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12件の記事

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ロックフェラー|10セントの帳簿を80年間つけ続けた男が史上最大の富を築いた

1855年、16歳のジョン・D・ロックフェラーは人生初の給料を手にしました。3ヶ月でわずか50ドル——1日あたり約50セント。彼がまずしたことは、10セントで赤い手帳を買うことでした。「Ledger A」と名付けたその帳簿に、収入と支出を1セント単位で記録し始めます。この習慣を97歳で亡くなるまで8

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ヴァンダービルト|運賃をゼロにして競合を白旗させた「提督」の価格戦争

1834年11月、ニューヨークからアルバニーへ向かうハドソン川の蒸気船に、乗客たちが殺到しました。理由は単純です——運賃がタダだったからです。仕掛けたのはコーネリアス・ヴァンダービルト、40歳。3ドルだった運賃を1ドル、50セント、10セントと下げ続け、ついにゼロにしました。船内の食事と飲み物の売上

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ウォルト・ディズニー|スタジオ倒産、床で寝泊まり——それでもアニメを描き続けた男

1923年、21歳のウォルト・ディズニーが設立したアニメスタジオが倒産しました。従業員は全員去り、電気も止まった暗いスタジオの床で寝泊まりし、缶詰の豆を冷たいまま食べて飢えをしのぐ日々。それでも彼はアニメを描き続けました。所持金40ドルとボロボロのスーツケース1つでハリウッド行きの列車に乗り、やがて

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ウォーレン・バフェット|11歳で株を買い、90代でもマクドナルドの朝食を食べる男

1942年、11歳のウォーレン・バフェットは姉のドリスと一緒に、1株38ドル25セントでシティーズ・サービス優先株を3株購入しました。株価は27ドルまで下落し、彼はパニックに陥りながらも40ドルで売却。わずか5ドルの利益。しかしその株はのちに202ドルまで上昇します。11歳の少年はこの日、生涯忘れな

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なぜ油そば屋が増えているのか?|原価率・光熱費・回転率の数字で見る人気の理由|数字から見るラーメン激戦区攻略と開業の勝ち筋

倒産したラーメン店の87.7%は負債1億円未満、85.9%は従業員5人未満の小規模店です。原材料費が2022年比で1割超上昇するなか、ラーメンの全国平均価格は700円を下回る水準にとどまり、「1,000円の壁」を超えられないことが経営を圧迫しています。

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業界別広告費比較2026|EC・SaaS・飲食の目安

「うちの広告費は多すぎるのか、少なすぎるのか」――。広告予算を決めるとき、多くの経営者が抱く疑問です。2025年の日本の総広告費は8兆623億円(前年比105.1%)と4年連続で過去最高を更新しました(電通「2025年 日本の広告費」)。しかし、適正な広告費は業界によって大きく異なります。全業種平均

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安藤百福と日清食品|48歳で無一文、96歳まで止まらなかった「異常な情熱」

48歳で全財産を失った男が、自宅の裏庭に建てたたった3坪の小屋にこもり、1年間の試行錯誤の末に世界初のインスタントラーメンを発明した——。日清食品の創業者・安藤百福(あんどう ももふく、1910〜2007)の人生は、挫折と再起の連続です。チキンラーメンを世に出したのが48歳。カップヌードルで世界の食

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江崎グリコ創業者・江崎利一|牡蠣の煮汁に「子どもの未来」を見た男

1882年、佐賀県の貧しい薬種業の家に生まれた江崎利一。19歳で父を亡くし、6人の家族を一身に背負った青年が、有明海の牡蠣の煮汁に「子どもの健康を守る力」を見出し、6年の試行錯誤の末に株式会社江崎グリコを創業。売上高約3,600億円、おもちゃの累計55億個、道頓堀のネオンサインは大阪のランドマーク。

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一瀬邦夫(ペッパーランチ・いきなり!ステーキ創業者)|妻のまかないから「鉄皿ステーキ」を発明した男の情熱

「ステーキは高級レストランで食べるもの」——そんな常識を壊した男がいます。一瀬邦夫、ペッパーランチと「いきなり!ステーキ」の創業者です。高校卒業後にコックの世界に飛び込み、28歳で6坪の店を開業。妻が端肉を鉄皿で焼いて出していたまかない飯をヒントに、「コックがいなくても熱々のステーキを出せる」仕組み

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コメダ珈琲 加藤太郎|「長居するほど歓迎」で全国制覇した創業者の異常な情熱

飲食業界で「回転率」は利益の生命線とされています。客が早く帰るほど儲かる。それが常識でした。ところが、名古屋に生まれた一軒の喫茶店は、その常識を真っ向から否定します。「長居するほど歓迎」——そんな逆張りの哲学で、全国1,000店超のチェーンを築いたのが、コメダ珈琲店の創業者・加藤太郎氏です。米屋の息

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餃子の王将・加藤朝雄|9歳から働いた男が築いた「50円餃子」帝国

全国に700店舗超を展開する「餃子の王将」。その創業者・加藤朝雄(1924〜1993年)は、福岡県飯塚市の貧しい家に生まれ、9歳から家計を助けるために働き始めた人物です。満州で終戦を迎え、帰国後は行商人、進駐軍食堂のコック、薪炭商、小口金融業と職を転々とし、43歳にしてようやく京都・四条大宮に1号店