澤田秀雄|「航空券だけ売る」で業界の妨害に遭い続けた男がハウステンボスを1年で黒字化した話
1980年、大阪の雑居ビルの一室で、28歳の青年が旅行会社を立ち上げた。資本金500万円、社員2人。売るのは「格安航空券」だけ。当時の旅行業界では、航空券の安売りは「業界秩序を乱す行為」とされ、大手旅行会社や航空会社から激しい妨害を受けた。それでも澤田秀雄は、自分のやり方を一切曲げなかった。HISを年商8,000億円企業に育て上げ、18年連続赤字のハウステンボスを1年で黒字化した男。その原動力は、旅と事業に対する「異常な情熱」だった。
1. 世界放浪から始まった——澤田秀雄という人
澤田秀雄は1951年、大阪府生まれ。大阪市立大学商学部を卒業後、ドイツのマインツ大学に留学する。しかし、この留学が人生を変えた。ドイツでの勉強よりも、澤田を虜にしたのは旅そのものだった。
留学中にヨーロッパ各国を巡り、さらにアフリカ、中東、アジアへ。約4年間で50か国以上を放浪した。所持金はわずかで、ヒッチハイクや安宿を転々としながらの旅だった。サハラ砂漠を横断し、インドで赤痢にかかり、中東では戦闘地域に迷い込んだこともある。
この原体験が、澤田の事業観を決定的に形作った。世界には素晴らしい場所がある。しかし日本の若者は、航空券が高すぎて海外に行けない。当時の日本からヨーロッパへの航空券は往復で50万円以上。サラリーマンの月収を軽く超える金額だった。
「もっと安く海外に行ける方法があるはずだ」——この確信が、のちのHIS創業につながる。澤田にとって格安航空券を売ることは、ビジネスである以前に、自分が体験した「旅の感動」を一人でも多くの人に届ける手段だった。
(出典: Wikipedia「澤田秀雄」、HIS公式サイト「沿革」)
2. 格安航空券という「爆弾」——業界全体を敵に回す
1980年、澤田は大阪市北区の雑居ビルに「株式会社インターナショナルツアーズ」(のちのHIS)を設立する。資本金500万円、社員2人。売るのは、海外の航空会社から仕入れた格安航空券だけだった。
当時の旅行業界は、大手旅行会社とJAL・ANAが強固な利益構造を築いていた。パッケージツアーが主流で、航空券の「バラ売り」は業界のタブー。航空券だけを安く売る澤田のやり方は、既得権益を根底から揺さぶるものだった。
妨害は激烈だった。
- 航空会社からの圧力 — 格安チケットの仕入れルートを断とうとする動きが相次いだ
- 業界団体からの排除 — JATA(日本旅行業協会)への加入を長年拒まれた
- 「あんな会社はすぐ潰れる」 — 大手旅行会社からの露骨な嫌がらせや取引妨害
しかし澤田は一切ひるまなかった。むしろ、業界から叩かれるほど確信を深めていった。「お客さんが安い航空券を求めているのに、なぜ売ってはいけないのか」——この素朴な問いが、澤田の行動原理のすべてだった。
澤田はアジアの航空会社を中心に独自の仕入れネットワークを構築。大手が扱わない路線や航空会社の空席を買い取り、正規料金の半額以下で販売した。ヨーロッパ往復が50万円以上だった時代に、15万円台の航空券を売り出したのだ。
顧客は爆発的に増えた。特に、バックパッカーや学生が「HIS(エイチ・アイ・エス)に行けば安い航空券がある」と口コミで広めた。大阪の小さな雑居ビルのオフィスに、若者が行列を作る日が続いた。
3. 非常識の証明——HISの急成長
格安航空券の需要は、業界の予想をはるかに超えていた。HISは創業からわずか数年で急成長を遂げる。
| 1980年 | 大阪で創業(資本金500万円、社員2人) |
|---|---|
| 1990年 | 売上高1,000億円を突破 |
| 1995年 | 東証二部上場(のち一部へ) |
| 2004年 | スカイマークエアラインズを傘下に(のち経営権手放す) |
| 2010年 | ハウステンボス経営を引き受け |
| 2019年(コロナ前) | 売上高約8,000億円・グループ従業員約1.5万人 |
澤田が「非常識」と呼ばれた理由は、格安航空券だけではない。1996年には自らスカイマークエアラインズ(現スカイマーク)の設立に参画した。航空券を安く売るだけでは飽き足らず、航空会社そのものを作ってしまったのだ。既存の航空会社の寡占に風穴を開け、国内線の価格破壊を起こした。
この判断もまた、業界では「無謀」と言われた。航空業界は設備投資が巨額で、参入障壁が極めて高い。しかし澤田にとって、「旅を安くする」という使命の前に、常識や業界の壁は障害ではなかった。それは「越えるべきもの」でしかなかった。
スカイマークは2015年に経営破綻し、澤田は経営権を手放すことになる。この挫折については後述するが、航空会社の設立そのものが「格安で旅をさせたい」という一貫した情熱の延長線上にあったことは間違いない。
4. スカイマークの破綻——情熱の代償
澤田秀雄の経営者人生において、最大の挫折がスカイマークの経営破綻だった。
スカイマークは1996年、澤田の主導で設立された。羽田-福岡線を大手の半額近い運賃で就航させ、国内航空業界に価格破壊をもたらした。一時は業績も好調で、国内第3位の航空会社に成長する。
しかし2014年、澤田の後任経営者のもとで進められたエアバスA380(超大型機)の導入計画が致命傷になった。発注額は約1,900億円。中小規模の航空会社にとって、あまりにも巨額な賭けだった。需要予測の甘さと燃料費の高騰が重なり、2015年1月、スカイマークは民事再生法の適用を申請。負債総額は約711億円に達した。
澤田はこの時点ですでに経営の第一線からは退いていたが、自らが設立した航空会社の破綻は深い痛手だった。業界からは「やはり無謀だった」という声が上がった。
しかし澤田は、この失敗で折れなかった。むしろ、スカイマークの失敗から「本業回帰」の重要性を再認識する。HIS本体の経営に集中し、旅行事業の基盤をさらに強化していった。
「失敗してもいい。大切なのは、失敗から何を学ぶかだ。私は失敗のたびに強くなってきた」
— 澤田秀雄
この言葉は、単なるポジティブ・シンキングではない。実際に澤田は、スカイマーク破綻の直前に引き受けた「もう一つの不可能」で、それを証明してみせることになる。
5. 18年連続赤字のテーマパーク——ハウステンボス再建
2010年、澤田秀雄は58歳にして、誰もが「不可能」と断じた案件に手を挙げた。長崎県佐世保市のハウステンボスの経営再建である。
ハウステンボスは1992年、オランダの街並みを再現したテーマパークとして開業。総事業費は約2,200億円。しかし開業初年度から入場者数は目標を大幅に下回り、2003年には会社更生法を申請。その後、野村プリンシパル・ファイナンスの支援で再建を試みたが、18年連続で営業赤字。累積赤字は数百億円に膨らんでいた。
誰が見ても「再建不可能」な案件だった。実際、佐世保市や長崎県が複数の企業に経営を打診したが、すべて断られていた。最後の頼みの綱として白羽の矢が立ったのが、澤田だった。
澤田が引き受けた理由は明快だった。「152ヘクタールもある広大なテーマパークが、日本で潰れるのはもったいない」——旅行業で世界中の観光地を見てきた澤田にとって、ハウステンボスのポテンシャルは明らかだった。問題は施設ではなく、経営にあると直感した。
澤田はHISとして社長に就任。最初にやったことは、現場を歩き回ることだった。152ヘクタールの敷地を何日もかけて隅々まで見て回り、スタッフ全員と話をした。そこで気づいたのは、「お客様目線」の欠如だった。
澤田の改革は徹底的だった。
- 「光の王国」の創設 — 冬季の閑散期対策として、1,300万個のLEDイルミネーションを設置。世界最大級の光の祭典として話題を呼んだ
- 「変なホテル」の開業 — 2015年、ロボットがフロント業務を行う世界初のホテルとしてギネス記録に認定。人件費を大幅に削減しながら話題性を確保
- 入場料体系の刷新 — 散策だけなら無料の「ハーバーゾーン」を設け、気軽に来場できる仕組みを整えた
- 季節イベントの連打 — 花の祭典、バラ祭、ハロウィン、カウントダウンなど、年間を通じてイベントを絶やさない仕組みを構築
結果は劇的だった。就任からわずか1年で営業黒字化を達成。入場者数はV字回復し、2015年度には過去最高の約308万人を記録した。
18年間、誰も成し遂げられなかった黒字化を、澤田は1年でやってのけた。旅行業で培った「お客様が何を求めているか」という感覚と、「やると決めたら最後までやり抜く」という情熱が、不可能を可能にした。
6. 「異常な情熱」の正体——澤田秀雄を動かし続けたもの
澤田秀雄のキャリアを振り返ると、一つの明確なパターンが見える。「不可能」と言われるものに自ら飛び込み、情熱で突破する——このサイクルの繰り返しだ。
格安航空券は「業界秩序を壊す」と言われた。航空会社の設立は「無謀」と言われた。ハウステンボスの再建は「不可能」と言われた。そのすべてに澤田は挑み、格安航空券とハウステンボスでは見事に成功し、スカイマークでは痛い失敗を経験した。
注目すべきは、澤田がこれらの挑戦を義務感ではなく、楽しんでやっているように見えることだ。ハウステンボスの再建を引き受けた理由も、「もったいない」という素朴な感情だった。スカイマークの設立も、「日本の空を安くしたい」というシンプルな衝動だった。
「私がやっていることは、すべて旅の延長線上にある。20代で世界を放浪したときの感動を、もっと多くの人に届けたい。それだけだ」
— 澤田秀雄
この言葉に、澤田の「異常な情熱」の本質がある。格安航空券も、航空会社も、テーマパークも、すべて「旅の感動を届ける」という一点に集約される。事業が多角化しても、根っこにある動機は20代の放浪時代から変わっていない。
行動経済学では、こうした一貫した動機付けを「内発的動機」と呼ぶ。外部からの報酬や評価ではなく、行為そのものから得られる充実感が行動を駆動する。澤田にとって、旅を安くすること、旅の楽しさを創ることは、仕事ではなく生き方そのものだった。
だからこそ、業界から妨害されても折れない。スカイマークが破綻しても折れない。18年赤字のテーマパークを引き受ける。情熱が「合理的な判断の限界」を超えさせる——それが澤田秀雄という経営者の最大の武器だった。
7. 創業・観光事業に使える補助金
澤田秀雄は、500万円の資本金と2人の社員で旅行会社を立ち上げ、業界の常識を覆した。今の日本には、そうした創業者の情熱を資金面から支える補助金制度が充実している。
小規模事業者持続化補助金(創業型)
| 補助上限額 | 最大250万円 |
|---|---|
| 対象者 | 創業後1年以内の小規模事業者(創業前でも可) |
| 対象経費 | 店舗改装、広告掲載、ウェブサイト制作、展示会出展費用など |
| ポイント | 旅行業・観光業の創業にも活用可能 |
(出典: 中小企業庁 公募要領)
観光庁 地域一体となった観光地・観光産業の再生・高付加価値化事業
| 補助上限額 | 1事業者あたり最大1億円(地域計画全体で最大5億円) |
|---|---|
| 対象 | 宿泊施設、観光施設、DMOなど地域の観光事業者 |
| 対象経費 | 施設改修、バリアフリー化、DX導入、コンテンツ造成など |
| 特徴 | 地域全体の観光戦略と連動した計画が必要 |
(出典: 観光庁 公式サイト)
ものづくり補助金(サービス革新枠)
| 補助上限額 | 750万円〜4,000万円(グローバル枠) |
|---|---|
| 対象 | 中小企業・小規模事業者・個人事業主 |
| 活用例 | 旅行業のDX化、予約システム開発、新サービス開発など |
(出典: 創業手帳「ものづくり補助金」)
まとめ
澤田秀雄は、20代の世界放浪で得た「旅の感動」を原動力に、格安航空券で業界の壁を壊し、航空会社を設立し、18年赤字のテーマパークを1年で黒字化した。
格安航空券は「業界秩序の破壊」と言われた。スカイマークは「無謀」と言われた。ハウステンボスは「再建不可能」と言われた。しかし澤田は、「不可能」と言われるたびに、むしろ確信を深めた。その確信の源泉は、50か国を放浪した青年時代の体験——「旅の素晴らしさを、もっと多くの人に届けたい」というシンプルな情熱だった。
あなたの事業の原点には、どんな体験がありますか? もしそこに強い情熱があるなら、それを事業計画書に込めてみてください。補助金の審査員も、その熱量を見ています。
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