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コラム:20ページ

12件の記事

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青山五郎(青山商事)|客ゼロの開店から「紙爆弾」作戦で業界日本一を手にした創業者の情熱

1974年、広島県東広島市に日本初の郊外型紳士服店が誕生した。しかし開店から1〜2時間が経過しても、店内に客は一人もいなかった。創業者・青山五郎(1930〜2008年)は原因を調べ、衝撃の事実を知る——地元の人々が、店のオープンをまったく知らなかったのだ。翌週末から青山は動いた。店の半径15kmにあ

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小倉昌男(ヤマト運輸)|業界・官庁・社内全員反対の中で宅急便を強行開始。初日わずか11個

1976年1月20日、東京23区と関東6県の営業所84店舗で、ある新サービスがひっそりと産声を上げた。開始後最初に取扱個数を集計した1月23日の荷物は、わずか11個だった。業界は「個人宅配など採算が合わない」と鼻で笑い、旧運輸省は路線免許を渋り、社内の役員はほぼ全員が反対した。それでも小倉昌男(おぐ

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坂本孝(ブックオフ/俺のイタリアン)|50歳で古本業界を革命し、71歳で「立ち食い高級フレンチ」を生んだ2度の情熱

2011年9月、東京・新橋。16坪の小さな飲食店の前に、開店前から行列ができていた。白いテーブルクロスはない。椅子もない。立ったまま食べる店だ。だが厨房に立つのはミシュランの星付き店で腕を磨いたシェフであり、皿に載るのは本物のフォアグラ、ホタテ貝柱、ポルチーニ茸——高級イタリア料理店なら一皿5,00

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鈴木敏文(セブン-イレブン)|「コンビニでおにぎりは売れない」と猛反対を押し通し、今や年間22億個の巨大商品に

1978年、セブン-イレブンの幹部会議で鈴木敏文がおにぎりの販売を提案すると、会議室に沈黙が流れた。「おにぎりは家で作るものです。コンビニで売れるわけがない」——反対意見は全員一致に近かった。それでも鈴木は首を縦に振らなかった。「日本人が一番好きなのはお米だ。品質のいいものをつくれば、必ず手が伸びる

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安田隆夫(ドン・キホーテ)|6年間の賭け麻雀が生んだ800万円、深夜に聞こえた「営業してるの?」が年商2兆円の原点

1978年、東京・杉並区西荻窪。深夜、照明だけが煌々と灯された18坪の雑貨店に、安田隆夫(やすだ・たかお)は一人でいた。商品の仕分け、値札の貼り付け、棚の整理——日中は一人で接客をこなし、夜が更けてから作業に取り掛かる。蛍光灯の光に照らされた商品が通りにも見えていた。ふと、店の外を歩く通行人が足を止

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第四次産業革命の次に来るものは、「人間の仕事」かもしれない

第四次産業革命では、工場、物流、販売、顧客接点までがデータでつながり、AIがそのデータを分析して判断や最適化を行うようになった。ドイツの「インダストリー4.0」や日本の「Society 5.0」は、現実の業務と情報処理が一体化した社会の到来を象徴している。

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タピオカ閉店ラッシュの真実|輸入量70%減と大量閉店の原因分析

2019年の夏、日本中の商業地に「タピオカ専門店」が溢れた。原宿・表参道には行列が連日出現し、インスタグラムには若者がタピオカドリンクを手に持つ写真が氾濫した。タピオカの輸入量は前年の約4倍超へと急膨張し、関連企業数は半年で2倍近くに増えた。しかし翌2020年、輸入量は前年比約70%減。コロナ禍が重

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レナウン|売上2,317億円の名門アパレルが百貨店とともに沈んだ理由

「シンプルがいちばん♪」——そのCMソングを記憶している世代は少なくないだろう。バブル期に世界最大規模のアパレル企業として君臨したレナウンは、ピーク時に年売上高約2,317億円を誇り、「ダーバン」「アーノルド・パーマー」「アクアスキュータム」といったブランドを束ねる名門だった。それが2020年5月、

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江副浩正(リクルート創業者)|東大生で月収400万円、「2位は死だ」で求人情報市場を創った男の情熱

1960年、東京大学の学生が一つの広告営業で月400万円相当のコミッションを手にしていました。江副浩正——のちにリクルートを創業し、「情報の大衆化」という概念で求人情報市場そのものを生み出した男です。社内では「2位は死だ」が合言葉。その異常なまでの競争意識と情報ビジネスへの確信は、やがて売上1兆円企

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星野佳路(星野リゾート代表)|一族から追放→僅差の株主投票で復帰、瀕死の旅館を再生し続ける男の「異常な情熱」

軽井沢の老舗温泉旅館の4代目として生まれた星野佳路は、家業を継ぐことを拒み、アメリカで経営学を学びました。31歳で帰国し社長に就任するも、実父との経営方針の対立で会社を追放されます。2年後、僅差の株主投票でかろうじて復帰。従業員わずか70人、年商5億円の温泉旅館から出発し、倒産寸前の施設を次々と再生

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稲盛和夫のJAL再建|無報酬・3年で再上場した経営哲学

2010年2月、日本航空が経営破綻して1ヶ月も経たない頃、政府は一人の老人に電話をかけた。78歳、臨済宗の僧籍を持ち、経営の第一線から退いて久しかった稲盛和夫——京セラとKDDIを一代で築いた男だ。「無報酬でかまいません。日本航空を救えるなら」。稲盛はそう言って引き受けた。3年足らず後、JALは東証