コラム ·
神戸製鋼所|アルミ・銅の品質データ改ざんが500社に波及した「ものづくり日本」の信頼失墜
「KOBELCO」のブランドで知られる神戸製鋼所は、1905年(明治38年)創業の老舗鉄鋼メーカーである。新日鐵住金(現・日本製鉄)、JFEスチールに次ぐ高炉メーカー第3位として、鉄鋼に加えてアルミ・銅、機械、建設機械、電力と多角化を進め、連結売上高は約1兆8,000億円規模に達していた。しかし20
12件の記事
コラム ·
「KOBELCO」のブランドで知られる神戸製鋼所は、1905年(明治38年)創業の老舗鉄鋼メーカーである。新日鐵住金(現・日本製鉄)、JFEスチールに次ぐ高炉メーカー第3位として、鉄鋼に加えてアルミ・銅、機械、建設機械、電力と多角化を進め、連結売上高は約1兆8,000億円規模に達していた。しかし20
コラム ·
「You press the button, we do the rest(ボタンを押すだけ、あとは私たちが引き受ける)」——1888年、米国ニューヨーク州ロチェスターで生まれたイーストマン・コダックのキャッチコピーは、写真撮影を一般大衆のものに変えた革命のスローガンだった。20世紀を通じて、米国の
コラム ·
2005年、日本のIT業界に1人の異端児がいた。プロ野球球団買収、ニッポン放送株の電撃取得、フジテレビとの全面対決——。33歳の堀江貴文率いるライブドアは、東証マザーズに上場するIT企業でありながら、時価総額約1兆円にまで膨らみ、旧来の財界・メディアと真正面から衝突した。「お金で買えないものはない」
コラム ·
2006年から2008年にかけて、世界で最も訪問者数の多いウェブサイトはGoogleでもYahoo!でもなく、MySpace(マイスペース)だった。米国カリフォルニア州を拠点とするこのSNSは、2003年の創業からわずか数年で世界最大のソーシャルネットワークの座に上りつめ、2005年7月にはルパート
コラム ·
1948年に創業した長崎屋は、戦後日本の流通業の歴史を語るうえで欠かせない存在だ。総合スーパー(GMS)「ながさきや」と専門店業態「サティ」を全国に展開し、ピーク時には全国に100店舗を超える規模で売上7000億円台にまで成長した中堅GMSの雄であった。しかし2000年2月、長崎屋は負債総額約380
コラム ·
1999年、有利子負債2兆円超を抱え倒産寸前だった日産自動車に、フランス・ルノーから派遣された一人の経営者が乗り込んできた。カルロス・ゴーン——後に「コストカッター」「日産の救世主」と呼ばれることになる人物だ。彼が打ち出した「日産リバイバルプラン」は1年前倒しで達成され、日産はV字回復を遂げた。日本
コラム ·
フィンランドの森と湖の国から生まれた製紙会社が、長い変身を重ねたのち世界最大の携帯電話メーカーへと到達した。それがノキア(Nokia)である。2007年、ノキアの携帯端末世界シェアは40%を超え、フィンランド一国の輸出の2割以上を担うほどの巨大企業に成長していた。「Connecting People
コラム ·
ピンク色のお茶の間ウサギ、「駅前留学」のキャッチコピー、テレビCMで連呼される「NOVAうさぎ」——2000年代前半、英会話学校の代名詞となっていたのが株式会社ノヴァである。1981年に大阪で創業し、最盛期の2006年7月時点で全国に約1,000教室、生徒数は約50万人、外国人講師は約7,000人を
コラム ·
オリンパスは1919年創業の光学機器メーカーで、消化器内視鏡では世界シェア約7割を握る圧倒的なグローバルリーダーだ。日本の医療機器産業を代表する優良企業——その看板の裏側で、20年以上にわたって約1,178億円もの巨額損失を簿外に「飛ばし」、決算書から消し続けていたという事実が2011年に明るみに出
コラム ·
「店内調理」「手作り」「健康志向」を旗印に、全国に約350店舗を展開する和食定食チェーンとして親しまれてきた大戸屋ホールディングス。一人客でも気兼ねなく入れる落ち着いた店内で、栄養バランスの取れた定食が手頃な価格で食べられる——その独自路線は、ファストフードでもファミレスでもない第三の外食カテゴリー
コラム ·
「シャッターを切って60秒、その場で写真が現像される」——1948年、米国マサチューセッツ州に本拠を置くポラロイド(Polaroid Corporation)が世に出した世界初のインスタントカメラ「Model 95」は、写真史を一変させた。創業者エドウィン・ランド(Edwin H. Land)は「2
コラム ·
「アメリカの暮らしを支えた百貨店」——シアーズ・ローバック(Sears, Roebuck and Co.)は、1886年の創業以来、120年以上にわたって全米の家庭の日用品から家電、住宅までを供給してきた小売の巨人だった。19世紀末にはカタログ通販で全米津々浦々に商品を届け、20世紀後半には大型百貨