣エキスを舐めさせた「父親としての必死の行動」だった。
牡蠣の煮汁に子どもの未来を見た男は、6年かけてグリコーゲン入りキャラメルを完成させ、「2×2=5」の創意工夫でおもちゃをつけ、ゴールインマークを生み、道頓堀のネオンサインを大阪のランドマークにした。不合理なほどの執念だけが、合理的な結果を生む。それが、江崎利一の「異常な情熱」の正体です。
あなたの事業には、「息子の命を救った牡蠣エキス」のような原体験がありますか? もしあるなら、それを事業計画書に落とし込んでみてください。国の補助金制度は、その情熱を後押ししてくれる仕組みです。
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