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創業ストーリー 経営者向け

ハワード・シュルツ(スターバックス)|貧民街育ち、242回断られた男が「第三の場所」を世界に広げた情熱

ハワード・シュルツ(スターバックス)|貧民街育ち、242回断られた男が「第三の場所」を世界に広げた情熱

1985年、ニューヨーク出身の32歳の男が、コーヒー豆の卸売会社を辞めて独立した。手元には夢のビジネスプランが一枚。彼は242人の投資家を訪ね歩き、そのうち217人に断られた。「アメリカにはイタリアのようなコーヒー文化はない」「そんなにコーヒー1杯に金を払う人間はいない」——拒絶の理由は毎回似たようなものだった。男の名はハワード・シュルツ。彼が断られ続けながらも創業した小さなコーヒーバーは、やがて85カ国・38,000店舗超(2024-2025年時点)のグローバルチェーン、スターバックスへと成長する。その原点には、ブルックリンの公営住宅で育った少年時代と、父の骨折という出来事が刻まれていた。

ブルックリンの公営住宅——父の骨折が刻んだ「誓い」

ハワード・シュルツは1953年7月19日、ニューヨーク州ブルックリンに生まれた。父フレッドは復員兵で、トラック運転手や工場労働者など複数の肉体労働を掛け持ちして家族を養っていた。一家が暮らしていたのは、連邦政府が管理するカナーシー地区の公営住宅(ベイビュー・ハウジング・プロジェクト)。年収が2万ドルを超えたことはなかった。

シュルツが7歳の冬、父は紙おむつの配達中に凍結した路面で足を滑らせ、足首を骨折した。当時の父には労災保険も健康保険もなかった。骨折した翌日、会社から解雇通知が届いた。母は妊娠7ヶ月で、外で働ける状態ではなかった。一家は文字通り、無収入・無保険・無貯金という崖っぷちに立たされた。

シュルツは後にこう語っている——「夜になると、両親がどこからお金を借りるかという話し合いが聞こえてきた。電話が鳴ると、父さんか母さんは『留守だと言え』と頼んできた」

この経験は、シュルツの経営哲学の核心に刻みこまれた。将来自分が会社を作るなら、働く人間を使い捨てにしない組織にする——それが少年ハワードの静かな誓いだった。スターバックスが後に「アメリカで初めてパートタイム従業員にも医療保険とストックオプションを提供した企業」になるのは、偶然でも経営戦略でもなく、この誓いの直接的な帰結だった。

シュルツ自身も大学進学は楽ではなかった。奨学金とアルバイトでノーザン・ミシガン大学のコミュニケーション学部を卒業(1975年)。ゼロックスのセールスマン、スウェーデンの厨房機器メーカー「ハマープラスト」のゼネラルマネージャーを経て、1982年にシアトルの小さなコーヒー豆会社「スターバックス」に入社した。

(出典: Wikipedia「Howard Schultz」CNBC「How Starbucks' Howard Schultz went from the projects」

ミラノの朝——「コーヒーの劇場」との出会い(1983年)

1982年当時のスターバックスは、コーヒー豆を焙煎して卸す会社だった。コーヒーを1杯ずつ店内で提供するカフェではない。マーケティング・ディレクターとして入社したシュルツは、商品の品質に惚れ込んでいたが、その可能性はそこで止まっている気がしていた。

転機は1983年、ミラノの展示会への出張だった。会場への道すがら、シュルツはいくつかのエスプレッソバーに立ち寄った。バリスタはコーヒーを挽き、ミルクをスチームし、エスプレッソを注ぐ。その所作は、まるでオーケストラの指揮者のようだった。客は一人ひとりの名前で呼ばれ、短い会話が交わされる。店全体がひとつの「空間」として機能していた。

シュルツは後に語っている——「エスプレッソバーが作り出していたのは、コーヒーのロマンスと劇場性だけではなかった。それは朝の儀式であり、コミュニティの感覚だった」

シアトルに戻ったシュルツは、スターバックスの創業者たちにこの体験を熱心にプレゼンした。「コーヒー豆だけでなく、エスプレッソドリンクを提供するカフェにしよう」——しかし答えはNOだった。創業者のジェリー・ボールドウィンとゴードン・ボウカーは「我々はコーヒー豆の会社だ。レストラン業はやらない」と一蹴した。

シュルツはその答えを受け入れられなかった。夜も眠れないほどミラノのエスプレッソバーの光景が頭から離れなかった。「アメリカにも、ただコーヒーを買う場所ではなく、ゆっくり過ごせる『第三の場所』が必要だ——家でも職場でもない場所が」。その確信が消えることはなかった。

(出典: Starbucks「Il Giornale History」Starbucks News「A Dream 33 Years in the Making」

242回断られた男——イル・ジョルナーレ創業の賭け

1985年、シュルツはスターバックスを退社し、自ら会社を立ち上げることを決意した。名前は「イル・ジョルナーレ(Il Giornale)」——ミラノの日刊紙の名前だ。構想はシンプルだった。本格的なエスプレッソドリンクをイタリアのエスプレッソバーのような空間で提供する。

必要な資金は40万ドル。シュルツは事業計画書を手に、投資家を一人ひとり訪ね歩いた。その数、242人。

アプローチした投資家 242人
断られた投資家 217人(約90%)
主な拒絶理由 「アメリカ人はコーヒー1杯に高い金は払わない」「イタリア文化は輸入できない」
最終調達額 100万ドル超

スターバックスの創業者2人が計15万ドルを出資し、医師のロン・マーゴリスが10万ドルを拠出した。残りは少額の出資者を積み重ねることで集めた。1986年4月、シアトルのコロンビアタワービルにイル・ジョルナーレ1号店がオープンした。

結果は予想を超えた。スターバックスの既存店舗が1日に200人の客を迎えていたのに対し、イル・ジョルナーレの1号店は1日1,000人を迎えた。「アメリカにはコーヒー文化がない」と言い続けた217人の投資家が間違っていた。シュルツが正しかった。

(出典: Wikipedia「Howard Schultz」Quartr「Howard Schultz: The King of Coffee」

スターバックス買収と爆発的成長——11店舗から IPO、そして世界へ

イル・ジョルナーレを開業して2年後の1987年、スターバックスの創業者たちはコーヒー豆の卸売・焙煎事業に専念するため、小売部門を売却することを決めた。シュルツは380万ドルでスターバックスを買収し、イル・ジョルナーレの全店をスターバックスに改称した。このとき11店舗しかなかった。

その後の成長は急速だった。

出来事
1987年 スターバックス買収。11店舗から再出発
1988年 パートタイム従業員を含む全従業員に医療保険を提供(米国企業初)
1992年 140店舗、売上7,350万ドルでNASDAQ上場(IPO価格17ドル、時価総額2億7,100万ドル)
2000年 株価89ドル(IPO比423%上昇)。シュルツが初めてCEOを退く
2018年 ミラノにスターバックス第1号店オープン(構想から35年後)
最終規模 85カ国・38,000店舗超(2024-2025年時点)

特筆すべきは1988年の決断だ。スターバックスはパートタイム従業員(週20時間以上勤務)を含む全従業員に医療保険を提供した。当時のアメリカでこれを実施した小売企業はなかった。経営陣の一部は「コストが膨らむ」と反対したが、シュルツは譲らなかった。

シュルツはこう語っている——「私は父が働きたかったのに、働けなかった会社を作りたかった。父は会社に使い捨てにされた。私の会社はそうはしない」

ブルックリンの公営住宅で父の骨折を目撃した7歳の少年の誓いが、アメリカの小売業の常識を変えた瞬間だった。

(出典: Wikipedia「Howard Schultz」Inc.「From Brooklyn to Billionaire: The Howard Schultz Story」

2008年の危機と帰還——株価75%下落からの復活

2000年に初めてCEOを退いたシュルツは、2008年に再び表舞台に戻ることになる。2004年から2008年にかけて、スターバックスは店舗数を8,500から17,000へと約2倍に増やした。成長の裏で、品質と体験の劣化が進んでいた。

  • 店舗が密集し、近隣店舗どうしで客を食い合う「共食い」が発生
  • スピード重視でコーヒー豆を店内で挽く作業を廃止し、独特の香りが消えた
  • マクドナルドやダンキンドーナツとの競争激化で差別化が薄れた
  • 2006〜2008年の2年間で株価が約75%下落(最安値2.85ドル)

2008年1月7日、シュルツはCEOに復帰した。まず200人のシニアリーダーを集め、「変革のアジェンダ(Transformation Agenda)」を発表した。7つの戦略的優先事項を示し、一つひとつを実行していった。

施策 内容
全店一時閉鎖 2008年2月、米国7,000店超を一日閉鎖。135,000人のバリスタに「完璧なエスプレッソ抽出」を再教育
不採算店舗閉鎖 2008年に600店、2009年に300店を閉鎖
原点回帰 コーヒー豆の店内挽き、フェアトレードコーヒーの調達量倍増(年間4,000万ポンド)

結果は劇的だった。2008年末に2.85ドルまで落ちた株価は、その後急速に回復した。2008年から2017年にかけての9年間で、スターバックスの時価総額はほぼ1,000億ドル(約15兆円)増加した。

シュルツの姿勢は一貫していた。7,000店舗を一日閉めることで、短期的に数千万ドルの損失が出た。しかし彼は「コーヒーとは何かを取り戻さなければ、スターバックスは単なる食料品店になってしまう」と主張した。「何のためにやるのか」という問いへの答えが、危機のたびに判断基準となった。

(出典: MBA Knowledge Base「Starbucks Resilient Turnaround Under Howard Schultz in 2008」CNN「3 times Howard Schultz saved Starbucks」

中小企業経営者が学べること

ハワード・シュルツの物語は、スターバックスの成功話ではなく、「なぜやるのか」という問いに対する一貫した答えの物語だ。

  • 個人の痛みを経営の原則に変える — 父の骨折という個人的な体験が、スターバックスの従業員保険制度の根拠になった。自分が「これは間違っている」と感じた経験は、事業の差別化の根っこになりえる
  • 242回の断りは「データ」だ — 217人の投資家がNOと言った理由を聞き続けることで、シュルツは自分の仮説をどこで修正すべきかを学んだ。「また断られた」ではなく「また一つデータが集まった」という姿勢が、拒絶を乗り越える
  • 数字で仮説を証明してから拡大する — シュルツはイル・ジョルナーレ1号店の「1日1,000人」という実績を見てから本格展開に踏み込んだ。理念だけでなく、具体的な検証結果が投資家と銀行を動かす
  • 危機のとき「何のためにやるのか」に立ち返る — 2008年の7,000店舗閉鎖は、短期的な損失より「スターバックスとは何か」の再定義を優先した決断だ。経営危機のとき、コスト削減より先に「原点は何か」を問うことが再生への第一歩になる
  • 「第三の場所」という価値を言語化する — 「コーヒーを売る」ではなく「家でも職場でもない、ゆっくり過ごせる第三の場所を提供する」という一文が、スターバックスのすべての判断基準になった。自社の事業を「何を売るか」ではなく「何を提供するか」で表現できるか

まとめ

ハワード・シュルツは、ブルックリンの公営住宅で父の骨折を目撃した7歳の少年が抱いた誓いを、生涯手放さなかった経営者だ。

242回断られても、「アメリカにコーヒー文化はない」と言われても、彼の確信は揺るがなかった。その確信の根拠は、単なるビジョンではなく、自分が生きた経験から来ていた。11店舗のコーヒー屋は、IPOを経て85カ国・38,000店舗超(2024-2025年時点)に成長した。2008年に株価が75%下落したときも、彼は逃げずに戻り、7,000店舗を一日閉めて再出発した。

「なぜやるのか」への答えを持つ人間は、断られてもやめない。危機が来ても戻れる。それが、情熱を持って事業を続ける経営者の最大の強みだ。

参考資料

この記事を書いた人

松田信介
松田 信介 Shinsuke Matsuda

X-HACK Inc. 代表取締役 / PARKLoT CTO

Microsoft for Startups Founders Hub 採択

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