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経営者向け 創業ストーリー

鍵山秀三郎(イエローハット)|素手で便器を磨く掃除を60年以上続け、海外まで広げた「凡事徹底」の経営者

鍵山秀三郎(イエローハット)|素手で便器を磨く掃除を60年以上続け、海外まで広げた「凡事徹底」の経営者

1953年(昭和28年)、20歳になったばかりの鍵山秀三郎(かぎやま・ひでさぶろう)は、自動車部品商社「デトロイト商会」に入社した。会社のトイレは汚れ放題で、職場の雰囲気も荒んでいた。彼は誰にも頼まれず、誰にも言わず、ただ一人で素手でトイレ便器を磨き始めた。これが彼の人生を貫く習慣となる。1961年に独立し、東京・麹町で自動車用品店「ローヤル」を一人で創業。メーカーが扱いを渋る不人気在庫を借り受け、自転車で売り歩いた——そんな小さな商売が、後のイエローハット(東証一部上場)へと育つ。その間ずっと、鍵山は素手のトイレ掃除を続けた。1991年に「日本を美しくする会」を発足、「掃除に学ぶ会」は全国122か所、さらに中国・台湾・ブラジル・ニューヨークへと広がった。2025年1月、91歳で逝去するまで、創業から60年超を「凡事徹底」の言葉と素手の掃除に捧げた経営者の物語だ。

戦後の疎開地で育った少年、20歳で「荒れた職場」を素手の掃除から変え始めた

鍵山秀三郎は1933年(昭和8年)8月18日、東京都千代田区に生まれた。戦時中は岐阜県に疎開し、戦後もそのまま岐阜の地で青春時代を過ごす。1952年(昭和27年)、岐阜県立東濃高等学校を卒業。地方の高校生として戦後の混乱期を生き抜いた青年が、社会人として最初に身を置いた職場は、東京の自動車部品商社「デトロイト商会」だった。1953年(昭和28年)、20歳になったばかりの鍵山は、戦後の自動車産業立ち上がり期に飛び込んだ。

当時の自動車業界は、職場環境も社風も「荒れた現場」が常態だった。男たちが油まみれで働き、トイレは汚れ放題、休憩室にはタバコの吸い殻が散らばる——「掃除」は誰の仕事でもなく、誰もやらない。そうした職場で鍵山は、誰にも言われず、誰にも誇るでもなく、ひとりで掃除を始めた。特にこだわったのが、誰も触りたがらないトイレ便器を素手で磨くことだった。

「素手が最も合理的に便器を磨き上げられる。どろどろの汚水も一度触ってしまえば躊躇は消える」

—— 鍵山秀三郎、なぜ素手で掃除するのかを問われての答え

素手でやる理由は、合理性だった。タワシや道具では届かない便器の裏、フチの内側、便座の隙間——素手なら指の感覚で汚れを判別できる。「これが汚いか、もう綺麗か」を直接判断できる。素手の感覚こそが、掃除の質を担保すると鍵山は確信した。

続けるうちに、トイレが綺麗になり、職場の空気が変わり、顧客層も変わった。デトロイト商会には、当時の有名人——歌手のディック・ミネ、俳優の森繁久彌などまでが来店するようになった。「掃除を通じて職場の品格を上げると、客の品格も自然と上がる」——若き鍵山がつかんだ商売の核心だった。

(出典: Wikipedia「鍵山秀三郎」、経営者通信Online「株式会社イエローハット 創業者 鍵山秀三郎」)

1961年独立——「メーカーが嫌がる在庫品」を自転車で売り歩いた創業期

1961年(昭和36年)、28歳の鍵山はデトロイト商会の専務取締役を退任し、独立を決意する。東京都千代田区麹町で、自動車用品および付属用品販売の「ローヤル」を個人創業した。当時の鍵山には、業界の有力人脈もなければ、十分な資本もない。創業時にぶつかったのが、商品の仕入れだった。

当時のカー用品業界は、メーカーが大手販売店を優遇する「系列取引」が主流。新参の小規模事業者には、メーカーが人気商品を回してくれない。鍵山が手にできたのは、メーカーが扱いを渋る不人気在庫だけだった。それも「買い取り」ではなく「借り受け」——売れたら代金を払う、売れなかったら返す、という委託販売の条件だった。

鍵山はこれを自転車に積んで、東京都内のガソリンスタンドや修理工場を一軒ずつ回って売り歩いた。「これ、置いていただけませんか」「使ってみて、もし良かったら買い取ってください」——売れ残りだろうと、不人気だろうと、必要としてくれる客は必ずいる。鍵山は地道に、店舗を持たない流動的な営業から商売を起こしていった。

1962年(昭和37年)、株式会社ローヤルを設立し、代表取締役社長に就任。創業から1年で個人事業から株式会社へと法人化を果たした。麹町の小さな事務所には、自転車営業時代に売り歩いた「不人気在庫」が、いつの間にか「鍵山さんから買えば長く使える」と顧客の評判を集める「定番品」に変わっていた。商品ではなく、「鍵山秀三郎という人間に対する信用」が、ローヤルの最大の資産になっていた。

(出典: Wikipedia「鍵山秀三郎」、物流ウィークリー「イエローハット創業者 掃除実践60年の人生と経営哲学」)

1976年小売へ転換、1997年東証一部上場——掃除と経営の同時進行

1976年(昭和51年)、ローヤルは事業の重心を従来の「卸売・卸取引」から「小売中心」へと転換した。これが現在のカー用品専門店の原型となる業態だ。後発のオートバックス(1974年に第1号店)に続く形で、ロードサイド型のカー用品専門店をチェーン展開していった。

1990年(平成2年)、ローヤルは株式の店頭登録(後のジャスダック)を果たし、上場企業の仲間入りを果たす。さらに1997年(平成9年)、東京証券取引所市場第一部に上場すると同時に、社名を「株式会社イエローハット」に変更。黄色い帽子の看板で全国にロードサイド店を展開する、現在のイエローハットが誕生した。

翌1998年(平成10年)、鍵山は代表取締役を退き、相談役に就任。創業者として経営の実務から一歩引いたが、彼が60年以上続けてきた「素手のトイレ掃除」は、社員研修や朝礼の場で語り継がれ、イエローハットという会社のDNAとして残り続けた。

掃除を続けることで何が経営に役立ったのか——鍵山自身は「凡事徹底」という言葉で表現した。誰でもできる平凡なことを、誰にもできないほど徹底的にやる。トイレ掃除は誰でもできる。だが、毎日欠かさず、60年以上、素手でやり続けることは誰にもできない。「平凡なことを非凡に努める」——この一文に、鍵山経営の本質が凝縮されている。

(出典: Wikipedia「鍵山秀三郎」、企業情報バンク「平凡なことを非凡に努める:鍵山秀三郎」)

1991年「日本を美しくする会」発足——掃除運動が海外へ広がる

個人の習慣として始まった鍵山の掃除は、徐々に共鳴者を集めていく。1991年(平成3年)、鍵山と賛同者35名によって「日本を美しくする会」が発足した。NPO法人として正式に組織化され、「掃除に学ぶ会」という実践活動を全国で展開し始める。学校・公園・公衆トイレ・地域の空き地——参加者がボランティアで集まり、素手で便器を磨き、ゴミを拾い、雑草を抜く。

当初は「経営者の趣味」「精神論的な活動」と見られることも多かった。だが参加者が口々に語ったのは、「掃除をすることで、自分の心の汚れが見えるようになる」「会社や家庭の問題が、なぜか掃除の後に整理できるようになる」という体験だった。組織的な研修プログラムというより、参加者自身の「気づき」を引き出す装置として、掃除という行為が機能していた。

「掃除に学ぶ会」は全国122か所に広がり、さらに海外へも進出する。中国・台湾・ブラジル・ニューヨーク——日本発の「素手のトイレ掃除」は、文化や言語の壁を超えて世界各地で実践されるようになった。海外参加者の多くは現地の経営者・教育者・宗教指導者だった。鍵山の掃除哲学が、世界の宗教・倫理観と通じる普遍性を持っていたことの証だ。

2014年、81歳の鍵山は「世界のトイレ掃除に挑む」というテーマで取材を受け、「日本のトイレは地球を救う」とのメッセージを発した。トイレが綺麗な国は、人の心も街も整っている——だからこそ、世界中のトイレを綺麗にすることが、地球規模の文化変革につながる、というのが鍵山の信念だった。

年 主な出来事
1933年 東京都千代田区生まれ。戦時中は岐阜県に疎開
1952年 岐阜県立東濃高等学校卒業
1953年 自動車部品商社デトロイト商会に入社、素手のトイレ掃除を開始
1961年 独立し、東京都麹町で自動車用品店「ローヤル」を個人創業
1962年 株式会社ローヤル設立、代表取締役社長に就任
1976年 小売中心へ業態転換、カー用品ロードサイド店の原型を確立
1990年 株式店頭登録
1991年 賛同者35名と「日本を美しくする会」発足
1997年 東証一部上場、社名を「株式会社イエローハット」に変更
1998年 相談役に就任
2014年 81歳で「世界のトイレ掃除に挑む」と発信、海外活動が広がる
2025年1月2日 逝去、91歳。創業から60年超を素手の掃除と「凡事徹底」に捧げた

2025年1月2日、鍵山秀三郎は91歳で逝去した。20歳でトイレ掃除を始めて以来、72年間——文字通り人生のほとんどを、毎日の掃除と並走させた経営者だった。

(出典: 東洋経済オンライン「81歳創業者は、なぜトイレを素手で磨くのか」、日本を美しくする会「日本を美しくする会について」、日本経済新聞「鍵山秀三郎氏が死去 イエローハット創業者」)

まとめ

鍵山秀三郎は1953年、20歳で入社した自動車部品商社で、誰にも頼まれず素手でトイレ掃除を始めた。1961年に28歳で独立し、東京・麹町で自動車用品店「ローヤル」を個人創業。メーカーが扱いを渋る不人気在庫を借り受け、自転車で売り歩く地道な営業から事業を起こした。1976年に小売中心へ業態転換、1997年には東証一部上場と社名「イエローハット」への変更を同時に果たした。

その60年以上の経営者人生の中で、鍵山は毎日の素手のトイレ掃除を続けた。1991年に賛同者35名と「日本を美しくする会」を発足し、「掃除に学ぶ会」は全国122か所と中国・台湾・ブラジル・ニューヨークなど海外まで広がった。2025年1月2日、91歳で逝去するまで、72年間掃除を続けた経営者だった。「凡事徹底」「平凡なことを非凡に努める」——彼が貫いた哲学は、規模に関係なく今日の中小企業経営者にも通じる。

参考資料

この記事を書いた人

松田信介
松田 信介 Shinsuke Matsuda

X-HACK Inc. 代表取締役 / PARKLoT CTO

Microsoft for Startups Founders Hub 採択

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