メインコンテンツへスキップ
経営者向け 創業ストーリー

GREE創業者・田中良和|楽天社員が「しかたなく」起業して時価総額6,000億円を超えた話

GREE創業者・田中良和|楽天社員が「しかたなく」起業して時価総額6,000億円を超えた話 - コラム - 補助金さがすAI

2004年2月、楽天株式会社に勤務する一人のエンジニアが、自宅で趣味のプログラミングを始めました。作ったのはSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)。開発にかかった期間はわずか数日。公開すると1ヶ月でユーザー1万人を突破。本人いわく「しかたなく」会社を作ることにした——。その男の名は田中良和。のちにGREEを東証一部に上場させ、時価総額6,000億円超にまで押し上げた人物です。

1. 楽天のエンジニアだった男——田中良和という人物

田中良和氏は1977年、東京都生まれ。日本大学法学部を卒業後、2000年にソニーコミュニケーションネットワーク(現ソニーネットワークコミュニケーションズ)に入社。インターネット黎明期のポータルサイト運営に携わった後、2001年に楽天株式会社に転職しました。

楽天では楽天ブックスや楽天オークションの開発に従事。当時の楽天は三木谷浩史のもとで急成長を遂げていた時期で、田中氏はエンジニアとして新規事業の立ち上げを次々と経験しました。しかし、この時期の田中氏を特徴づけるのは、本業の傍らで個人プロジェクトに没頭し続けていたという点です。

田中氏は学生時代からインターネットに強い関心を持ち、個人でウェブサイトを制作していました。楽天に入社してからも、帰宅後や休日に自分のサービスを開発する生活を続けていた。会社の仕事とは別に、「自分が面白いと思うもの」をひたすら作り続ける——この習慣が、やがてGREE誕生の土壌になります。

2003年末、アメリカでFriendsterOrkutといったSNSが話題になり始めていました。田中氏はこれらのサービスに強い関心を抱きます。「日本語で使えるSNSがないなら、自分で作ればいい」——その発想は、起業家の野心というよりも、エンジニアの純粋な好奇心に近いものでした。

(出典: Wikipedia「田中良和 (実業家)」東洋経済オンライン「GREE田中良和の挑戦」

2. 「趣味で作った」SNSが1ヶ月で1万人を超えた

2004年2月、田中氏は自宅のPCでSNSの開発に着手しました。サービス名はGREE。名前の由来は、社会学者スタンレー・ミルグラムが提唱した「六次の隔たり(Six Degrees of Separation)」——世界中の誰もが6人の知り合いを介してつながっているという理論です。

開発期間はわずか数日。田中氏は楽天での本業をこなしながら、夜間と休日だけでサービスを構築しました。2004年2月21日にGREEを公開すると、招待制にもかかわらず口コミで急速に広がり、1ヶ月でユーザー数が1万人を突破します。

「趣味で作ったサービスにユーザーが集まってしまった。会社を辞めて、しかたなく起業した

— 田中良和

「しかたなく」——この言葉は田中氏のインタビューに繰り返し登場します。しかし、その「しかたなく」の裏には、ユーザーが求めているものを見捨てられないという強い責任感がありました。1万人のユーザーがいる。彼らの期待に応えたい。サーバー代も個人では限界がある。ならば会社にするしかない——そういう論理です。

同時期に日本で公開されたSNSがmixiでした。2004年2月に笠原健治氏がmixiをリリースし、GREEとほぼ同日のスタート。日本のSNS市場は、この2つのサービスの競争から始まりました。当初はmixiがPC向けSNSとして急成長し、GREEを大きく引き離していきます。しかし田中氏は、この敗北から決定的な転換点を見出すことになります。

(出典: Wikipedia「GREE」ITmedia「GREE躍進の秘密」

3. 「モバイルに賭ける」——mixiとの決定的な分岐点

2004年12月、田中氏は楽天を退職し、グリー株式会社を設立しました。資本金10万円、オフィスは六本木のマンションの一室。社員は田中氏を含めてわずか数人というスタートでした。

しかし、PC向けSNSではmixiに大差をつけられていました。2006年時点でmixiの会員数は500万人超。GREEは数十万人規模で、正面から戦っても勝ち目がない。ここで田中氏が下した決断が、GREEの命運を決めました。

「モバイルに全振りする」——2006年、田中氏はGREEをフィーチャーフォン(ガラケー)対応のモバイルSNSに大転換します。当時のSNSはPCで使うものという常識が支配的で、携帯電話でSNSを使うという発想は主流ではありませんでした。

この判断の背景にあったのは、田中氏の「ユーザーの生活を観察する目」です。日本では、PCよりも携帯電話でインターネットに接続する人のほうが多い。電車の中、休憩時間、寝る前のベッド——人々が最も頻繁に触れるデバイスは、デスクの上のPCではなく、ポケットの中の携帯電話だと田中氏は見抜いていました。

この転換は劇的な成果を生みます。KDDIとの提携によりauの公式メニューに掲載されると、ユーザー数は爆発的に増加。2007年には会員数が300万人を突破し、2008年には1,000万人を超えました。PCで負けた相手に、モバイルという新しい戦場で逆転したのです。

(出典: Wikipedia「GREE」ダイヤモンド・オンライン「GREEの急成長」

4. ソーシャルゲームという金脈——史上最年少の東証一部上場

モバイルSNSへの転換で急成長したGREEは、さらにもう一つの革新を起こします。ソーシャルゲームです。

2007年、GREEはプラットフォーム上で遊べるゲーム機能の提供を開始。釣りゲーム「釣り★スタ」やカードゲーム「探検ドリランド」など、「基本プレイ無料+アイテム課金」というビジネスモデルを確立しました。これは当時としては画期的な収益モデルで、従来の月額課金型SNSとは根本的に異なるアプローチでした。

田中氏がソーシャルゲームに着目した理由は明快です。SNSは人と人をつなぐサービスだが、それだけでは収益化が難しい。しかし、人と人がつながった「上」でゲームを提供すれば、コミュニケーションとエンターテインメントが融合する。友達と一緒に遊ぶから楽しい、友達に自慢したいから課金する——この人間心理を、田中氏は正確に捉えていました。

2008年12月、グリーは東証マザーズに上場。田中氏は当時31歳。さらに2010年6月には東証一部に市場変更を果たし、創業者として当時の史上最年少での東証一部上場を実現しました。

2004年2月 GREE公開(趣味の個人プロジェクト)
2004年12月 グリー株式会社設立(資本金10万円)
2006年 モバイルSNSに大転換・KDDI提携
2008年12月 東証マザーズ上場
2010年6月 東証一部に市場変更(創業者として史上最年少)
2011年3月期 売上高約640億円・営業利益約285億円
2011年11月 時価総額6,000億円超を記録

2011年、GREEの時価総額は6,000億円を超えました。趣味で作った個人プロジェクトが、わずか7年で日本を代表するインターネット企業になったのです。田中氏個人の資産もフォーブス日本長者番付で上位にランクインするまでになりました。

(出典: Wikipedia「グリー (企業)」日本経済新聞「グリー東証1部上場」

5. コンプガチャ騒動と「冬の時代」——急転直下の試練

しかし、絶頂は長く続きませんでした。2012年、GREEとソーシャルゲーム業界全体を揺るがす事件が起こります。「コンプリートガチャ(コンプガチャ)」問題です。

コンプガチャとは、ガチャで特定のアイテムを全種類揃えるとレアアイテムが手に入る仕組み。消費者庁がこれを景品表示法の「絵合わせ」に該当すると判断し、2012年5月に事実上の禁止措置を取りました。GREEを含むソーシャルゲーム各社は、主力の収益モデルを根底から否定されたのです。

さらに、スマートフォンの急速な普及が追い打ちをかけました。GREEはフィーチャーフォン(ガラケー)時代に最適化されたプラットフォームで勝ってきた。しかしiPhoneとAndroidが普及すると、ユーザーはApp StoreやGoogle Playからゲームを直接ダウンロードするようになり、GREEのプラットフォームを経由する必要がなくなったのです。

株価は急落。2011年11月に時価総額6,000億円超を記録してからわずか1年余りで、時価総額は10分の1以下にまで縮小しました。従業員のリストラも実施され、海外拠点の閉鎖も相次ぎました。

「ソーシャルゲームのプラットフォームとしてのGREEは終わった、という声もあった。しかしインターネットで人々の生活を変えるという志は変わっていない

— 田中良和(2013年のインタビューより)

この危機に対して田中氏が取った行動は、事業の多角化でした。ゲームだけに依存する構造から脱却し、新たな柱を育てる。メタバース事業の「REALITY」、VTuber向けライブ配信プラットフォーム、投資事業——田中氏は「インターネットで何ができるか」という原点に立ち返り、次の種を蒔き始めました。

特に注目すべきは投資事業への進出です。GREEベンチャーズを通じて国内外のスタートアップに投資を行い、自社の成長だけでなくエコシステム全体の拡大を目指しました。かつて自分がKDDIからの出資を受けて成長したように、今度は自分が次世代の起業家を支援する側に回ったのです。

(出典: Wikipedia「コンプリートガチャ」ITmedia「コンプガチャ問題」

6. 田中良和の「異常な情熱」の正体——趣味が事業になる人

田中良和氏の情熱は、小川賢太郎氏の「牛丼は人類の叡智」やサム・ウォルトンの「毎日安売り」とは少し違う質感を持っています。それは「作ることが好きすぎて止められない」という、エンジニア特有の衝動です。

田中氏は楽天時代、本業の仕事を終えた後に自宅で個人プロジェクトを開発していました。誰に頼まれたわけでもなく、報酬があるわけでもなく、ただ「作りたいから作る」。GREEはその延長線上に生まれたサービスです。

普通の人なら、1万人のユーザーが集まった時点で「趣味にしては上出来だ」と満足するでしょう。あるいは、楽天という安定した職場を捨てるリスクを取らないでしょう。しかし田中氏は違った。ユーザーが増えるほど、「もっと良いものを作りたい」という欲求が強くなった。会社を辞めてGREEに専念することは、リスクではなく必然だったのです。

この「作る衝動」は、コンプガチャ騒動で業績が急落した後も変わりませんでした。ソーシャルゲームのプラットフォームが斜陽化しても、田中氏は「インターネットで何が作れるか」を考え続けた。メタバース、VTuber、投資——次々と新しいプロジェクトに取り組む姿は、楽天時代に夜な夜な個人開発をしていた頃と本質的に同じです。

  • 「インターネットは世界を変えられる。その確信は今も変わらない」 — 田中良和
  • 「しかたなく」起業した男が、20年間「しかたなく」作り続けている — それが田中良和の情熱の形

行動経済学では、こうした内発的動機づけ(intrinsic motivation)が最も持続力のある原動力だとされています。外部からの報酬や圧力ではなく、「やりたいからやる」という純粋な衝動が、田中氏を20年以上にわたってインターネット事業に駆り立て続けている。「しかたなく」起業した男の情熱は、実は最も純粋な形の情熱だったのかもしれません。

(出典: Wikipedia「田中良和 (実業家)」

7. IT・DX関連で使える補助金

田中良和氏は、楽天のエンジニア時代に培った技術力と、個人開発で磨いたプロダクト感覚で一つの産業を切り拓きました。ITやデジタル技術を活用した創業・事業拡大を、国も支援しています。

IT導入補助金

補助上限額 最大450万円(通常枠)
対象者 中小企業・小規模事業者
対象経費 ソフトウェア購入費、クラウド利用料、導入関連費
特徴 IT導入支援事業者とのパートナーシップが必要

(出典: IT導入補助金 公式サイト

小規模事業者持続化補助金(創業型)

補助上限額 最大250万円
対象者 創業後1年以内の小規模事業者(創業前でも可)
対象経費 ウェブサイト制作、広告宣伝費、設備導入費など
直近の締切 一般型 第19回: 2026年4月30日

(出典: 中小企業庁 公募要領

ものづくり補助金

補助上限額 750万円〜4,000万円(グローバル枠)
対象 中小企業・小規模事業者・個人事業主・スタートアップ
活用例 革新的サービス開発、試作品開発、生産プロセス改善

(出典: 創業手帳「ものづくり補助金」

まとめ

田中良和氏は、楽天のエンジニアとして働きながら趣味でSNSを作り、1ヶ月で1万人のユーザーを集め、「しかたなく」会社を設立しました。

PCでmixiに負ければモバイルに転換し、コンプガチャ騒動で業績が急落すれば事業を多角化する。しかし、その根底にあったのは一貫して「インターネットで面白いものを作りたい」という純粋な衝動でした。数日で作った個人プロジェクトが時価総額6,000億円の企業になり、その後の試練を経ても「作り続ける」姿勢は変わらない。

あなたにも「しかたなく」始めてしまうほど熱中できるものはありますか? もしあるなら、それを事業計画書に落とし込んでみてください。国の補助金制度は、そうした情熱を後押ししてくれる仕組みです。

関連コンテンツ

森稔(森ビル)|地権者400人・17年の交渉を貫いた「都市を変える」異常な情熱

六本木ヒルズ開業まで17年、地権者400人以上、12,000通の反対意見書——それでも諦めなかった森ビル2代目・森稔の都市再開発への情熱と、中小企業が活用できる補助金を紹介します。

詳しく見る →

三木谷浩史と楽天|阪神大震災で「人生は一度きり」と悟った男の異常な情熱

楽天創業者・三木谷浩史は、阪神大震災で親戚を亡くし「人生はあっという間に終わる」と悟って銀行を辞めました。月額5万円の出店料、わずか13店舗から始めた楽天市場を3年で上場させた情熱の正体と、創業・EC事業に使える補助金を紹介します。

詳しく見る →

松下幸之助(パナソニック)|9歳で丁稚奉公・大量解雇拒否・半日勤務が生んだ「経営の神様」の情熱

9歳で単身大阪へ丁稚奉公に出た少年が、23歳で2畳の工場から創業。昭和恐慌では全従業員の解雇を拒否し半日勤務で乗り越えた。「水道哲学」で日本の製造業を牽引した松下幸之助の異常な情熱と、中小企業が活用できる補助金を紹介します。

詳しく見る →

飲食店経営シミュレーターの使い方

業態・立地・坪数を選ぶだけで月間利益を計算。シミュレーターの使い方と各項目の意味を解説します。

詳しく見る →

この記事を書いた人

松田信介
松田 信介 Shinsuke Matsuda

X-HACK Inc. 代表取締役 / PARKLoT CTO

Microsoft for Startups Founders Hub 採択

X-HACK Inc. 代表取締役。システムコンサルタントとして中小企業の基幹システム構築・業務設計に携わったのち、自ら起業。小規模ビジネスの立ち上げから黒字化までを複数回経験し、採用・資金調達・補助金申請の実務にも精通。「補助金さがすAI」の開発・運営を通じて、経営者が本当に必要とする情報を現場目線で発信しています。

IT・DXの創業や事業拡大に使える補助金をお探しですか? 補助金さがすAIで、あなたの事業に合った補助金を見つけましょう。

補助金を検索する

無料会員登録でAI検索が使えます

無料会員登録

この記事をシェア

X(旧Twitter) LINE Facebook